22 ふわり、街の灯り
自然にイルヴァと繫がっていた左手をグリンはじっと見つめる。
地上の世界で人の姿になってから、皆がやたら自分の手を取りたがる気がした。おそらく幼い容姿の問題なのだろうが不快なわけではない。むしろ自分もそうするのが当然かのようになりつつあるのは不思議な感覚だとグリンは思った。
「ん? まだ聞きたいことがあるのか? ああ、そうだ。なぜ私がグリンの正体が竜だとわかったのかも触れておこう。何も最初から全てお見通しだったわけじゃないんだよ」
イルヴァはグリンの手を引いて噴水の周りをゆっくりと歩き始めた。グリンは特に疑問を抱いていたわけではないが、改めてそう言われると気になってくる。
この世界の人間にとって竜がおとぎ話の中の生き物でしかないのはリリナの家で読んだ本で知っていたが、魔女にとってはそうではないのかもしれない。
「先日、エルツの森の結界が何者かによって破られたのは、森から離れたアイトリノ城にいた私でも気が付いた。慌ててリリナの家付近の様子を遠見の鏡で見通したが、そこには雨宿りをしているリリナと既に人間の姿になったグリンしか映らなかったんだよ。リリナに差し迫った危機がないことは確認できたが、詳しい状況は私にもよくわからなかった」
イルヴァはすらすらと言葉を並べると呆けたままのグリンの顔を見てくっくと面白そうに笑った。
「とりあえずわかったのは魔女の結界を破るほどの力の持ち主がおそらく空からやってきたということだけ。そんな存在の心当たりは私にも多くはないが、どうせなら一番ロマンティックな答えを想像してみるのも悪くないだろう? それでグリンに半信半疑で竜なのかと鎌を掛けてみたら、なんと見事に正解だったというわけだ。君は無口で無表情だが、実に感情がわかりやすい子だね」
「……」
「目を見開いたあの時のグリンの顔は本当に愛らしかったよ。額に入れて飾っておきたくなるくらいだったな」と引き続き可笑しそうに笑うイルヴァを見てグリンはそっと胸元の笛に手を伸ばしかけるが……なんとか堪えた。
「余計なお世話かもしれないが、竜としての、この世界の頂点に立つ存在としての慢心が、無自覚にグリンのどこかに残っているんだろう。今の身体はどんなに俊敏に動けたとしても、あくまで人間の少年に過ぎないのだから、これからはもう少し注意深くなる必要があるかもしれないな。……例えば、グリンがシトラ達の宿舎を抜け出してこの広場にやってくるまでに、あまりにも街中に人の姿が無かったと思わないか?」
「……」
グリンは正直に頷く。答えは最後まで聞かなくてもわかった。イルヴァは魔法で結界を張り巡らせ人払いをしていたのだろう。飛空船からグリンが大地に降り立った時には既に移動する先を予測していたに違いない。広大な範囲に気を配り、自分の庭にやってきた来訪者の先導を受け持っていたのだ。
イルヴァの話を聞けば聞くほど彼女の魔力と知力の高さが窺える。自分に竜としての慢心が残っているというのもその通りなのだろうとグリンは思った。
そうでなければいくら前のめりになっていたとはいえ、ここに至る道中において結界魔法の存在を感知できないような失態は招いていないはずである。
今の自分は手を引かれる子供でいることがお似合いなのかもしれないとグリンは恥も外聞もなく素直にそう思った。
「そんな顔をするなよ。順番が逆だったな。どうも私はこういうことに馴れないんだ」
イルヴァは急に立ち止まると、膝をついてグリンの頬にキスをした。頭に疑問符を浮かべるグリンの瞳を見つめながら、穏やかに微笑んでイルヴァは思いを伝える。
「よく頑張ったな、グリン。人であることを最期まで諦めない姿は本当に格好良かったよ」
イルヴァの声はどこまでも優しく、グリンはむずがゆい気持ちになった。
「さて、ここからは少しズルをしようか。なんてったって私は魔女だからな」
イルヴァは噴水広場が隅から隅まで元の姿に戻っていることを確認すると立ち止まり、グリンに一歩下がるように告げた。
すると目の前の空間が歪み、空中に渦を巻く灰色の穴がぼうっと浮かび上がった。イルヴァは躊躇いなく手を入れると、自分の背の高さと変わらない一本の大きな杖をそこから取り出す。
「本当は転移魔法を使いたいところだが、あれは城から別の場所に繋げるように調整している最中で、今は使えないんだ。魔女の魔法とて万能ではないからな。今日はこれで我慢してくれ。それに空を飛ぶのは嫌いじゃないだろう? 私の真似をして杖にまたがり、後ろから抱きついてごらん。──っておい! 手を回すのはもう少し下だ! お・な・か!」
いきなり胸を鷲掴みにされて顔を紅くして慌てるイルヴァに、今度は腕の位置を下げてグリンが後ろからしっかりとしがみつく。二人の身体は瞬く間に宙に浮かび上がった。
「竜と違って飛べるのは城が見える範囲だけなんだがね。どれ、せっかくだから少し楽しませてあげようか」
暗闇の中を二人を乗せた杖はふわりふわりと漂い、みるみるうちに上昇していく。城を中心に無数の街の明かりが点々と放射状に拡がっている光景にグリンは息を呑んだ。あの数え切れない灯の一つ一つがそこで人々が生活している証なのだろう。
竜であった頃、グリンは天界での行動を制限されていた。自由を認められていなかったグリンが地上の世界をこんなに近くで俯瞰したのは初めての経験だった。
星空をひっくり返したような光景をグリンは夢中で眺めた。
「今度はリリナとグリンに私の創ったアイトリノの街をゆっくりと案内したいものだな」
イルヴァの言葉に頷きながら、心地よい風を受けてグリンは目を細める。グリンの胸の高鳴りを察知したのか、イルヴァは上下逆さまに何度も円を描いて飛びグリンを喜ばせた。
最後にイルヴァはわざと大回りをして城を囲む塔の間を縫うように飛ぶと、城の最上部にゆっくりと近づいた。そこにお目当ての人物を見つけると、ひらりと旋回しゆっくりと高度を落としていく。
「ちょうどいい、御主人様がお待ちだよ」
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