28 親衛隊長再び
近頃のグリンは忙しい。朝食を食べ終えたらすぐにクワを背負って森の中に駆けていき、見よう見まねで土を耕す。以前グリンの吐いた炎で焼かれた土地はふかふかの畑になっていた。黄金芋の苗がもうすぐ手に入る予定なのがグリンを張り切らせている理由だ。
朝食の片付けを終えてからリリナは後を追う。グリンが思っていたより手のかからない子だと判った今では、近場の畑くらいまでには自由に行かせていた。
リリナが様子を見に行くとグリンは土の中に指を突っ込み目を閉じていた。
「もしかしてグリンは触っただけで土壌の良し悪しがわかるの?」
「……!!」
グリンは俯いていた顔を勢いよく上げると首を横に振った。わからないものはわからないらしい。
「あはは、そうだよね。でもこの森の植物ってどれも色鮮やかで元気だと思わない? だから、元から土の栄養は豊富なんだと思う。ちゃんとお芋も育つと思うよ」
リリナの言葉にグリンは同意した。グリンの吐いた炎で一度は燃え尽きた木々の下には点々と草が生えかけていた。この場所にもちゃんとまた植物は育つのは確かだ。
あとは雑草や石を取り除き、更に土を柔らかくして種芋が根を張れるようにすればいい。グリンの頭には既に蒸かしたホクホクの黄金芋の姿が浮かんでいた。
畑仕事を終えたグリンはリリナの家に戻るとすぐにイルヴァの別荘を建てる予定地に出向いて家造りを眺めるのに夢中になっていた。かといってイルヴァが実際に建築作業をしているわけではない。
イルヴァは家を作るにあたって何よりも先に魔法の力が込められた『土石』を埋め込んだ二体のゴーレムを用意したのだった。
一体はリリナの家の屋根より背の高い大型の体躯で立方体と直方体の複数の岩を積み上げたような形をしている。見た目の通り力のいる作業はお手の物で、長物の木材も数本まとめて楽に持ち上げていた。
もう一方はグリンの背丈の二倍ほどの泥でできた人形だった。好奇心を抑えきれずに近づいたグリンと握手ができるくらいに賢く、手先を自由に動かせる。
どちらも魔力で稼働し、イルヴァの指示を忠実に守りながら力のいる作業と繊細さが求められる作業を分担して取り掛かる。
二体のゴーレムにより石材と木の枠組みが組み合わされ、建物の土台部分がここ数日で徐々に形を成してきた。
グリンは一人の魔女がアイトリノというあんなに大きな都市を作り上げたことが最初は信じられなかった。だがその認識はイルヴァと過ごす時間が長くなればなるほど上書きされていく。
ここ数日で目にしたものはグリンの疑念を晴らすには十分過ぎるものだった。
澄み渡る青空から注ぐ木漏れ日の下、背伸びをしたグリンは手元の設計図と飛空船で運ばれてきた建築資材を見比べた。横に寄り添うイルヴァは微笑んでグリンに声をかける。
イルヴァが分けてくれた別荘の設計図の写しにはリリナの家より一回り大きな屋敷が描かれている。何も無かった場所に家が建つ様子を最初から最後まで全て見届けようとグリンは夢中になっていた。
その日、飽きもせずにゴーレムの建築作業を眺めるグリンを別の木の陰から覗く赤髪の女性の姿があった。数日前の失態と失意からやっと立ち直ったシトラだった。女王親衛隊の灰色の制服を着ている彼女の表情は恍惚としている。
「グリン君ったらあんなに無邪気で、可愛らしいことこの上ないですね……」
「いつまでそんな所でこそこそしてるんですかシトラさん。もう一度言いますが最初からグリンはシトラさんに対しては怒ってないですよ。もちろん私もムカつきはしましたけどもう気にしていません」
「私のことは呼び捨てで、もっとくだけた態度で接していいと言ったでしょう、リリナ。しかしあなたは本当にお気楽……お人好しですわね。初めて出会った時に、はっきりと姫様のご友人の娘さんで同じ魔女の一人だと言ってくれれば無益な時間を過ごさずに済みましたのに」
「絶対に話を聞いてもらえる雰囲気ではなかったような……。でも私が魔女であることをシトラがすんなり受け入れてくれたのは意外だったなぁ」
「ええ、自国の女王が魔女であることを詳しく知り、魔女という存在がこの世に実在することを誰よりも認知する。女王の親衛隊になるということはそういうことですから。もっともあなたは魔女は魔女でも姫様とは似ても似つかぬ『へっぽこ』だと伺っていますが」
「ま、まあ……そうだけど。 もう! 私だって私なりに頑張っているんだから! そんな意地悪ばかり言うならこれから家に泊めてあげないよ!」
騒動の後にグリンを意識してぎくしゃくしていたシトラに気を利かせたのか、イルヴァの命令で別宅が完成するまでシトラがエルツの森で責任者として過ごすことになったのだった。彼女にどんな責任を負えるのかは誰にもわからないが、必然的にしばらくの間シトラはリリナの家で世話になることになる。
グリンと出会い暴走していたシトラが落ち着きを取り戻すと、元から人懐こく、過ぎたことはあまり根に持たないリリナとはすっかり気の置けない仲になった。
しかし依然としてシトラはグリンとはどう接していいかわからないままで、興奮が冷め、威勢を失った今はグリンと触れ合うことに過度に臆病になってしまっている。
決してシトラがグリンに対する想いを失ったわけではない。むしろシトラの愛情が強すぎるゆえに、離れた木陰でそっと見守るはめになってしまったのだった。
「それよりも姫様とグリン君はいつの間にあんなに仲良くなったんです?」
「私もよくわからないんだよね。でもグリンがイルヴァさんをとても尊敬しているのは確かだと思う」
「……姫様にグリン君を取られちゃいますわよ」
唇を尖らせて呟くシトラにリリナは苦笑する。
「取られちゃうって、グリンが私に限らずいろいろな人達と仲良くするのはいいことでしょう? それに私とグリンの関係は──」
「魔女と使い魔なのでしょう? しかもあんなに可愛らしいグリン君が本当は伝説の竜だとか。グリン君の稀有で神々しい容姿と雰囲気を思えば、全く信じていないわけではありませんが……正直眉唾ものですわね」
リリナにもシトラの気持ちはわからないではなかった。普段のグリンはどこからどう見ても小柄で可愛らしい一人の少年でしかない。グリンの本来の姿が竜だということをリリナが知っても普段の生活や接し方は最初から一切変わっていない。
「……二人とも何をひそひそ話してるんだ。私は用事があるので一度城へ帰るぞ。ゴーレムは日没と共に停止するように命令してあるから心配ないと思うが、後のことはシトラに任せる。それじゃあ、また明日なリリナ」
シトラとリリナはイルヴァに挨拶をすると地面に座り込んでいるグリンに気が付いた。そっと後ろに近づくとグリンは設計図とは別の紙に精密なゴーレムの絵を描いていた。絵の周りは二人にはほぼ理解できない文字列でぎっしりと埋まっている。
思わずリリナとシトラは目を見合わせた。まだ伝説の竜に違いないと思えないが、やはりこの子には底知れない何かがあるのは間違いない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます