14 親衛隊長の曲解

(こら! はしたないでしょ! お風呂以外で人前で服を脱いだら駄目なんだってば!)


 家に帰ったらグリンには教えなくてはならない常識はまだ沢山あるなと思いながら、リリナは小声で言葉を続けた。


(さぁ、飛空船の内部を見ておいで。どの乗組員の人もグリンが来たら歓迎してくれる思うよ)


 珍しくグリンは言うことを聞かずに首を横に振ってリリナの足元に座り込んだ。場違いだが駄々をこねるグリンも愛らしいと思ってしまう。

 リリナは自然とグリンの頭を撫でようとするが、後ろ手に縛られた手が自由に使えないことに気が付いてしぶしぶ諦めた。


「さっきも言ったけど私はここにいるから、気にしないで。アイトリノに着いたらいずれにせよ、私が今までエルツの森に住んでいたことはちゃんと国に報告しなければならないからね」


「ふぅん。殊勝な態度ですね。まぁ抵抗の意志が無さそうなので慈悲としてグリン君とは一緒に居させてあげているのですけど。私にはその後にゆっくりグリン君と語らう時間がありますからね」


「……一つ聞きたいのですが、私達を捕らえたのは女王様の指示ではないのですね?」


「ええ、女王様からはエルツの森にある民家に人がいれば連れて来いとしか言われていません。それ以上の判断は私に一任されていますので、このようなをしたのは私個人の判断ですわ」


 グリンがリリナに懐いているのを見せつけられて面白くないのか、シトラは意地の悪い笑みを浮かべる。リリナはそれを意に介さず、この騒動がシトラの独断であることに胸をなでおろした。


「そうですか。……シトラさん、何度も言いますが、私は決して誘拐犯ではありません。しかし私が国に何も告げずに今まであの森で暮らしていたことは事実です。その旨を担当の方に説明させてもらう間、グリンのことをよろしく頼みます」


「ふん、言われるまでもありません。私達と過ごせばそのうちグリン君も正気を取り戻すでしょうから」


「グリンは初めからちゃんとしてますよ。本当に素直でいい子なんです。……グリン、向こうに着いたら私はちょっとお話をしてくるから。この前の留守番と一緒ね。ひょっとしたら今度はちょっと時間はかかるかもしれないけれど、必ず迎えに行くから大人しく待っててね」


 一つの確信を得て表情が明るくなったリリナに対して、グリンは徐々に彼女が自分の元から離れていってしまう実感が湧いてくる。


 グリンはできるのなら今すぐ「一人にしないで」と大声で叫びたかった。

 この場で力の限り暴れて、女王親衛隊も面倒事もすべてまとめて打ち破ってリリナと一緒に森へと帰りたかった。

 元の力を失ったとはいえ、グリンは自分の身体能力が並の人間をはるかに凌駕していると自負している。ここにいる多数の手練れを相手にしても引けをとることはないだろうとも思っていた。


 しかしリリナが強硬策を望んではいないこともまた最初からはっきりしていた。何より彼女を悲しませることだけはしたくない。

 今のグリンにはリリナを引き留める勇気も、背筋を伸ばしてリリナを待つ勇気も、どちらもない。


 結局、グリンは飛空船がアイトリノ上空に辿り着くまで自分の無力さに打ちひしがれ部屋の隅で膝を抱えていた。

 それはまさしく人の姿になる前、全てが上手くいかずに翼を畳んで身を小さくしていた頃と同じ姿だった。



 飛空船の行き先であるアイトリノは女王の居城を中心に放射状に拡がる大都市である。夕暮れの気配が訪れた街並みは整然としていて、上空から見ると等間隔に家屋がどこまでも続いている。


