15 揺れるカーテン

「グリン君の保護者の綺麗なお姉さん、たぶん悪い人じゃないよね。私、絶対シトラはやらかしたと思うんだけど」


「同感。あの子、完全に暴走してた。まるで子供の頃みたいに。……後先考えないで一度決めたら譲らない子なのを思い出した」


「この、ふにふにおてての持ち主にやられてしまったわけか」


「まさか、ぷにぷにおてての可愛い子が好みだとは知らなかった」


 グリンを挟んでシェリィとアマネは軽口を叩く。シトラとは気心が知れた仲なのか手厳しい言葉も混ざっていた。グリンは両手を繋がれたまま、大人しく二人についていく。


 寄宿舎への道を歩きながら、二人はグリンに自分達がどんな立場で普段は何をしているのかを説明した。

 シェリィもアマネもアイトリノ王国の女王であるイルヴァ・ヴァンホッセンの親衛隊、セレネイドの一員であり、女王直属の騎士であること。


 名目上は女王の護衛をする為の組織だが、実際はまだ見習いの集団で普段は魔石に関する知識を学び、戦闘に活用する訓練をしていること。


 時には街の異変や騒動をリンゴンで駆けつけて解決し、市民の生活を守っていることなどを順番に教えてくれた。



 程なくして、三人は白を基調とした宮殿のような外観の建物の内部に到着した。三階建ての親衛隊の宿舎は横長でどことなく学校を思わせる造りをしている。

 アマネによると一階と二階が共用部で三階が各自の個室になっているらしい。


「……グリン君は銀色で綺麗な髪をしているね」


 アマネが涼やかな声を漏らし、シェリィも賛同した。


「確かに、 お人形さんみたい。いいなぁ、私も髪伸ばそうかなぁ。肌ももちもちしてるしどこからどう見ても女の子にしか見えないよね。あ、気にしてたらごめんね」


 グリンはシェリィを見上げて首を振った。むず痒くなるほど素直な反応にシェリィはグリンの頭をわしゃわしゃと撫でまわす。


「シトラがあそこまでお熱になるのもわからなくはないかも。私にそっちの趣味は無いけど、ちょっとグリン君は反則かもしれななぁ」


「グリン君にはつい構いたくなる。つまり魔性の持ち主」


「おやおや、アマネもか。グリン君はここでも苦労しそうだなぁ。私が悪いお姉さん達から守ってあげないといけないかもね」


「……シェリィは相変わらずちゃっかりしてる」


 足取りの軽い二人に連れられてグリンは建物内を連れ回される。食堂と厨房に、大浴場といった生活施設から会議室や資料室などの立ち入る機会のなさそうな場所までグリンに見せてくれた。


 ずっとヒトとは違う世界で過ごしてきたグリンにとっては全てが新鮮で興味が惹かれる場所だったが、今はどうにも気が乗らなかった。

 それでもシェリィとアマネは善意を持ってグリンに接してくれた。決してグリンの素性を興味本位で深堀りすることもなく、かといって余所余所しい扱いもしない。


 その優しさがグリンに自分を助けてくれた少女の存在を何度も思い起こさせた。

 リリナが自分をかばって捕らえられ、今頃尋問を受けていると思うと、グリンは自分だけがこの場にいる罪悪感に押しつぶされそうになる。


 人の姿になって心までこんなにやわになってしまったのだろうか。本来の力を失い、更に人としての弱さだけが表に出てくる。今の自分にはもう何も残っていないとすら思えてきた。


 両手は確かに優しく包まれているのに、自分だけが世界から切り取られてしまったような感覚。底のない思考に陥りそうになったその時、きりきりと軋む胸に冷ややかな感触があることに気が付いた。


