27 未来への設計図
リリナの家の裏、温泉を挟んだ向こう側にイルヴァは別邸を立てたいと提案し、リリナは二つ返事で了承した。
そもそもエルツの森の土地はアイトリノ王国のものであり、女王であるイルヴァが好きにして良いのだから本来リリナの許可などは必要ない。
むしろリリナはずっと心配していた疑問を投げかけてみた。
「……今更なんですが、むしろ私達の方がこの森に住んでいていいんですかね?」
「もちろん、構わないよ。シアとはしっかりと約束を交わしてある。しかしそんなことも伝えていなかったのかあいつは……」
「よかったぁ。母さんはうっかりしてますからね。今は何の仕事をしているのか尋ねても、大変で大切な仕事としか教えてくれませんし」
「私にもずっと似たようなものだよ。あいつはそういう奴だからな。『秘密は魔女の特権』だとかなんとか」
「ふふっ、懐かしいです。よく言ってましたね母さん」
リリナの漏らした笑みを見てイルヴァは一つの言葉を選んだ。二人の仲が今も良好ならば尋ねておきたいことがあったのだ。
「確か、魔法の修行の為にこの森に一人で残ると言い出したのはリリナからだったな」
「はい。私、本当は自分の力だけで一人前の魔女になりたかったんです。……でももう意地を張るのは辞めました。今はグリンの為にも一刻も早く立派な魔女にならないと恥ずかしいので」
「なるほど、いい心がけだと思うぞ。上手くいかないときに人に頼るのは実は難しいことだからな」
イルヴァはなぜシアがリリナに一人での魔法の修行を許可したのかをずっと考えていた。リリナはなぜ自分が魔法を使う際に魔力を調節できないのか見当もついていない。そんなリリナが一からその理由を探求するのはあまりに効率が悪い。
(まさか最終的に私に手を出させたかったのか? いや、まさかな。だがここからは私の好きにやらせてもらおう)
イルヴァに想いを話し、胸が軽くなったリリナは、これからもっとイルヴァに食べさせたい食材があるとコタの村へ買い物に出かけた。
必然的にグリンはイルヴァと留守番をすることになる。
リリナを見送ったイルヴァがソファーに腰を下ろすのを見て、読み聞かせをねだる子供のようにグリンは奥の部屋から一冊の分厚い魔導書を抱えて来た。
「……イルヴァ」
「おお! グリンが私の名を呼んでくれるとは感慨深い。出会い頭にかなり意地悪をしてしまったから私は嫌われてしまったのではないかと心配していたんだ。ああ……本当に愛しいな君は」
イルヴァはグリンを後ろから抱きかかえて頬擦りをする。グリンはくすぐったそうに身をすくめるが表情は柔らかかった。おそらくイルヴァのことを尊敬できる魔法の上手なお姉さんくらいに思っているに違いない。一通り満足したイルヴァはグリンを抱っこしたまま肩越しに彼の持つ本を開き目を通した。
「なるほど、魔法と竜の力の違いに関して推測した書物か。それは私よりグリンの方が詳しいと思うが、魔女としての見解も知りたいというわけだな」
グリンは無言で頷く。竜を竜たらしめるのは、その身を自在に変化させる変わり身の力であるとグリンは教わった。つまり最後まで他の生物への変身が出来なかったグリンは、竜としては前代未聞の落ちこぼれだったのだ。
天界でグリンは自らの姿を人間に変身させる修行しか積んで来なかった。(人の姿に変身するのが一番難易度が低いと伝えられていたからなのだが)
先の見えない修行の日々に視野の狭くなっていたグリンが目にした同族の力はおそらくほんの一部に過ぎない。
それでも竜特有の変身能力を除けばこの地の魔法と明白に区別がつくほど不可思議なものだとはグリンには思えなかった。
グリンの長髪を無意識に手で梳きながら、イルヴァは考えを巡らせる。
「先ほどリリナにも話をした通り、この世の中に起こり得る事象を自在に目の前に発現させるのが魔女の魔法。そしてこの世に起こり得ないことすら起こすのが竜の力、というのが私の見解だな」
この世には起こりえない力。一体それがどんなものなのかグリンには想像もつかない。はたしてすべての竜がそのような内なる力を秘めているのだろうか。
竜の持つ力の基礎、変わり身すらできなかった自分には遠い世界の話なのかもしれないが、グリンは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
「リリナにも言ったがあまり焦る必要はないぞ。私やリリナはグリンが竜であった頃の詮索はしない。グリンが自分から語る必要もない。ただ私達はグリンが一人の人間として地上にやってきてくれて、本当に良かったと思っているよ」
「……」
「私が頼みたいのはグリンが人間界にいる間はとにかく優しくあってほしいということだけだ。なぁに、心配はいらないだろうけどね」
(いつか君の竜の力を狙う者が目の前に現れるかもしれない。君が優しいままでいてくれるのなら、側にいる魔女は君を全力で守ると誓うよ)
自分の嘘偽りのない気持ちを声には出さずに胸にしまい込み、イルヴァはグリンをふわりと抱きしめた。
「……さて、私が建てる別荘についてグリンの意見も聞かせて欲しいな。きっと何もない場所に一から家を建てるのは楽しいぞ」
グリンはイルヴァの腕の中で振り返って彼女を見つめた。確かに始めからものを作り出すという経験をグリンはしたことがない。
「……?」
「手間のかかるものを作るには設計図があった方がいいだろう? 最初のコツは『制限しないこと』なんだ」
イルヴァは机の上に紙と鉛筆を用意して最初の授業をしてあげることにした。イルヴァの手は音楽を指揮するかのように流れる。それを見てグリンは沸々と湧き出てくる好奇心を抑えられなかった。いつの間にか紙の上を滑る鉛筆は二本に増えていた。
グリンが人間の世界で学ぶことは何も魔法だけではないのだ。
その後帰宅したリリナがあまりにも仲睦まじい二人の姿に頬を膨らませたのは言うまでもない。
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