第7話 証明

 酒の余韻はまだ残っていた。

 『獰猛どうもうなる小鳥亭』で切丸きりまると一緒にボウルで浴びた酒は、思いの外強かったようだ。酒が降りかかるのと同時に香りとアルコールがあっという間に体を浸し、身体の芯まで染み通っていった。


(お前は木で出来ているからな、すぐ酔うだろうな)


 切丸のさも愉しそうな声が頭の中に直接響き、その声に頭が揺らされたような気がして、明は思わず目をつむった。


切丸きりまるは、酔わないのか?)

(酔うさ。お前は多分人間と同じ酔い方だけど、俺は本体は鉄だからな。少し違う酔い方をする)

(へえ‥‥)

(なんて言うか、気分が高揚するんだ)

(それは人間と一緒だろう)

(いや違う。酔うと頭や身体が揺れるようだろう? 鉄はアガるんだよ)

(‥‥何が違うのか全然判んないな)


 小さくため息をついて、あきらは目をつむった。例え眠れなくても人間の時と同じように行動すると、気持ちが落ち着くのではないかと思ったからだ。

 この世界にきて何日経ったのだろう。血が流れてもいない、動かせる手足も無い。食事らしい食事も摂っていないが、それでもこんな形で生きている。これまでの生活は消え去り、今は明一人がこの「空想の世界」にいる。

 ちょうど仰向けにされていたので、あきらは酒越しに居酒屋の天井を見上げた。ぼうっと眺めているとそのうち、赤く揺らめく視界の先から誰かの手がイソギンチャクのようにばあっと開き、あきらはあっという間にボウルから引き出され、布で酒を拭き取られ、かばんの中に突っ込まれたのである。



 「エルド公、今すぐその道具らを叩き起こしてくれ」


 ドーズ公の低くきしむ声が響く。

 エルド公は、部屋の真ん中にある長方形の大型のテーブルのうえに、切丸きりまるあきらを並べて置いた。そして同じかばんから金属の細い棒を二本取り出し、軽く打ち鳴らした。音叉おんさのように小さいが鋭い澄んだ音が広間に響き渡った。

 

((うわっ))


 直接刺しこむような響きに、切丸きりまるあきらは同時に飛び起きた。

 

 「ぬう。起きたかの?」

 「そのようです」


 ドーズ公が明を覗き込んだ。顔に砂粒がパラパラと落ちて来るが、当然だが顔を振って払おうにも動かないので払えない。


(大丈夫か? ドーズ公も年だし岩質っていうの? 最近よく落ちてくるんだよ)

(ええ? ちょっと嫌だな)

(……普通の砂だと念じておけ。今の身体なら目にも口にも入らねえから)


 でもまあ、気になるよなと呟き、切丸が軽く咳払いをした(ように明には見えた)。


 「……ドーズ公、直接持って確かめてみてはどうですか?」


 エルド公が明を持ち上げ、軽く砂を払いながらドーズ公に明を手渡した。ドーズ公はちらりとエルド公の顔に目をやると、ふん、と鼻を鳴らし、身体を軋ませながらゆっくりと受け取る。まるで指一つ一つが家の柱ほどの太さである。


「わしは道具とやらに選ばれたことは一度も無いが、おぬしに比べて鈍いからじゃろうのう」


 呼ばれても、聞こえなかったこともあったかも知れんのう、とドーズ公は悪戯っぽく笑った。その声は彼自身の身体の内で反響し、振動のせいだろうか、ドーズ公の顔の辺りからまた砂粒がばらばらと落ちて明の身体に当たり、明は顔をしかめる。

 そして明の身体を顔の前で返し返し見ていたドーズ公は、考え込んでしまった。


「ふーむ」

「何か気になる点でもありますか」

「いや、やはり納得いかん……昔より、一つの国や部族に道具は一つじゃ。これは昔からそうだったというだけの話ではあるが、そもそも、道具がこの世界に現れる法則性は未だにはっきりしておらん。切丸や他のもそうじゃが、道具というのは相当な力を持つ。そんな代物が幾つもポンポン同じ場所に現れる道理が判らん」

「確かにそうなのですが、本当に気付いたら私の狩小屋にあったのです」

「うーむ……」


 トパーズ色の大きな瞳が間近から明を凝視している。暗い透き通った茶色と輝く薄い金色の光彩に見つめられて、明は震え上がった。これまで現実でも日常を離れるような経験は余り無いし、友人とハメを外して遊ぶようなことも殆ど無く、つまり恋愛体験も学業も就職も仕事も何もかもがあまり変わり映えせず、本当に「普通」だったのだ。

 そう、唯奈との出会いだけが、唯一特別なものだった。学生時代から行きつけのバーで、ある日彼女を「見つけた」のだ。店に入った瞬間ふと目を上げた先に、友人達と笑い合う彼女がいた。

 バーのスタッフに聞くと、1年前くらいから通っていると言う。一緒の時間帯に飲んでたこともありましたよと言われ、唖然としたものだ。そんなに広くはない店内だ。気付かないことがあるだろうか。あのいきなり見つけたような感覚は何だったのだろう。それだけが唯一普通では無かった経験だった。

 そう、そして普通の日常を送っていてもいなくとも、ボウリングの球より大きな生きた瞳に見つめられる経験なんてあるはずがない。


(切丸、切丸!何かされそうなんだが!)

(大丈夫だって、ドーズ公は穏健派だ。道具には手出ししねえよ)


「考えても埒が明かん。ただのまな板にしか見えんが、まずは試してくれ」

「承知」

「あいや、ちょっと待てスーリオン。俺にさせてくれ」

(え?)

 

 勢いよくドワーフ族のガリエドが割り込んできた。


 「俺ももう80年ほど生きているが、道具と対峙したことはない。これから先もほぼ無いだろうから、ぜひ試させてくれ」


 そう言い放つと、エルド公の言をまたずに背中の斧をがちゃりと引き出した。


 (ええ!? ちょっと待て! これはヤバくない?!)

 (あー、ちょっとまずいかな、エルド公!)


 切丸が「止めてくれ」と叫ぶのと同時に、テーブルの上に置かれた明へ、ガリエド渾身の一撃が振り下ろされた。



 




 


 


 


 


 


 



 

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