28. スクランブル交差点

「え、恵比寿って……、東京の?」


「そうそう、君にとっては懐かしいだろ?」


 ベンは言葉を失った。


 転生してもう長い。日本へ戻るなんてことはとっくにあきらめていた。自分はトゥチューラで新たな人生を築いていくのだ、とばかり考えていたが、会食で気軽に誘われてしまった。それも恵比寿で焼肉なんて転生前でもなかなか行けなかった所である。


 ベンは手を震わせながら言った。


「そ、そ、そ、それは……ぜひ……」


「その交換条件としてこれ履いてきて欲しいんだよね。背景はその時に説明するからさ」


「え? 履くんですか……?」


 ベンはもう一度ガジェットを持ち上げてしげしげと眺める。こんな人体実験みたいなことに協力するなんてまっぴらゴメンではあるが……、恵比寿の焼肉であれば仕方ないだろうか?


 悩んでいると魔王は追い打ちをかけてくる。


「松坂牛のトモサンカク、その店の看板メニューだよ。どう?」


 トモサンカク!


 ベンはその一言で陥落した。サシの綺麗に入った希少部位。それも松坂牛ならトロットロに違いない。思わず唾が湧いてくる。


 便意を高める方法は複数持っておいた方がいいのは、ダンジョンで痛感したことでもある。こんなガジェットに頼るのは気分いいものではないが、魔王に悪意がある訳ではなさそうだ。ここはありがたくいただいておいてトモサンカクを食べた方がいい。


「分かりました。トモサンカクなら履きますよ」


 ベンはそう言って、ややひきつった笑顔を見せた。



       ◇



「うわぁ! 何なんですのこれは?」


 渋谷のスクランブル交差点に転送されたベネデッタは、目を真ん丸に見開き、ベンにしがみついて聞いた。


 四方八方から多量の群衆が押し寄せ、ベネデッタのそばをすり抜けていく。目の前には巨大なスクリーンがアイドルの煌びやかなライブを流し、後ろでは山手線や埼京線が次々とガ――――! という轟音を上げながら鉄橋を通過していく。


 ベンは懐かしい東京の雑踏、にぎやかな街の音に胸が熱くなっていた。ただ、見慣れないものもある。なんと、超高層ビルが何本もそびえているではないか。いつの間にこんなビルができていたのだろうか?


 やがて赤信号となり、歩行者がいなくなると今度はバスやトラック、タクシーが突っ込んでくる。


 パッパ――――!


 きゃぁ!


「こっちこっち!」


 ベンは急いでベネデッタの手を引いて歩道へと引き上げる。


 ゴォォォ――――。


 上空をボーイングの旅客機が轟音を上げながら羽田への着陸態勢を取って通過していった。そして、目の前をホストクラブの宣伝をするデコレーショントラックが爆音を上げながら通過している。


 ベネデッタは固まってしまう。幌馬車がカッポカッポと石畳の道を歩くような景色しか見てこなかったベネデッタにとって渋谷の景色は刺激が強すぎた。


「ははは、ビックリしたかな? これが日本だよ」


 ベンはにこやかに言った。


「なんだかとんでもない……街ですわ……。なぜベン君はご存じなの?」


 ベネデッタは眉間にしわを寄せながら聞く。


「それはまたゆっくり話します。まずは……何か美味しいものでも食べましょう」


 そう言ってベンはベネデッタの手を引きながら歩きだした。


 魔王からは、

『会食までまだ時間あるから渋谷でもブラブラするといい』


 そう言われて、最新型のスマホをもらっている。これで電子決済もできるそうだからベネデッタと渋谷を満喫してやろうと思う。


 適当に喫茶店に入り、ベンはコーヒー、ベネデッタはパフェを頼んだ。


 パステル色の店内は若い人でいっぱいであり、甘酸っぱい匂いに満ちている。


 そう、渋谷ってこういう街だったよなぁ、と、ベンはなつかしさについ目を細めてしまう。



       ◇



 その頃、はるかかなた宇宙で動きがあった。


「んん? この小僧か?」


 小太りの中年男は空中に開いた画面に渋谷のベンを表示し、ジッとのぞきこむ。


 男の後ろの巨大な窓には満天の星々がまたたき、下の方には巨大なあおい惑星が広がっている。その碧い水平線が巨大な弧を描き、そこからはくっきりとした天の川が立ち上っていた。


「ステータスはただの一般人……、むしろ貧弱じゃな。こんな小僧使って魔王は何をやるつもりかのう……。ちょっとお手並み拝見してやるか。グフフフフ」


 男はいやらしい笑みを浮かべ、画面をパシパシと叩いていった。


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