2 かわいいくしゃみ

 リリナの目の前に忽然と現れた銀髪の少女は生まれたままの姿だった。

 慌てて羽織っていたローブを着せようとしたとき、とんでもないものがリリナの目に入った。


──おちんちんである。


 目の前のどこからどう見ても可憐な女の子は、実は男の子だった。

 リリナは一瞬身を固くするがすぐに気を取り直しローブを少年に被せて前を合わせる。


「だ、大丈夫? 君は誰? 一体何があったの!?」


 畳み掛けるように尋ねるが少年は身動ぎ一つしない。焦点のあっていない青い瞳からは全く感情が読み取れなかった。

 色白の肌にまとわりつくように広がった透けるような長髪に目を奪われながらリリナは言葉を続けた。


「ええっと、もしかして頭を打ったりしたのかな。どこか痛いところでもあったりする? ま、まさか記憶喪失!?」


 尋常ではない少年の様子にリリナは焦りが募る。顔を覗き込み、目線を合わせ、手足をペタペタと触り、最後に頭や背中をいろいろな角度から眺めてみるが幸い外傷はないようだった。


(うん、怪我はないみたい。でも本当に奇麗な子……)


 これ以上ないほどはっきりと男の子だと判明したが、整った顔と華奢な体つきは中性的でどこか神秘的な雰囲気をまとっている。きっと天使が存在するのならこんな容姿をしているのだろうとリリナは漠然と思った。


 リリナに体を触られた少年は、まじまじと自分の腕から指先へと視線を這わせる。唖然としたままゆっくりと手の平を開いたり閉じたりした後、急に表情が歪んだ。


 はっきりと姿少年は顔をくしゃくしゃにして声を出さずに涙を流した。


「わわっ、泣かないで。私がいるから大丈夫だよ。言葉が通じないのかな? ううん、どうしよう……」


 リリナは世界が終わりかけているかのような少年の姿を見て心が痛くなる。とにかく泣き止んで欲しい一心でリリナは少年の身体をそっと抱き寄せた。豊満な胸にうずまる小柄な少年の頭を撫でながら考えを巡らせる。早急に何が起きたのかを整理しなければならない。



 まず大前提として魔力の制御すらできない自分が、魔法陣で使い魔を召喚するなどという高度な魔法を使えるはずはない。

 自分で断言しておいて悲しくなってくるがそれは揺るぎない事実だ。今までに数え切れないほど試みた使い魔を召喚する儀式は一度も成功したことがなく、その度に地面に芸術作品を残しただけだったのだから。


 それではこの腕の中の温もりはなんだというのか。

 人里離れた森の奥深くに、偶然どこからともなく眩い光を放ちながら全裸の美少年が通りかかったとでも?

 馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

 やはり今までの全てが覆ったことを受け入れなければならない。彼がこの場所にいることだけが真実なのだから。


 私の描いていた魔法陣がこの男の子を何処から呼び寄せ、この地に召喚してしまったのだ。自分でもまだ信じ難いがそれしか可能性は残されていない。

 もう認めるしかない。私の魔法陣は作動してしまった。


 そして彼は泣いている。泣かせてしまったのは自分だ。私はなんてことをしてしまったのだろうか。


 後悔がじわじわと胸に広がっていくが今はそれどころではない。私はなんとか声を絞り出した。


「……ねぇ、よかったら私に君のことを教えてくれないかな? 君の名前はなんて言うの?」


 リリナは腰を落とし少年と目線を合わせたが返事はない。透き通る青い瞳はリリナではなくどこか遠くを見ているようだった。


 どうしたものかとリリナが頭を悩ませていると、泣き止んだ少年はそっと彼女から身を離した。

 今度は眉間にしわを寄せて喉を触っている。引っかかった魚の骨が気になっているような仕草だった。


「どうしたの? 外傷はないみたいだけど、どこか違和感があるのなら私の家でちゃんと──」


「……くちゅん!」


 リリナの言葉は顔を逸らした少年の可愛らしいくしゃみによって遮られた。

 裸だから体が冷えていたのかとリリナは納得した。しかし、なんて愛くるしいくしゃみなのだろう。リリナの緊張していた身体から一気に力が抜けた。


(そうだ、焦っても仕方がない。まずは落ち着こう)


 リリナが口元を緩ませ微笑ましい気分に浸っていると、急に自分の身体の左側から異様な熱を感じた。

 一体なんだろうとリリナは顔に笑みを残したままゆっくりと視線を向けると、


──森が青く燃えていた。


 少年から放たれたのは正確にはくしゃみだけではなかった。少年は目にもとまらぬ速さで口から火の球を吐き出したのだ。

 尋常ではない速さで広がっていく異様な青の炎を少年は空虚な瞳で見つめていた。


「え!? ああ! ちょっと待って、嘘でしょ!」


 黒い煙があっという間に勢いを増し、木が焼け焦げる匂いがしてきた。しかもただの炎ではないのか、火のついた木々は瞬く間に溶けるように燃え尽きていく。

 一刻を争う事態に冷や汗が噴き出してくる。リリナに考えている時間はない。


 エルツの森のこの辺りには村や街はなく、あるのはリリナの住む家だけだった。


 誰の助けも期待できない。


 つまり、目の前の火を消す為にはリリナが制御の出来ない魔法を使うしかなかった。

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