24 使い魔の誕生
今にも泣き出しそうだったリリナの瞳が驚きに見開かれた。
涼しい夜風が二人の間を通り抜けて一瞬の静寂が訪れる。
思考が現実に追いつかずにまだ頭がぼんやりしているリリナと、どことなくすっきりした表情のグリン。
「……え? あ……なんで……ええっ?」
何が起きたかわからないまま口をパクパクさせるリリナに、グリンは更に自分の意思を伝えることにした。今、勇気を出さなければきっと後悔することになる。
グリンは軽く咳払いをして喉を触った。
伝えたいという想いの熱が、ずっと感じていた喉のつかえを溶かしてくれたのだろうか。今ならと確信を持ってグリンの唇が小さく動く。
「──ぼく、僕は、」
「えっ……グリン!?」
穏やかな月明かりの下、初めて聞くグリンの声は、鈴の音のようにしっかりとリリナの耳に届いた。我に返って驚くリリナにグリンは言葉を続ける。
「僕はリリナの使い魔がいい」
頭一つ以上背の高いリリナを見上げ、グリンは優しい声色で自分の意思を伝えた。
呆気にとられたリリナは一瞬笑みを浮かべた後、力が抜けてへなへなと地べたに座りこむ。すぐに彼女はわんわんと泣き出した。
感情の整理がつかない中で一つだけはっきりとしている。
とにかくリリナは──嬉しかった。
「うぅ、ありがとう、グリン。私なんかの使い魔になってくれて……。でも、私と一緒にいたらグリンはいつ元の姿に戻れるのかわからないんだよ。アイトリノでイルヴァさん達と一緒に暮らした方がきっとグリンだって幸せに……。あぁ~、でも本当は私だって本当はグリンと一緒にいたいもん! ううん、グリンが望んでくれるなら私はずっとグリンのそばにいる! もう絶対に離れないから!」
リリナは自分の言葉を自分で否定して盛り上がっていく。相当混乱している様子だったが、グリンはリリナの言葉に何度も頷いた。
顔をぐちゃぐちゃにさせてリリナは自分の気持ちを全て吐き出してくれた。
今度はグリンの番だ。今すべきことは、このまま恐れずに包み隠さないこと。
「……僕の本来の姿は、僕の正体は、竜」
グリンの言葉は自然と口から零れ落ちた。包み隠さずに全てを曝け出さなければリリナと対等の関係にはなれないとグリンは思った。
本来は使い魔になる前に伝えるべきだったかもしれないが、それくらいグリンはどうしてもリリナの使い魔になりたかった。
その言葉を聞いたリリナに驚きはなかった。出会った時からどこか神秘的な雰囲気を漂わせていたグリンの正体が、浮世離れした竜であっても何ら不思議ではない。
勇気をもってグリンが真実を告げてくれたことは、今のリリナの昂った神経を落ち着かせてくれる。
「……ひっく。竜? あの、翼の生えた竜? ……あぁ、そっかグリンは竜だったんだ。うん、なるほどねぇ……」
「……???」
「ん? 私はグリンが竜であることには納得してるよ。お母さんから聞いたことがあるから。『竜はあらゆる生物に変身できるって』。だから今は竜なのにこんなに可愛い見た目なんだね」
あっけらかんとしたリリナの様子、に拒絶されることも考えていたグリンは肩透かしをくらう。それと同時に自分がどうしても彼女の側にいたいと思えた理由がわかった気がした。
「偉大なる竜かぁ……ううん、関係ない! よし、私は竜にふさわしい魔女になってみせるから。とことん付き合ってよね、グリン」
リリナは満面の笑みを浮かべながらグリンの手を取る。
泣き喚いた恥ずかしさを誤魔化すように、リリナはグリンの頭をくしゃくしゃと撫でるが、ちっとも満足できない。
いつもと同じ可愛がり方では自分の溢れ出る今の感情はうまく伝わらない気がした。リリナがどうしたものかと腕をわきわきとさせているとグリンが不思議そうに首を傾げる。頭の後ろで一つに結ばれたグリンの髪が馬のしっぽのように揺れた。
リリナはまじまじとグリンの小さな顔を見つめる。大きく吸い込まれそうな青い瞳、色白な肌、形の良い鼻、桜色の薄い唇。行き場のない高揚感にリリナは徐々に変な気分になってくる。
(私、グリンとキスしちゃった……)
グリンに使い魔の契約を完了させる以上の深い意味はなかったのは確かだろう。
リリナにとってグリンが自分といることを望み、それを形にしてくれたのは何よりも嬉しかった。しかし、恥ずかしいものは恥ずかしい。いけない、このまま深く考えるとドツボにはまる気がする。
顔に熱を感じたリリナはぶんぶんと頭を振り、そのまま勢いでグリンの肩へ手を置く。
「……私達これで正式に魔女と使い魔だね! 私、これからはグリンに恥ずかしくないように魔法の練習をもっともっと頑張るから。と、とりあえずおめでたいなら踊ろうか! うん、お城と言えばダンスパーティーとかやってそうだし。私は気の利いたステップなんか一つも知らないけど、大事なのは気持ちだよね!?」
頬を紅潮させたまま目をぐるぐるさせるリリナの姿に、この子は大丈夫なのかとグリンは戸惑った。しかし、がっしりと腕を体に回され片方の手も握られたグリンは身動きがとれない。リリナの柔らかな胸に埋もれそうになったグリンは、なんとか顔を上げて呼吸ができるように上を向く。
二人は身体を寄せ合い、薄暗いバルコニーで揺りかごのようにゆっくりと体を揺らし始めた。
グリンとリリナはダンスを踊れるわけではないし、この場には豪勢な音楽も流れていない。
リリナは自分が誘ったのに照れくさくてグリンの顔を真っすぐに見られないし、そもそもグリンはこの行為の目的がわからない。
それでも徐々に二人の呼吸は重なっていく。グリンとリリナはクラゲのようにバルコニーを漂った。
二人ともまだ言いたいことはいくらでもあった。だけど今は言葉にする必要はない。
グリンは触れ合う体の熱を感じながらぼんやりとリリナを見上げる。徐々に落ちつきを取り戻したリリナはやっと上手に笑みを作ることができた。グリンもつられて同じように微かに笑う。
魔女とその使い魔が過ごす初めての夜はゆっくりと更けていく。
飽きることなく二人はゆらゆらと身体を揺らし、滑るように露台の上を移動する。足取りはダンスと呼ぶにはあまりにたどたどしいが、今のグリンとリリナにはそれでよかった。
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