14. 一万倍の約束
あまり使いたくない手だったが、この際なりふり構っていられない。ベンは少し離れて空に向かって叫ぶ。
「シアン様! お願いです! 出てきてくださーい!」
すると、ポン! という音とともにぬいぐるみのシアンが現れて、楽しそうにクルクルッと回ると、
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン! やっぱり便意が欲しくなっただろ?」
と、ドヤ顔で言った。
ベンはそのドヤ顔が悔しくてキュッと口を真一文字に結んだが、今は便意に頼らざるを得ない。
「お、お願いします!」
ベンは頭下げて頼む。
「じゃあ一万倍出してね?」
シアンは悪い顔でニヤッと笑って言った。
「い、一万倍!?」
ベンは固まった。千倍でもあんなに苦しかったのに一万倍とか、この女神はなんてことを言うのだろうか?
「嫌なの?」
「い、いや、一万は耐えられないですよ」
「やってみなきゃ分かんないでしょ?」
「やらなくてもそのくらい分かるんです!」
ベンは声を荒げて言った。
すると、ズシーン! ズシーン! と地面の揺れる音が近づいてくる。音の方を見ると、森の奥で何かが動いている。よく見るとこずえの上に巨大な一つ目が見えた。
班長は真っ青になって、
「サイクロプスだ! 逃げましょう!」
と、言ってベネデッタの手を引いた。
一行は走り出す。
サイクロプスはAクラスの魔物である。身長は十メートルを超え、筋骨隆々の躯体から繰り出されるパンチは全てを砕いてしまう。
今のこのパーティではサイクロプスは止められない。班長ですら足止めも無理だろう。
絶望が一行を包む。
「くぅ、一万倍かぁ……」
ベンは走りながらギュッと目をつぶる。
「ほら、急がないと全滅だゾ!」
シアンは楽しそうにベンの周りをクルリクルリと回りながら言った。
ズシン! ズシン! という音が地面を揺らしながら近づいてくる。もはや猶予はなかった。
「分かりました。一万倍出してみますからお願いします!」
ベンはあきらめて叫んだ。
すると、シアンはニコニコしながらベンに耳打ちをした。
「はぁ!? マジですか?」
「マジマジ! ほら、急いで!」
くぅぅぅ……。
ベンは泣きそうな顔をしながら二人を先に行かせ、木陰でズボンをおろした。そして水筒の口をお尻に差し込んで、まるで浣腸のように一気に水を流し込む。
くふぅ!
下腹部に入ってくる冷たい大量の水。それはベンの便意を一気に解放した。
ポロン! 『×10』
そして、最後の力を振り絞り、残りの水も全部流し込む。
ポロン! 『×100』
「お、いいねいいね!」
シアンは嬉しそうに言う。
ぐはっ!
ベンは鬼のような形相で水筒を引き抜く。
冷たい水が腸を刺激し、
ぐるぐる、ぎゅぅぅぅ――――。
と、猛烈な勢いで暴れ始める。
くぅぅぅ……。
ベンは奥歯をギリッと鳴らし、何とか便意を手なずけようと必死に括約筋を絞った。
そうこうしているうちにも、サイクロプスは巨人とは思えぬすさまじい速度で班長とベネデッタを猛追し、追いついてしまっていた。
「ほら、急いで、急いで!」
シアンは無責任に煽る。
くっ!
ベンは歯を食いしばった。ただ、使命感だけが彼を動かす。ベンは朦朧としながら、完全に逝ってしまった目でサイクロプスを追った。
サイクロプスは二人を瞬殺する勢いでパンチを繰り出してくる。極めてマズい状態だった。
「急が……なきゃ……」
ベンは苦痛に顔をゆがめながらピョコピョコと走っていく。
班長は盾でサイクロプスのパンチを受け止めたが吹き飛ばされ、ベネデッタは聖魔法を放つもののほとんど効いていなかった。
二人は絶望し、サイクロプスはニヤリと笑う。
「あの小僧どこ行ったんだ! 役立たずめ!」
班長は悪態をつき、ベネデッタはベソをかきながら叫んだ。
「きっと助けてくれるのだ! ベンくーん!」
サイクロプスは一メートルはあろうかという巨大なこぶしを、思いっきり振りかぶる。そして、高さ十五メートルからすさまじいパンチを撃ちおろす。
「いやぁ――――!」「ぐわぁ!」
二人がもうダメだと思った瞬間、サイクロプスの足が吹っ飛ばされ、あおむけに無様に転がった。
ズシーン!
地面が揺れ、土埃が舞う。
「えっ……?」「あ、あれ……」
不思議に思った二人は、土埃の向こうに少年がピョコピョコと動いているのを見つける。
「ベンくーん!」
ベネデッタは手を振った。
ポロン! 『×1000』
「キタ、キター!」
シアンはクルクルっと楽しそうに回る。
ベンは脂汗を流しながらサイクロプスの頭に近づくと、
「便意独尊!」
と、言いながら思いっきり頭部をパンチで撃ちぬく。
グギャァァ!
まるで豆腐みたいに頭部が吹っ飛び、やがて魔石を残しながら消えていった。
班長はその様子を見てゾッとした。パンチ一発でAクラスモンスターを葬るなど聞いたこともなかったのだ。あのパンチが自分たちに向けられたら即死である。なるほど、騎士団顧問というのは正しかった。班長は自らの無礼な言動を心から反省し、冷や汗を流した。
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