 窓の外からはエルツの森の中とは比べ物にならないほど人工的で発展した街並みを一望できるが、今は誰も興味を示す者はいない。静かに飛空船リンゴンは地表に近づいていく。


 最終的に船が着陸したのは城の裏手にある芝生に覆われた広大な敷地だった。

 どうやら兵士の訓練場も併設されているようで、片隅の倉庫の外には訓練用の木でできた武器や盾、魔法の的になる人形が見受けられる。


「整備班の皆様はいつものようにリンゴンの点検と風石の補充をお願いしますね」


 地上に降り立ち整列した女王親衛隊の面々は、シトラのひと声で威勢よく作業に取り掛かる。各員の生き生きとした表情はその仕事に誇りを持っていることを伝えていた。

 シトラは満足げに頷くと両脇に兵士が控えているリリナの前に歩み寄る。


「さて、誘拐犯のお嬢様は留置場に案内してあげください。彼女も今のところ抵抗の意思はないようですので、乱暴なことはしないように。しかし、もし逃げようとしたり、反抗的な態度を見せた場合はその限りではありません。私は事の顛末を女王様に報告して参りますので、戻ってきてからは私が対応します」


「なるほど、それは都合がいいですね。リリナ・フィリーナが留置場で待っていると女王様によろしくお伝えください」


「はぁ? 一国の主が貴方のことなど気にかけるはずがないでしょう? しかし、愚か者の名前だけは伝えておきましょう。私も数刻後に貴方にまたお会いするのが楽しみになってきました」


 シトラは薄く口角を上げたが、リリナもまた毅然とした態度で笑いを返した。

 二人が何を話し合っているのかグリンにはよく聞こえなかったが、身柄を拘束されながらも凛とした姿勢を崩さないリリナの姿に彼は驚いた。森での優しいリリナしか知らないグリンの脳裏に、彼女の勇ましい振る舞いは鮮明に焼き付いた。


 女騎士の一人に連行される際にリリナは小声でグリンに声をかける。


「グリン、ちゃんとお姉さん達の言うことを聞いて、お利口に待っててね」


 彼女をこれ以上心配させたくないグリンは首を縦に振るしかなかった。

 グリンの素直な様子にリリナはいつもの朗らかな笑みを浮かべると、流れるような水色の髪をなびかせてグリンの元から去っていく。


 その場には呆けたグリンと、にまにまと笑うシトラが残された。

 手鏡を取り出し、丁寧に前髪を整えると緊張した面持ちでシトラはグリンに話しかける。


「さて、邪魔者はいなくなりましたね。グリン君、あなたの身柄はしばらく私、シトラ・エトランと女王親衛隊セレネイド一同が責任を持って預からせて頂きます。とりあえずこの後は寄宿舎で共に過ごしましょうね」


 リリナを厳重に拘束しなかったことからもわかるように、実はシトラも心の底からリリナのことを誘拐犯だと信じ込んでいるわけではなかった。単にその方が都合が良かっただけである。


 この事件の解決を長引かせればシトラはその分グリンと一緒に過ごす時間が長くなる。女王に仕える親衛隊長としてはいささか即物的で軽薄な発想だったがそれほどまでにシトラはグリンにぞっこんだった。


 そしてシトラは好物を最後まで取っておく性格だった。グリンと戯れるのは女王に森での出来事を報告し、邪魔者であるリリナの処遇を決めてからで構わない。

 焦る必要はないとシトラは考えていた。庇護欲を駆り立てる少年はこれから一つ屋根の下で数日間、逃げも隠れもできやしないのだから。


「……うふふ。それでは私、少しだけ席を外します。シェリィ、こちらへ! アマネも! 私が戻ってくるまでグリン君をよろしくお願いします」


 シトラに呼ばれ、二人の女性がグリンのもとにやってくる。

 シェリィと呼ばれる肩より短い栗色の髪が快活そうな印象を抱かせる女性は、かがんでグリンと目線を合わせてほっぺたを軽くつついた。屈託のない笑みには少女のような明るさがある。


 一方アマネは柔和な雰囲気の垂れ目が特徴的で、美しい黒髪を後ろで結び前へ垂らしている。背の高さもあり、総じて大人びている印象だった。

 二人とも当然ながら女王親衛隊の一員であり、シトラとは幼なじみで信頼も厚い間柄だった。


「それじゃあグリン君、一緒に行こっか。シトラが戻ってくるまでグリン君が泊まることになる私達の宿舎を案内してあげるね」


 シェリィはそう告げるとグリンの左手を取った。右手はアマネと繋がれ、グリンは二人に挟まれてなすがままに連れて行かれる。

 今の彼には自分の意思は存在していなかった。

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