18 グリンの正体
だからなんだとグリンは思った。
グリンは妖しく緑色の瞳を輝かせるイルヴァを一瞥すると、服の下に隠した笛を握りながら再び彼女を素通りしようとした。彼にとって目の前にいる女が、この国の女王であるかどうかは心底どうでもよかったのである。
あくまで感情を表に出さないグリンの態度はイルヴァにとって面白くない。女王にここまで不遜な態度を取る者はアイトリノに今まで存在しなかった。
「おいおい、探し物が見つからないのならもう少し頭を使ったらどうだ? 私がどうしてここにやって来たのかは少年でも推測できるだろう? ……私は君に呼ばれただけだぞ?」
イルヴァの挑発にグリンは足を止めた。確かにその可能性は考えていなかった。
彼女にはリリナがグリンに与えた、魔女にしか聞こえない笛の音が聞こえるのだ。ということはつまり……。
「そう。私も『魔女』だ。それに君がリリナを探していることも知っている」
グリンは初めて目の前の女に興味を持った。リリナのことを知っているということは、彼女が言っていたアイトリノの知り合いとはこの女のことだろうか。
しかし、それならばリリナが一緒にいないのはおかしいし、からかうようにグリンの後をつけてくる必要もない。
「やっと私の目を見てくれたな────『竜の子』よ」
不意の一言にグリンの目が驚きに見開かれた。
リリナにも告げていない自分の正体をなぜか目の前の女王は知っている!
イルヴァは自ら魔女であることを名乗り、あまつさえリリナとグリンの正体を知っていることも明かした。彼女の目的はわからないがここまで事の次第に精通しているとなると、この国の女王であることもまた真実味を帯びてくる。
気を引き締めたグリンは顎を引き、鋭い目つきで底が知れないイルヴァと対峙した。その瞳は青い炎のように燃え盛っている。
「いい顔ができるじゃないか、少年……。ところで、竜という生き物は万物を創造し、世界の頂点に立つ存在だと言われているな。つまり限りなく神に近い存在であるとも言える。それは人の姿をしている君にも当てはまるのかな? それとも、もう翼と一緒に竜としての尊厳は無くしてしまったかい?」
「……」
わざわざグリンの感情をかき乱すような言葉をイルヴァは並び立てた。それでもグリンは沈黙を続ける。感情を爆発させないように留めてくれたのもやはり、リリナの存在だった。彼女と会う為に自分は今ここにいるのだとグリンは想いを新たにした。
ただ、それでも目の前の魔女の女王は容赦なくグリンの感情を逆なでした。
「なぁ、なんとか言ったらどうだ。人間の言葉を話せなくても、『鳴き声』くらいは発せられるだろう? つまり君は喋れないわけではない、喋ろうとしていないだけだ。その方が都合がいいからな」
イルヴァの言葉はグリンに刺さった。確かにグリンは初めてリリナと出会った時に火の玉を吐いて森を焼いてしまった時以来、言葉を発しようとしていない。自分の喉からは声が出ないものだと信じ込んでそれを受け入れていた。
イルヴァが艶やかな金髪をかき上げる。彼女はゆっくりとグリンに歩み寄ると、身をかがめグリンの顔を覗き込みながら意地の悪い笑みを浮かべた。ふわりと香しい花の香りがグリンを包む。触れられてもいないのに体中を撫でまわされているような感覚にグリンは身を硬くした。
グリンは眼前のイルヴァの瞳から目を離すことができなかった。彼女の言葉が脳内で反響し、周囲の音は聞こえなくなりつつある。逆に目の前の女王の存在感だけが増していく。イルヴァの黒いローブの中に吸い込まれそうな気がしてくる。
「竜であることを隠し、自分の素性を知らないリリナに甘えながら、森の奥深くでのほほんと生きていく。幸せだろうな、一国の主としてはそのお気楽さが羨ましいくらいだ。さて、そんなお坊ちゃんはリリナと離れ離れになった現状をどこまで私のせいにする? シトラを差し向けたのが私であることは今ここではっきりと言っておく。 しかしこの顛末を招いたのは誰だ?」
イルヴァはグリンの目と鼻の先で容赦なく現実を突きつけた。確かに世話を焼いてくれるリリナの優しさに甘んじていたグリンはぐうの音も出ず、身体の横で拳を強く握りしめるしかない。
冷静さが残っていればグリンはイルヴァにリリナとどのような関係なのか、なぜ自分の正体を知っているのかと詰問していただろう。しかし感情を乱されたグリンの考えはうまくまとまらなかった。
正直なところ、グリンは心底腹を立てていた。情けない結果を招いた今までの自分にも、あまりにも無遠慮な目の前の女王にも。
それでも今は怒りを押し殺し、耐えるしかない。リリナの教えを守り、グリンは人間を傷つけないと心に決めたのだ。その対象が人間ではなく魔女であろうと、この場でイルヴァに八つ当たりをすれば事態は悪化するだけだ。
ただ頭ではわかっているが、グリンの昂りはなかなか治まらない。イルヴァの言うことは一々グリンの琴線に触れた。それらをわざわざ言葉にする意地の悪い魔女にやり場のない激情がこみあげてくる。
グリンは浅い意識の中、逡巡する。
我慢は──────できなかった。
グリンは身体が触れあいそうな距離にいるイルヴァから一歩身を引くと、耳打ちをするように口に手を当ててイルヴァを手招きをする。
「ん? なんだやっと自分の声で真実を話す気になったのか? どれ、聞いてやろう」
慎ましく少女のように様変わりしたグリンの所作が愉快で仕方がないといったイルヴァは、身体を傾けて横を向き耳をグリンに向けた。
油断しきったイルヴァの耳元でグリンは大きく息を吸う。
頭に浮かぶのは森でのあの出来事。
そしてイルヴァに向かって、グリンは────
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