26 大魔女とへっぽこ

 朝食の席でイルヴァの気まぐれについて詳しい話を聞くことになった。

 リリナは大慌てで着替えて身だしなみを整えると、一階に降りてさっそく料理の準備に取り掛かかる。

 突然のイルヴァの来訪にリリナが驚いたのは確かだったが、それよりも嬉しさが勝っていた。昨日のあまりにもあっさりした別れには一抹の寂しさを感じていたのだ。


 二階には寝息を立てているグリンとイルヴァが残される。イルヴァはグリンの寝顔を覗き込むと頬を緩めた。


「ふふっ、可愛い奴め。ずっと見ていられるが起こしてしまったらかわいそうだな」


 イルヴァはぐっすり寝ているグリンをしばらく眺めた後にそっと階下に向かった。



 我が家に一国の女王様で、あこがれの大魔女がいる。リリナが畏まってしまうのは当然のことだった。


 テーブルで肩肘をついて料理を待つイルヴァはどこか妖艶な雰囲気をまとっていて、深緑のワンピースの大きく空いた胸元にリリナは同性なのにそわそわしてしまう。つやつやの黒のタイツはどこのものなのか後で教えてもらおうとリリナは思った。


 リリナは自分の作る料理が舌の肥えた女王であるイルヴァの口に合うか心配だったが、「私はリリナのいつもの料理が食べたいんだ。出てくるものはなんだっていいんだよ」と諭されて心が軽くなった。ただ今度は『いつもはどうしていたっけ?』と考え始めてしまう。


 ただすぐに答えは出た。最近はグリンのために毎日腕を振るっているのだ。  

 つまり最近の『いつもの』は自分のとっておきであり、おもてなしの心に変わりはない。

 リリナは鼻歌交じりでパンケーキをひっくり返した。



 しばらくして甘い匂いに釣られたのか、グリンが階段を降りてきた。寝ぼけ眼であまり頭が働いていないようだったが、イルヴァの姿を見つけると驚くこともなく、ぺこりと頭を下げ、そのまま調理中のリリナの手元を横から覗き込んだ。

 朝食ができるまでイルヴァは子供を見守る母親のように優しい表情で二人を見守っていた。



「うん、美味しい。焼き加減も完璧だし、この蜂蜜が絶品だ。やはり謙遜する必要はなかったじゃないか。リリナはいいお嫁さんになれるよ」


「えへへ、ありがとうございます。この蜂蜜はライム湖に行く途中でとれる場所があるんですよ……じゃなくてですね! あまりに自然に食卓に馴染んでいるのでそのまま流されるところでした。いきなり別荘を立てるってどういうことですか!?」


「どうもこうもないさ、そのまんまの意味だよ。私はリリナとグリンのご近所さんになって、もっと二人と仲良くなりたいんだ」


「いや、イルヴァさんが私達を気にかけてくれるのは大歓迎なんですけど急過ぎるというか……。他に理由があるんじゃないですか? 母の魔法の結界が無くなったので私達の身の安全を心配してくれているとか」


「ああ、勿論それもあるが、何よりも私は二人の『成長』を手助けしてあげたくて仕方がないんだよ」


「……?」


 山盛りのパンケーキをあっという間に食べ終わり、満足げにお腹をさすっていたグリンが対面に座るイルヴァに視線で問いかける。声が出せるようになっても口数が最低限なのは彼の性分のようだった。


「二人には私が構わずにはいられないくらいに魔法の伸びしろがあると言うことさ。リリナだけじゃなくてグリンにもね。ちょっぴり専門家の私が言うんだから間違いはないよ」


 いたずらっぽく片目を閉じるイルヴァを見てグリンが真似をするがどうしても上手くいかない。何度も同時に両目をつぶるグリンを見て思わずイルヴァは吹き出した。


「イルヴァさんのお墨付きを貰えたのはとても嬉しいんですけど、女王としてのお仕事は大丈夫なんですか?」


「ああ、問題ない。私としても常に国のことは最優先で気にかけているつもりさ。しかしアイトリノは国としてもう私の手が掛からない所まで成熟しつつある。『女王様』は意外と暇なんだよ」


「本当にいいんですね? 私、その言葉を信じちゃいますから。イルヴァさんに魔法を指導してもらえるなんて願ってもないことですし。あの、それでは改めてどうかよろしくお願いします」


「ああ、私が適度なを与えてリリナとグリンの背中を押してあげるから楽しみにしていてくれ。グリンもそれでいいかな?」


「……よろしくお願いします」


 声に出して返事をしたグリンの手にリリナはそっと手を添えた。



「それで、私はなんとかしてグリンを元の竜の姿に戻してあげたいんです」


 リリナの切なる願いにイルヴァは表情を引き締めると、紅茶の入ったカップに薄く口を付けた後に答えた。


「ふむ、それに関しては難しいと言わざるを得ないな。本来、転移の延長である召喚魔法に肉体の変身能力はない。ある生物の姿形を似せるだけならまだしも、肉体の中身まで別のものに変身させることは私ですら不可能に近いんだ。基本的に魔法というものは自然界で起こりうる事象を具現化する方法に過ぎないからな」


 普段はとぼけた様子のグリンですらも真面目にイルヴァの話に耳を傾けていた。


「ただ『自然と不自然』の線引きは曖昧なものだ。私の予想をも上回る事象が常に起こりうる。その不思議が魔法の面白いところでもあるのだが。……それよりそもそもグリンは竜の姿に戻りたいのか?」


 グリンは少しの間、逡巡した後に首を横に振った。

 真っ先にグリンの頭をよぎったのはリリナと一緒にこのまま人間界で暮らすのなら、竜の姿は不便で仕方がないだろうなという考えだった。

 それに元の姿に戻れたとしても今は天界に舞い戻る気にはとてもなれない。


 空は飛空船でも杖でも飛べることをグリンはもう知ってしまったし、見たこともない魔法はその都度自分の好奇心をこれでもかと揺さぶってくる。

 総じて、今は竜の姿に戻る必要は無い、がグリンの結論だった。


「ええ!! そうだったの!?」


「グリンに関しては、リリナがあまり前のめりになる必要はないんじゃないか? 使い魔としてグリンを呼び出した最初の時から、既に今のリリナには持て余す事象が重なって起きているんだから。再現性を求める意味はないし、そんなもの魔法の制御すら出来ない見習い魔女の領分ではないからね」


「……はい、そうかもしれません」


「だからと言って一人の同胞としてはいつまでもリリナを『へっぽこ』魔女のまま放っておくわけにはいかない。だから私が手を貸そうというわけだが」


「へ、へっぽこ。そうですよね。へっぽこですよね私……。先に自分の心配をしたほうがいいですよね……」


「なぁに、気にすることはない。へっぽこにはへっぽこにしか見えない景色がある。リリナが魔法の制御が上手くできないことにもきっと何かしらの理由があるはずだからそれを一緒に考えよう。しかし、私は国だけではなく魔女と竜の行く末を見守ることができるのか。我ながら贅沢なものだな」


 イルヴァはリボンのついたとびきりのプレゼントを受け取った少女のような笑みを見せる。その顔を見て思わずリリナの表情も緩んだ。

 リリナにも彼女が周りから慕われる女王になった理由がわかった気がした。

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