25 女王の茶目っ気

「わざわざイルヴァさんにエルツの森まで足を運んでもらって申し訳ないです……」


「いや、もとはといえば私がシトラの手綱を緩めたのが悪いからな。私もついて行くのが礼儀だろう。それに久しぶりにシアとリリナの家をこの目で見たいのもある」


 翌日の昼過ぎ、グリンとリリナは飛空船リンゴンで帰路に就いていた。イルヴァと女王親衛隊セレネイドの面々も同乗している。

 帰りのリリナとグリンの待遇は誘拐犯とその被害者扱いされた昨日と天と地の差があった。


 イルヴァのために設えられた特別室にリリナとグリンは案内された。グリンは自分の背丈よりも大きな窓に駆け寄って、地上を見下ろす。


 毛足の長い絨毯の上、部屋の中央には古風なソファーが置かれ、蔦の彫刻が印象的な灰色のテーブルの上には三段の金色のスタンドに多種多様なケーキがぎっしりと積まれていた。


 ソファーの中央にグリン、左右にイルヴァとリリナが座る。目を輝かせるグリンとリリナをイルヴァは楽しそうに眺めながら紅茶を用意した。


「二人にはどうかシトラを許してあげて欲しい。最初から最後までとんでもない馬鹿だと思っただろう? だが人間は良くも悪くも馬鹿ばかりなんだ。馬鹿に慣れるのはグリンの今後の『人』生においてそんなに悪いことじゃない。これからあの馬鹿とやり取りをするのはきっといい経験になるよ」


 室内には三人の後に遅れて入ってきたシトラの姿もあった。扉の前に立っているシトラにもイルヴァの言葉は勿論聞こえている。

 泣き腫らした目にさらに涙を溜めているシトラはさながら捨てられた子猫のようだった。その様子を横目で見たグリンはイルヴァの袖を引っ張るとそっと耳打ちした。


(……怒ってないから、怒らないで)


(おや、グリン、随分可愛らしい声が出せるようになったじゃないか。やれやれ、やはり君は抱きしめたくなるほどのお人好しだな。私も別に本気でシトラのことを咎めてはいないよ。だがこれぐらい言わないとシトラには響かないんだ。昨日、リリナとグリンをもてなす予定が大幅に狂ってしまったのは事実だからね。私は人の世話を焼くのは大好きだが、予定を狂わされるのは許せない質なんだ)


 グリンはイルヴァに同じように耳元でこしょこしょと囁かれこそばゆくなって身をよじった。

 グリンが身体を後ろに反らしてもう一度立ちっぱなしのシトラに視線を送ると、目が合ったシトラは慌てて視線を逸らした。



 シトラと話があるというイルヴァを部屋に残し、グリンは船内を駆け回っていた。相変わらず女性陣から大人気でグリンの周囲は騒がしい。リリナも館内を見て回ろうとするが、随所に居る自分を捕らえていた兵士達との距離感がつかめない。リリナは手持ち無沙汰になり、廊下の窓から流れていく雲を眺めた。


 竜は雲の上の天界に住むという。普段よりグリンが元気一杯なのは慣れ親しんだ空の上だからだろうか。もしそうだったら微笑ましいような、寂しいような複雑な心境だった。


「……こんにちは、リリナさん。昨日は私達、セレネイドが大変迷惑をかけて申し訳ありませんでした」


 リリナに声をかけたのはグリンの世話をしてくれたシェリィだった。後ろにはアマネも控えていて同じように頭を下げる。


「いえいえ、全く気にしてないですよ。シトラさん達は職務を全うしただけでしょうし……」


「本物の誘拐犯が身内にいたのは何より情けない」


 最初はぎこちなかったが、二言、三言交わすと、少し間をおいて三人は顔を見合わせて笑い合った。どうやらリリナもエルツの森に着くまで退屈しないで済みそうだった。



 先程の室内でシトラはイルヴァの横にちょこんと座っていた。


「イ、イルヴァ様。グリン君は本当に私に嫌気がさしたから逃げ出したんじゃないんですか?」


「何度も言っているだろう。あの子はそんなに器の小さい子じゃないよ」


 冷静を装っているイルヴァだったが、彼女も昨日はグリンに愛想を尽かされたのではないかと気が気ではなかった。しかしその心配が杞憂だったことを確認でき、今は徐々に元気を取り戻しつつある。


「でも私──はっ! グリン君!」


 扉の隙間からそっと顔を覗かせるグリンと不意に目が合ったシトラはイルヴァを盾にするように身を隠す。先日あんなにぎらついていた肉食獣の面影はもうそこにはない。

 元気は戻ったが勇気は無くなったシトラ。まるで捕食者が被食者になってしまっている現状にイルヴァは呆れたように小さく溜息をついた。





 飛空船は無事にエルツの森へ到着した。地上に降りたリリナはグリンと一緒にイルヴァに別れの挨拶を交わす。「さようなら」と小さな声でつぶやいたグリンをイルヴァは笑顔で抱きしめて頬ずりをした。それに倣ってグリンはセレネイドの面々に順番にもみくちゃにされる。


「イルヴァさんってその、女王様なのに随分親衛隊の方々と距離が近いんですね」


「ああ、私がそうするように仕向けているからな。私は女王の立場ではあるが別に偉いわけではない。リリナも私のことは子供の時のように『イルちゃん』と呼んでもいいんだぞ」


「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、すぐには難しそうです。でも本当にもう帰っちゃうんですか? 良ければ夕食をと思ったんですけど。まだ母さんの部屋を少し見ただけですし……」


「私は懐かしさを感じられて十分満足したよ。それに来ようと思えばまたいつでも来られるからな。よし、それじゃあ私達は城へ戻る。近いうちにまた会おう」


「はい、いつでもお待ちしています。その間に私もイルヴァさんのような立派な魔女になれるように努力します」


「ああ、応援してるよ」


 抱擁を交わす魔女の二人を、グリンはポシェットいっぱいに貰った飴玉の一つをさっそく頬張りながら眺めていた。





 明くる日、疲労が残る二人は夜が明けてもベッドから出られずにいた。そこに一人の人影が忍び寄る。


「リリナ、グリン、もうそろそろ起きてもいいんじゃないか?」


「あれ? 誰? ……なんだ、イルヴァさんかぁ。私ったらぼんやりしてるみたい。相当疲れが溜まっているのかも……」


「夢じゃないぞ、ほら」


 イルヴァの人差し指がぷにぷにとリリナの頬をつつく。徐々に意識がはっきりしてきたリリナはベッドの脇に立つイルヴァと目が合った。ゆっくりと体を起こすと布団の上で正座をする。イルヴァからふんわりと香る甘い匂いがリリナの目を覚ました。


「え……? なんで?」


 リリナは現実が飲み込めず、驚く暇もなかった。グリンに至ってはまだスヤスヤと寝息を立てている。


「なかなか愉快な顔をしてくれるじゃないか。こっそり計画を進めた甲斐があるよ。さて、簡潔に説明すると私はこのエルツの森に別荘を立てることにした。今日はちょっくら開通した城とリリナの家を繋ぐ『転移魔法』で将来のご近所さんに挨拶に来たというわけだ」


 イルヴァはとびきりの悪戯が成功した子供のようにくっくと笑った。

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