21 魔法みたいな魔法
イルヴァは自分の身体が濡れるのもお構いなく、動けなくなったグリンを抱えあげた。そのまま近くにあるベンチに運び、膝枕をしてグリンを寝かせる。
「どうだ、迫真の演技だっただろう? 可哀想だとは思ったが、今回は本気でやらなければ意味がなかったからな」
悪戯が成功した子供のように満足気なイルヴァはグリンの濡れて乱れてしまった髪を丁寧に整える。自分の額に触れる細く美しい指を見てグリンはリリナと出会った時を思い出した。
すっかり広場が暗闇に染まる中、金と銀の髪だけが美しく街灯の光に煌めく。グリンが整ったイルヴァの顔をぼんやりと見ていると、彼女は穏やかな表情で口を開いた。
「もしも君が私に剣を突き立てていたら、容赦はしなかったよ。ありったけの魔力を全て使ってでも生かしてはおかなかった。まぁ、さっき耳元で笛を吹かれた時は本当に腹立たしかったが、今回は許そう」
「……」
きょとんとした顔で見上げてくるグリンの頬っぺたをイルヴァはつつく。未だに現状を理解できない小動物のようなグリンの顔を覗き込んで、イルヴァは思わず小さく噴き出した。
柔らかな笑みを浮かべながら、小さな子供におとぎ話を聴かせるようにイルヴァは話を続ける。
「シトラの馬鹿が先走ってリリナとグリンの二人には迷惑をかけたな。しかし安心して欲しい。今頃リリナは丁重に私の城でもてなしを受けているはずだ。私はついでにこれもまたいい機会だと思い、君のことを試させて貰った。私が君を品定めできる立場であるというのも知ってもらいたかったのでね」
イルヴァは腕を伸ばしグリンの衣服を埃を払うように優しく払った。不思議と触れた場所の水分が蒸発し、服はあっという間に洗濯したかのように綺麗になる。
最後にグリンの銀髪を手櫛で整えるとそっと頭に手を添えた。乾いてふんわりとしたグリンの髪がイルヴァの手をくすぐる。
「ふむ。やはりどこもかしこも限りなく人間のものに近いな。これからはあまり無茶をするなよ、グリン。気を付けなければ君の身体は一瞬で『壊れる』ぞ」
イルヴァの言葉をグリンは身を持って実感していた。今は自力で立ち上がることすら難しい。ここまで身体に力が入らない経験はしたことがない。
イルヴァは一体どこまで自分のことを知っているのだろうかとグリンは不思議に思った。グリンは目線でイルヴァに疑義の念を送ると、彼女はゆっくりと頷いた。
「私だって何もかもを知っているわけではないさ。今回の一連の騒動についてはわからないことだらけだ。基本的には尋常ではない魔力の塊が空から落ちてきた事実をもとに、あくまで推測で話をしているだけだよ。ただリリナが、落ちてきたグリンを受け止めてくれたのは確かだろうな」
「……」
「君がどうして天からやってきたのかは今は言わなくてもいい。ただ今は元の場所に帰る気は無いのだろう?」
グリンははっきりと頷く。竜の住む天界に戻る気はグリンにはもうなかった。
「だったら、今グリンが知らなければいけないのは自分の身体の特性についてだろうな。リリナから使い魔になり、その後に森を焼いてしまった話は聞いたよ。その時にグリンは魔力を帯びた雨を浴びたんだろう? だから君はその魔力で竜だった頃の名残の身体能力を発揮できたわけだ。おそらくその燃料が私との鬼ごっこでちょうど尽きたというわけだな」
グリンは腑に落ちた。自分の身体は魔力を失ったのではなく使い果たしていたのだ。もっとも人間の身体になり、自分の意志で魔力を生み出せない今、そこに違いはないのかもしれないが。
「そして人のものになった君の身体は竜の時と違って自分では魔力を生成できない。……少なくとも今はな。しかしグリンの身体が小さくなっても、魔力の器そのものに関しては竜でいたときのままである可能性が高い」