──自分は一人ではないことをグリンはやっと理解する。


 グリンは二人と繋がれた手を離し距離を取る。不思議そうに二人が見守る中、先日リリナが首にかけてくれた胸元の笛を服の中に片手を入れてそっと握りしめた。

 冷たかった金属の笛が今は燃えるように熱く感じる。


「ん? グリン君どうかした? ちょっと休憩する?」


 ちょうどグリン達は館内を一周し、一階のロビーへとやって来ていた。グリンはテーブルの上に置かれたメモ用紙と筆記用具を見つけ駆け寄る。何枚かの紙に筆を走らせると、そのうちの一枚をシェリィとアマネに見せる。


『案内してくれてありがとう』


「わぉ! なるほどね! グリン君は言葉を話せないけど文字はちゃんと書けるんだ! これでもっと仲良くなれるね!」


「お礼もちゃんと言える。なんて偉い子」


 シェリィがグリンから礼の書かれた紙を受け取り、和気あいあいとした雰囲気になった瞬間──玄関のドアが突然勢いよく開かれた。


「うぅ……。あぁ……。グリンく〜ん〜 慰めてください〜!!」


「まったく、相変わらず騒がしいなぁ。やっぱり怒られたんでしょ?」


 冷たいシェリィの言葉にしなしなに萎れた様子のシトラは、芝居がかった仕草でグリンにしなだれかかった。


「エルツの森での出来事をイルヴァ様に報告したらなぜか叱られてしまったんです! あんな怒りを露わにする姿を見たのは私も久方ぶりです……。だから一刻も早くグリン君の顔を見て心の安寧を……ってグリン君!?」


 シトラは目聡くグリンが手にした『案内してくれてありがとう』と書かれた紙を見つけ、その顔が一気に華やいだ。


「まぁ! まぁ! まぁ! グリン君は文字を書けるんですね! なんて可愛らしい文字なんでしょう! しかしこれは革命ですね! 可能性は無限大です!」


 興奮のあまりシトラがグリンを熱烈に抱きしめようとした時、グリンの上着の袖から一枚のメモ用紙が落ちた。


『三階の部屋を見たい』 


「あら、それって私の部屋のことですか? いい機会ですね、ご案内しましょう。シェリィとアマネは夕飯の準備ができたら私達を呼びに来てください」


 勝手に話を進めたシトラは目にもとまらぬ速さでグリンを抱きかかえて駆け出した。残された二人は唖然として顔を見合わせる。


「……今、本物の誘拐犯がいたよね」


 シェリィがぽつりとつぶやいた言葉にアマネは呆れながら深く頷いた。





 グリンをお姫様のように両手に抱きかかえ階段を飛ぶように駆け上がるシトラはまさしく風のようだった。あまりの俊敏さにさすがのグリンも目を白黒させる。


 気が付けばグリンはやたら装飾の多い家具に囲まれた部屋に連れ込まれていた。ごてごてとした部屋は金色と赤色でぎらついている。壁にはこの国の女王であるイルヴァと緊張した様子でその横に立つシトラの二人が並んだ写し絵が飾られていた。


 グリンはシトラの腕の中からそっと体を離すと部屋を見渡し、真っ直ぐに窓辺へと足を運ぶ。外の様子を一瞥すると、こちらへ無言でにじり寄っていたシトラの後ろを指さした。


「え? 扉がどうかしましたか? なるほど。そ、そうですね。開けた扉は閉めないといけませんね」

 

 シトラはグリンに背を向けるとその身を落ち着かせるようにゆっくりとドアへと歩を進める。あまりの興奮にグリンにはしたない姿を見せてしまっていることを恥ずかしく思いながら、それでも懲りずに鍵をかけた。


「さて、グリン君。これで私達は正真正銘この部屋に二人きりですね……」


 シトラが頬を染めながら振り向いた時、


──グリンの姿はそこにはなかった。


 知らぬ間に開け放たれた窓からの風でカーテンがはためいている。窓際には一枚のメモが落ちており、そこに書かれていた文字は、


『さようなら』


 グリンはシトラの部屋から、音もなく消え去った。

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