11 こう見えて男の子

 木陰に身を隠し、グリンの手を握りながらリリナは現状を分析する。

 今まで自分がこの森で無事に暮らしてこられたのは間違いなく母であるシアが残した『魔法』のおかげだった。

 近くの村へ瞬く間に転移できる『魔女の抜け道』と、外界からの目線を隠し他者の干渉を抑制するための『緑の結界』。その二つとも見習い魔女のリリナの理解を遥かに超えている高度な魔法だ。


 そのうちの結界をグリンが無効化してしまったという。

 無論、グリンの思い違いである可能性もあるが、今までに見たことがないほど低い高度で、真っ直ぐにこちらへと向かっている飛空船を考えるとその可能性は低いように思えた。


 大魔女と言って差し支えのないシアの残した広大な結界を破って現れたグリンは、一体何者なのだろうか。どうしてもよぎるその考えをリリナは頭を振って断ち切った。グリンがグリンであることに変わりはない。今は眼前に迫る飛空船に集中しなければ。


 このまま逃げたり隠れたりが長引いてしまうのは避けたい。とにかくグリンが思い詰めることのないように行動しようとリリナは思った。


 隠しきれない焦りと不安からリリナは知らず知らずのうちにグリンを強く抱きしめていた。体温の高い華奢な身体を引き寄せる。

 リリナは不思議と心が落ち着き、一つの考えが頭に浮かんだ。


──そもそも私達は何もこそこそする必要はないのではないか?──


 このエルツの森には昔から住んでいるのだし、土地も母親のもの……なのかはわからないが、このような僻地で特別誰かに迷惑をかけているわけではないはずだ。

 仮にアイトリノ王国の所有地だったとしても森全体で見ればそのほんの一角、市街地から遠く離れた僅かな土地に大層な価値があるとは思えない。


 幸いにして母親の残してくれた蓄えはかなりのものが残っているし、いざという時の伝手がないわけでもない。

 もし母親が無許可でこの場所に住んでいたとしても、これを機に王国に正式に居住の許可を得られるように交渉すれば良いのではないか?


「大丈夫……。まずは落ち着いて自己紹介をした後に話し合いをしよう。私達は何も悪いことはしていないはず……。もしかしたら、してきたかもしれないけれど、悪気はないし……あっ!」


 リリナはグリンのさらさらした銀髪を撫でながら数日前の出会いに思い当たった。

 異様な焦げ方をした木々とぽっかりと空いてしまった土地。数日前に青い炎が森を燃やし尽くしてしまうのではないかと焦った記憶が鮮明に甦る。

 腕の中のグリンの青い瞳が上目遣いにリリナの顔をじっと見つめていた。


「もし飛空船が森の火事の件でやって来たなら、第一印象はちょっとよくないかもね……。素直に謝ったら許してくれるかな?」


 二人が顔を見合わせる中、飛空船は既に目と鼻の先で着陸態勢に入っていた。





「やはり姫様の仰った通りです! 皆さんも空からあの民家を確認できていますね! 今から地上に降りますよ!」


 アイトリノ王国が所有する飛空船リンゴンは高度を下げるとちょうど焼け焦げて開けた大地に降り立った。そこはリリナとグリンが畑を耕そうと考えていた場所でもある。

 リリナ達の住む家よりもかなり大きい飛空船が着陸できる場所を、グリンの吐き出した火炎によって提供してしまったこともまた二人にとっては不運だった。


「いいですか? くれぐれも油断してはいけません。あの建物はつい先日まではこの場所に確認できませんでした。突然現れたのです。そしてこの船の近くに残された異様な火災の跡。なにかしら得体の知れない気味の悪さは皆さんも感じるでしょう? まずは私が先行するので、残りの方々はその後に続いてください。船の警護にも人員を割くようにお願いします」


 甲板ではきはきと声を上げるシトラに続き数名の兵がタラップを伝い船から降りる。

 全員が女性で構成されているイルヴァ女王親衛隊の一様は、地上に降りると円を描くように並び、腰のレイピアを抜いて天に掲げた。

 シトラは仲間を代表して高々と声を上げる。


「私達がここにやってきた意味を考えましょう。姫様曰く目的はあくまでこの森に住む人物の送迎だそうですが、私はそんな生温い話で終わるとは思っていません。例えば得体の知れない対象が抵抗し、武力を行使してきた場合は毅然とした態度で望まねばなりませんね? そうでしょう? なぜなら私達は女王様の剣なのですから!」


