9 空に浮かぶ船

 リリナがグリンと育てる畑には黄金芋こがねいもを植えることにした。

 生活用品を購入するためにエルツの森からよくリリナが足を運ぶコタの村の人々から都合よく苗を分けてもらえることになったのだ。

 皮から中まで文字通り黄金色をした黄金芋は蒸すと更に色が濃くなり、甘みのあるホクホクとした味わいになる。主食からお菓子にまで色々な食べ方ができ、保存も利くのでリリナの生活にも欠かせない食材だった。

 グリンが最初に食べて以来お気に入りのシチューにも必ず入っているので、その話を聞いた時、グリンはご満悦だった(ように見えた)。


 育てるのにあまり手のかからない作物だとは村の人から聞いたが、もし上手くいかなくても何度も試行錯誤すればいい。つまるところ、リリナはグリンと共同で作業ができれば、お芋がどんな出来栄えになっても幸せだったのだ。

 今度、苗を貰いに行く時は、是非コタの村の人達にもグリンのことを紹介したいとリリナは考えていた。ただ、グリンがコタの村へ行くための『魔女の抜け道』を通れるかどうかは試してみる必要があるが。





「今日は近くのライム湖の方に行ってみようか。ここから少し歩くけど水が澄んでいて魚も沢山いるんだよ」


 明くる日、リリナの提案により朝食後の読書をせずにいつもより遠出をすることになった。グリンを村に連れて行く前に、彼には少しずつ目にする世界を広げてほしいとリリナは考えていた。

 白いブラウスにえんじ色のロングスカート姿のリリナは昼食の入ったバスケットを用意するとグリンと一緒に家を出発した。


 初めは大人しくリリナの横を歩いていたグリンだったがその落ち着きはすぐに吹き飛んでしまう。

 いきなり駆け出したグリンは目についた緑色の昆虫を素手で捕まえる。リリナに見せようとした瞬間、手の中でもぞもぞと動く感触に驚いてグリンは手を開いてしまった。羽の生えたバッタは一目散に藪の中へ飛んでいく。


「あはは、上手に捕まえたのはちゃんと見てたよ。でも虫も頑張って生きてるから、観察したらそっと逃がしてあげてね」


 グリンはまだ生き物の感触が残る自分の手のひらを見つめながらうなずいた。今の身体ではあの小さなバッタを握りつぶしてしまうことなく捕まえられる。人間の身体は他の生物に関わりやすいようにできているのかもしれないとグリンは思った。





 リリナの家の西方を流れる川を北上し、うっすらと続く獣道を歩き続ける。

 相変わらず事あるごとに足を止めるグリンに付き合っていたため時間がかかってしまったが、遂に開けた場所に出た。


 目の前に現れた向こう岸が見えないほどの大きな湖にグリンは息を呑む。

 陽光を反射する水辺に駆け寄って湖面を覗き込むと透明に澄んだ水の中に自分の顔と沢山の小魚が見えた。


「綺麗な場所でしょう? この湖がどのくらいの大きさなのかは私もよく知らないの。広さもあるけど、とにかく底が深いんだって。ここからの水脈がアイトリノ王国全体に広がって人々の暮らしを支えているんだよ」


 だから、自分の魔法で降らせた雨の影響をリリナは確認したかった。水位はいつもより高い気がするが水に濁りもなく普段と大きく変わった様子は感じられない。湖面も実に穏やかで波ひとつなかった。

 だとするとあの魔力を帯びた雨雲はどこの方角へ流れていったのか。あまりこの世界に悪い影響を及ぼしていないといいのだが。


 かたやグリンの視線は桟橋に繋がれた細長い小舟に釘付けになっていた。木製の船体は古ぼけてはいるものの頑丈な造りをしていて、二つのかいも用意されている。


「あの舟が気になるんだね。元は母さんの舟で、昔は私もよく乗せてもらってたんだ。今から二人で乗ってみようか」


 グリンの反応を窺う前にリリナは桟橋へと足を進めた。好奇心の塊のようなグリンが提案を拒むことはないのはもうわかっている。

 リリナは小舟が揺れないように押さえながら先に乗り込むグリンを見守り、自分も後に続く。


 二人が乗ってもどっしりと安定している舟はリリナが櫂を漕ぐとゆっくりと進み始めた。

 きょろきょろとせわしなく視線を動かすグリンの瞳は輝いていた。水面を滑るように進む感覚が不思議で、身体が風を受ける感覚が心地よい。

 左右に首を振って流れていく景色を確認していたグリンだったが、すぐに自分で櫂を漕いでみたくなった。


「ん? じゃあ、はい交代。いい? 力を入れすぎないで、ゆっくり大きく動かしてね」


 グリンはリリナに助けてもらいながら舟を漕ぐ。ふらふらした舟の挙動に驚いたのか近くで大きな魚が跳ねた。

 グリンは思わず手を止め、波紋が広がる湖面に目を奪われる。


「ふふ、グリンは本当に動物が好きだね」


 グリンは湖面から目を離さないまま頷く。自分は予期せずに人間の姿になってしまった。ただこうして未知の生物を見る度に新鮮な驚きを得られるのならこうなってよかったのかもしれないと、グリンはほんの少しだけ思った。





 二人は時間をかけてぐるぐると湖の上を巡り、小舟の上で昼食を済ませて帰路に就いた。

 湖からの帰り道、グリンは上機嫌なのか実に足取りが軽い。おそらく急に走り出したら追いつけないだろうと思ったリリナは迷子対策にあの笛を渡していてよかったとしみじみと思った。


 リリナが揺れるポニーテールを必死に追いかけていると、元気が有り余っている様子のグリンがなぜか急に立ち止まる。グリンは目の上に手をやり光を遮ると空を見上げた。


「また暇がある時は遊びに来ようね。今度は釣りでも……ってどうかした? 何か珍しい鳥でもいたの?」


 リリナも同じように空を見るが特に目立つものはない。空を指さすグリンが何かを訴えるようにぐいぐいと袖を引っ張るが見えないものは見えない。


「はは~ん。グリンは私をからかってるんだね! そんないたずらっ子にはこうだ!」


 脇腹をくすぐられグリンは身をよじるが頑なに空を指さすことは止めない。なんだか楽しくなってきたリリナが一通り満足してまた空を見上げると今度は確かに小さな茶色い物体が空を飛んでいるのが見えた。


「ん? ああ、ごめんごめん。伝えたかったのはあれかぁ。飛んでるのはアイトリノの飛空船だよ。風石の力で空を飛んでるんだ。グリンはすごく目がいいんだね」


 リリナは謝罪の意味でグリンの頭を撫でたが彼の目はずっと飛空船に向けられたままだった。


「大丈夫、あれは空から国土の見回りをしているだけだから。私も何度もこの近くを飛んでいるのを見たことがあるよ」


 リリナは腰を落としグリンと同じ目線になって空を見上げた。彼を安心させようと小さな手を握って言葉を続ける。


「家の周囲には母さんの残してくれた魔法の結界が張り巡らされているから、私達のことは空からは認識できないの。そのおかげで私はこの辺鄙な場所でも安全に一人暮らしをしてこれたんだから」


 ふとしたリリナの言葉を聞いてグリンは思い出した。

 自分が時の不思議な感触を。確かあれは、


───感覚ではなかったか?


 慌ててグリンはリリナの手を引いて木陰へと身を隠す。戸惑うリリナの掌にグリンは言葉を紡いだ。


「召喚の時……僕が……結界を……破った?」


「……!!」


「ええええ!! そうなの!?」


 慌てふためく二人を尻目に空に浮かぶ飛空船の姿はみるみるうちに大きくなっていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る