8 魔女を呼ぶ笛

 リリナはグリンに構いたくて仕方がない。グリンもそれを拒む様子はなく、必然的に二人は常に一緒にいた。


 日が昇り目が覚めると朝食を食べ、食後はしばらく二人で本を読むのが日課になった。リリナが読み聞かせる必要はなく、グリンは一人で本を読むことができる。リリナは少しだけ寂しかったが、同時に感心もしていた。知的好奇心が旺盛なのはきっとグリン生来のものに違いない。


 内容を本当に理解しているかどうかは別としてグリンは絵本から魔女のリリナですら難解な母親の残した魔導書にまで満遍なく目を通した。

 様々な本を読み漁りながら特にグリンが興味を引かれたものは作物の栽培に関する文献だった。

 ただ、実際にグリンは植物を育てた経験はないらしく、リリナも母が世話していた植木鉢に見様見真似で水をあげているだけであまり詳しい知識はない。


 それでも庭の植木鉢が変わらずに花を咲かせているのは、一人暮らしをする自分に母親が気を遣って手のかからない品種を残してくれたからだろうかとリリナは今更ながらに思いを巡らす。一つの植物を通じて、確かな母との繋がりがそこにはあると思える。

 ならば同じ幸福感をグリンに与えてあげるのはやぶさかでない。


「確かに野菜や果物を自分の手で育てて、おいしく食べられたら素敵だよね」


 リリナの漏らした言葉にグリンは頷く。さて、どうしたものかとリリナはグリンの為に必死に脳を働かせて──炭が肥料になることを思い出した。


 そう、リリナはグリンが焼いてしまった場所に自分達の畑を作る提案をしたのだ。自画自賛したくなるリリナの案にグリンはいつもより嬉しそうに首を縦に振った。





 頭の後ろで束ねたグリンの長髪が馬の尻尾のようにリリナの眼前で揺れる。二人は散歩がてらに畑の予定地を見に行くことにした。

 グリンはリリナが村で手に入れてきた衣服に身を包んでいる。フードの付いた空色の上着にポケットの多い紺色のズボン。足元は質の良い革の黒い編み上げブーツを履き、リリナのお下がりの焦げ茶色のポシェットには飴玉と鉛筆、掌に収まる小さな帳面が入っている。


 ただグリンはあまり自分の意思表示をしないので紙に文字を書くことはほとんどしようとしない。グリンが誰かに頼ることに慣れていない気がするのはリリナの気の所為だろうか。


「この森にはここにしかいない生き物が沢山いるんだよ。花も木もそんじょそこらじゃ見られないものばかりなんだから」と得意げなリリナの後をグリンはついて回った。濃い緑に映える色とりどりの花と絶えることなく聞こえる鳥のさえずり。心地の良い晴れた陽気に自然と二人の足取りは軽くなった。


 目につく木々や昆虫に留まらず、道端の石ころにまで目につくもの全てに興味を示すグリンの様子は微笑ましかったが、次第にリリナは気が気でなくなってきた。

 少しでも目を離すと、いや目を離していなくてもグリンの姿が視界から消えるのだ。

 焦って名を呼ぶと横や背後から服を引っ張られ、ここにいるよと主張される出来事が何度もあったのである。


 リリナの顔が何度も泣き顔と安堵の笑みを行ったり来たりしているうちに、彼女は消えるグリン対策として一つの対策を思いつく。お守り代わりに身につけていた、母がくれたネックレスを胸元から取り出した。


「──そうだ! じゃじゃーん! グリンにはこれをあげる。その鎖に繋がれているのは魔女にしか聞こえない音で鳴る笛なの。しかも魔女の生み出す魔力に共鳴するから、魔女が近ければ近いほど大きく笛が震えて、大きな音が鳴る仕組みなんだ。迷子になった時でもすぐにこれを吹けば、私はすぐにグリンを見つけられるからね。私の姿が見えなくなったら必ずこれを吹くんだよ? いやぁ~、実はこの笛には私が子供のときもお世話に──」


 グリンはしげしげと掌の上に載る銀の鎖がついた小さな白い単管の笛を眺める。

 そしておもむろに口にくわえ、リリナが止める間もなく……思い切り吹いた。


「ふぎゃあああ!!!???」


 魔女にだけ聴こえる大音響にぐわんぐわんと脳を揺さぶられたリリナは両耳抑えてうずくまる。つるりとグリンの手から滑り落ちた笛は地面の上に落ちても大きく振動し跳ねまわっていた。


「こ、こらぁ!! 少しは我慢を覚えなさい!!」


 鬼の形相をしたリリナにグリンは両側から耳を引っ張られた。その顔はいつも通り無表情に近かったが、怒られているはずなのに少しだけ嬉しそうだった。





 グリンとリリナは一日の終わりに欠かさず一緒に裏庭の温泉に入った。リリナは入浴前から入浴後までずっとにやにやしている。なんだかにやけてしまうのだ。


「ちょうど菜園を作れるほどのスペースがぽっかりできてて良かったねぇ。あとは何を育てるかじっくり考えようか」


 慣れてきた手つきでグリンの身体を洗ってあげながら、リリナはその日の出来事や人間社会のことを毎日グリンに少しずつ話した。


「一般的にこの世界で魔法使いと言われたら、魔石使いのことを指すんだよ。ん? 私? 魔女は自身で魔力を生み出せるから魔石を使わずに魔法を使えるの。生まれながらに、魔石に頼らずに魔法を使える存在が魔女ってことだね。この身一つでこの世に起こり得ることはなんでもできちゃうんだから」


 グリンはリリナの話を聞きながら頭の中で学んだ知識を結びつけていく。夜に火を使わずに部屋を明るくする灯りや、蛇口から綺麗な水が出てくるような一見些細な生活の知恵にも魔法や魔石の力が働いているに違いない。

 

「……まぁ、私はまだ見習いで魔力の制御がほとんどできないから、日常生活では魔石を使うしかないんだけどね」


 湯に浸かりながら照れ臭そうに話すリリナは淡々と自分の現実を受け入れているようにグリンには見えた。


 一方、自分は人間の姿になった結果、元の身体とその力を失ってしまったことになる。どちらが良かったのかはグリンにはわからないが、両方を選べなかったのがいかにも自分らしくて情けなくなった。


「でもグリンからは微かな魔力を感じるの。コツがわかればすぐに魔法が使えるようになるかもしれないよ。今度試しに簡単な呪文を教えてあげるね。もしも本を読むみたいに、あっという間に魔法を習得されたら私の立場がないから少し困っちゃうけど。でも私が魔法の先生になったと知ったらきっと母さんはすごく驚くと思うなぁ、それに……」


 言葉を選んでいるリリナに、グリンは首を傾げる。グリンがリリナの顔を覗き込むと微笑んで彼女は口を開いた。


「……母さんなら絶対にグリンをもとの姿に戻す方法を知っているだろうから。もちろん私が起こした問題は私が解決しなければいけないけれど、やっぱりこういう時は側に居てくれたらなぁと思っちゃうよね」


「……」


「人間の世界では説明がつかないことも『魔法みたい』って言葉で表現するんだけどね。母さんの使う魔法はまさにその通りなの。何もないところになんでも出せちゃう、まさに魔法みたいな魔法なんだから」


 リリナは手のひらで湯を掬い上げて目の前に掲げてみせた。

 母親のことを誇るリリナの目はキラキラと輝いていて、グリンにとってはいつになく眩しく感じた。

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