 十人ほどの女騎士達は互いに声をかけ合い気持ちを昂らせる。それぞれが手に持つレイピアには緑色の魔石が埋め込まれ光り輝いていた。

 その凛々しい女性達の姿は隠れているリリナとグリンからもよく見えた。


「……グリン、まずいよ。あの人達はたぶんアイトリノ王国の騎士団で、それもかなりの階級が高い人達の集まりだと思う。武器に緑色の魔石が付いているでしょう? あれは風の魔法を生み出す風石なんだけど、取り扱いが難しいから余程の腕がないと自分の身体を傷つけてしまう代物なんだよね」


「……」


 リリナの不安げな様子を見てグリンの目に微かにが宿る。それをリリナは見逃さなかった。


──それは、それだけは絶対に駄目だ──


 リリナにもグリンがただ無邪気なだけの少年ではなく、底知れぬ力の持ち主であることはわかっている。それだけにリリナはその力をむやみやたらに振りかざして欲しくなかった。

 もしここで選択を間違えれば二度とこの森で穏やかな日々は過ごせないとリリナは直感的に理解した。グリンの頬に手を当てながらリリナは口を開く。


「グリン、いい? 戦わないよ。それだけは約束して? 今から大人しく姿を見せて投降しよう?」


 グリンはリリナの目をしばらく見つめていたが、やがて小さく頷いた。

──説得をする。

──戦わない。

 二人はそれぞれ異なる勇気を振り絞って立ち上がる。



「貴様ら! そこで何をしている!」


 木の陰からゆっくりと飛空船へと歩み寄ったリリナとグリンはあっさりとシトラの率いる兵士の一人に見つかった。

 リリナはとっさにグリンの前に出ると、両手に何も持っていないことを示しながら声を上げた。


「わ、私達は怪しいものではありません! 私はリリナという名で、この子はグリンといいます。私は昔からこの森に住んでいて、その、グリンは……預かっている子です!」


「……はぁ!?」


 黒髪の女騎士の表情が面食らった表情に変わる。まずこんな少女二人がピクニックに行くような格好で迷いの森の奥深くにいることが不自然なのだ。

 いきなり現れた少女の要領を得ない言葉に、彼女は警戒の色を強くした。


「何をたわけたことを言っている! このエルツの森は迷いの森と呼ばれていることぐらいお前も知っているだろう? しかもここまでの深奥に人が住んでいるわけがない! それこそ我が国の飛空船でもなければこの場所には辿り着けぬ!」


 リリナが素直に真実を告げた結果、図らずも女騎士を逆上させてしまったようだった。いずれにせよ兵士による詰問は避けられないと覚悟を決めたリリナはこれ以上悪い心証を与えぬように、それでも正直であるよう努めることにした。


「……その、この近くにコタの村に転移できる魔法がかけられた大樹があるんです。だから森の奥でも意外と快適に暮らしてこれました」


「重ね重ね馬鹿げたことを言うな! 転移の魔法を扱える方はこの国ではただ一人だけだ!」


「へっ!? そうなんですか!? あ、そっか。そうですよね。……いつかその人に会ってみたいなぁ。なんて、ははは」


 リリナは自分が失言をしてしまったことを悟った。そう、リリナの知る限り。騎士団の人間とリリナでは最初に頭に浮かぶ人物が異なるのは当然だった。


 ここで私も魔女だと言っても間違いなく信じてもらえない。

 自分の過ごしてきた日常が特殊であることを自覚していなかったのはリリナにとって痛恨だった。


「やけに騒がしいですね。どうかしましたか? おや? 女の子が二人?」


「シトラ様! 怪しい者達を発見しました! それぞれリリナとグリンと名乗り、この森で二人で暮らしているなどとふざけたことを言っています!」


「信じられないかもしれませんが本当のことなんです! 私達は嘘をついていません!」


「ふうん……。つまり彼女達はさっき見つけたあの家の家主ということですね。一見すると外見は美しいようですが内面はわかりません。それでは後は私が引き継ぎましょう」


 シトラは口元に薄い笑みを浮かべると腰に携えたレイピアの柄に手をやる。大きな緑色の風石が一瞬輝きを増したように見えた。


「よろしくお願いします、シトラさん。おい、女の背中に隠れている水色の服を着た少女もよく顔を見せろ!」


 グリンはリリナの横に出てくると素直にフードを下ろした。


「あらあら……か、かわいい女の子ですね。本当にかわいい。……かわいすぎます。あなたがグリンさん? よってたかって大きな声を出してごめんなさいね」


 グリンの顔を見るなりシトラの引き締まった表情が崩れ落ちた。グリンと同じ高さに腰を屈めると口元を緩めたまま微笑む。


「……?」


 グリンは小さく首を傾げた。微笑みながらシトラも同じように首を傾ける。


「実は、その──こう見えてグリンは男の子なんです」


 シトラの脳内に稲妻が走った。

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