グリンに話しかけながらイルヴァは空いた手の人差し指をくるくると回す。すると小さな灰色のつむじ風が生まれて、ふわりと飛んでいくのがグリンの視界に映った。
放たれた小さな風は水浸しになった石畳をなぞり、徐々に水を蒸発させていく。めくれ上がり、飛び散っていた石片は吹き上げられた風に乗り、元の場所に収まった。水の槍による穴が全て埋まり、無数のひびも消えてすっかり綺麗になる。
あれだけ荒れ放題だった広場は瞬く間にすっかり平穏を取り戻した。
グリンはリリナの言葉を思い出していた。まさしく『魔法みたいな魔法』。
本物の魔女が今、目の前にいる。
「別に難しいことをしているわけではないさ。足りないものを補って、溶かしてまた固めただけだよ。ふふ、興味津々といった目の輝きだな。しかし竜の力ならこんな振る舞いは容易いことだろう?」
「……」
グリンは口をつぐむ。落ちこぼれの自分は高等な魔法を教わったことはなかった。
確かに天界にいた時の頃のグリンでも竜の持つ膨大な魔力にものを言わせれば、見渡す限りの大地を火の海にし、目につくもの全てを吹き飛ばすことくらいは造作もない。おそらく今回のようなイルヴァの魔法による攻撃も受け付けず、身体には傷一つ残ることはなかっただろう。
だが、それがなんだと言うのだ。
眼前で魔女に本物の魔法の使い方を見せられた後ではそんな蛮行などとても誇ることはできない。本来は不可能はないと言われる竜の力こそ、このように扱い、使いこなすべきなのではないだろうか。
「竜であるグリンが人の姿になったのには理由があるんだろうな。今後、一定の魔力がグリンの身体に満ちれば、元通り竜の力が使えるようになると思う。しかしそれにはどれほどの魔力が必要になるかは考えたくはないな。正攻法では空っぽのライム湖にバケツで水を足すような芸当になるだろうから」
イルヴァによると今のグリンの身体では元の竜の力を自由に使えるようにはならないという。遠回しな物言いだったがグリンが感傷に浸ることはなかった。グリンが今興味があるのは魔女の魔法だったからだ。
仰向けに寝ているグリンの視線の先には満天の星空が広がっているが、彼が必死になって同胞の住む天界の島を探すことはない。
それよりもこの地上の世界にはもっと好奇心を刺激するものが無数に拡がっているとグリンは既に気が付いていた。
「お互いの立場を忘れ、こうしてのんびり語らうのは私にとっても心地の良いものだが、そろそろグリンの御主人様を迎えに行くとしようか。ほら、手を出してごらん。また歩き回れるくらいには私の魔力を分け与えよう」
「……?」
「どうして世話を焼いてくれるのかって顔をしているな。私がこんなに君とリリナに構うのは、私がリリナの母親、シアと旧知の仲だからなのさ。今、シアはやるべきことがありこの地から遥か彼方にいると聞いている。私は母親が留守の間にあの子に危害が及ぶのが我慢ならない。つまり知り合いとその使い魔にお節介を焼いているだけだよ」
どこか照れたような早口でイルヴァは言葉を並べたてた。魔女についてグリンは良く知らないが、彼女の行動は単に同族を気にかけているだけではないようにグリンには思えた。
「さて城にいるリリナに会いに行こう。そして今日はそのままゆっくり城内で休んでくれ。明日、責任を持ってリンゴンで二人をエルツの森の家に送り届けてあげるから。今後のリリナとグリンの扱いについては私の友人として扱うように、私からセレネイドの皆に伝えておく」
イルヴァはグリンの手を握って抱き起こす。想像に反して温かいイルヴァの手のひらにグリンはなんだか懐かしい気持ちになった。
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