第6話 館にて
酒席は昼を過ぎてようやく終わった。
午前からの活発な空気は少し落ち着き始めていた。時折伝令が門から入り、街の中心の『館』へ入っていく以外は、柔らかな午後の日差しの中、のどかな空気が漂っている。
エルド公らは『獰猛なる小鳥亭』を出て、『館』へ向かった。
街中は通りも狭いため、跳び馬や馬車の使用は禁じられている。伝令もいったん門で跳び馬を預ける習いだ。狭い通りを歩きながら、三人を追い越して駆けてゆく伝令を、オルドゥンは訝しげに見送っていた。
「今の伝令、南の小人族ではないか? 騒ぎの少ない土地だろうに、伝令とは珍しい」
「そうかい? 小人族とて騒ぎを起こす奴ははいるだろうよ」
ガリエドは軽く鼻歌を歌いながらふくれた腹を軽く叩き、上機嫌である。先ほどの葡萄酒と昼飯がよほど気に入ったのだろう。何とも気楽なものだ、とオルドゥンは天を仰いだ。
先ほどの話を聞いて、どうしてそうのん気にしていられるのだろう。細かい事は気にしない大雑把なガリエドの性格には、いつもやきもきさせられる。
『道具』がもう一つあるということ。
エルド公はすでに「切丸」の保持者だ。そこに重ねてもう一つ、新たな『道具』が来たという事は、彼の立場が大きく変わることを意味するはずだ。驚きと畏敬の念を受けるのか、それとも畏怖で取り囲まれるのか。その立ち位置は大きく変わるだろうし、それは今の彼ら
「もちろん、それはこのまな板が本当に『道具』であれば、の話だ」
『獰猛なる小鳥亭』で、エルド公は何でもない事かのように言った。
もちろんその通りなのだ。
水の森の狩小屋でオルドゥンはこのまな板を見ていたのだが、彼にはどう考えても『道具』であることを示す様子には思い至らなかった。『道具』なんて代物は、そう簡単にこの世には現れない。だからこそ、これは『道具』では無いはずだ。
逡巡している様子のオルドゥンに気付いたのか、エルド公は軽く彼の肩を叩いた。
「心配するな。だからこれからドーズ公に見てもらうのだろう」
これは『道具』では無い、とは言わないのだな。
オルドゥンは、心配事を全て吐き出したくなるのを、低く唸ることで胸の内に抑えこんだ。
「おお、館が見えてきたぞ! 相も変わらず、見事な壁だな! 流石はドワーフの業物だぜ」
ガリエドの言葉が狭隘な街中の路地に響いた。
街の北方の端、古の森を背に、壁と一体化した大きな石造りの建造物がそびえ立っている。
古の森の合間に突き出た、山脈の切り落としのような大きな岩に掘られた、『館』である。
当初はドワーフらの野営地だったと言われ、この地がグルカンと名付けられた後は、百数十年の時間をかけて岩の強度を落とさないよう慎重に掘り、作り込まれて現在に至る。
岩の上部から横へ伸びて円状に街を護る防壁は、ドワーフの執念にも似た技術の賜物と言えよう。ぴっちりと隙間なく積み上げられ、更に壁の所々に光るエルフ族が施した退魔用の銀の文様は、小規模の街には滅多に施されないものだ。
それは多種多様な種族が集うこの地を護ろうとする意思を、実にはっきりと示していた。
『館』の入り口は内側は常に開かれている。岩を中心に建物一つ分街側に向かって左右に増設されており、その中央、岩のちょうど真ん前に入り口と警備隊の詰所がある。詰所を通ると、左右にこの街の住人達の管理部門、設備維持管理部門、法務部門、争い事の調停部門などが続く。
詰所を過ぎて正面は、正真正銘岩の内部であり、この街の象徴とも言うべき
「久しいな、エルド公」
街に向かう一面には窓がいくつも入っているが、反対側は全く無い為、終日灯りをともさないと十分な明るさが得られない。日差しと灯りで不思議な揺らぎに満ちた空間の一角から、低くゆったりとした穏やかな声が響いてきた。
「巡回からは半月前に戻っている予定が、こちらに顔も出さず水の森に籠っていると聞いた。一体どうした。」
「申し訳ありません、ドーズ公」
「まあ、構わんよ。色々予定外の事があったようじゃの。面白い事かね?」
部屋の隅からぬうっと岩が出てきた。いや、高さはこの
岩の精であるドーズ公は、エルド公の後ろにオルドゥンとガリエドの姿を認めると、オルドゥンには軽く会釈、ガリエドにはふん、と鼻を鳴らして挨拶した。
「まずは戻りの挨拶が遅れて申し訳ございませんでした。予定外の事が起こりまして。巡回先の西の地についてですが、彼の地に『道具』が出現しました」
「何じゃと」
ドーズ公は、岩の切れ間に隠れたトパーズのような黄色い澄んだ瞳を、驚きで大きく見開いた。
「『道具』とな! また今度は何が現れたのじゃ」
「新しいものではありません。『
「リュカ谷で失われた
「ええ。ドワーフの王が入れた紋章が入っていました。
「本当か……」
ドーズ公は、信じられないというように軽く天を仰ぐ。
「エルド公、本来『道具』は国やその地が大きく変わる時に出現すると言われているのだぞ。特に
「それは私も思ってました。ここ過去二回の出現については、大きな災害や政変も無かった。魔狼の討伐など魔族の出現は増えましたが、だからと言って、均衡が大きく崩れた訳でもない」
「困ったのう、三回目じゃぞ。出たり引っ込んだりする『道具』なんて、聞いたことが無い。どれ、今持っておるのか」
「ここに」
エルド公は鞄から鞘に納められた
もちろん切丸は中華包丁なので、岩の精が持つとまるで子供のおもちゃのようだ。
ドーズ公は、切丸をそっと返し返し、細部を確認する。柄の根本に鈍く輝く、細い銀の輪。そこには常世を表すオオナズナの葉の象形文字が、ぐるりと細かく彫られていた。
「確かに、北方ドワーフの王の紋章だの」
切丸をエルド公に返すドーズ公に、ガリエドが誇らしげに胸を張った。何か言って欲し気なその顔を、ドーズ公はちらりと見やった。
「ドーズ公……実は、他にも見て頂きたいものがあるのです」
「何じゃ、まだ何かあるのか」
訝し気なドーズ公の前で、エルド公は鞄から明を取り出した。
「何じゃ、それは?」
ドーズ公は、エルド公の手にある場違いなまな板に呆気に取られている。それはそうだろう、とオルドゥンはガリエドと顔を見合わせた。
「……まな板かの?まあ、白木の良さ気なまな板じゃな。何じゃ? これがどうした?」
「このまな板は、帰りがけに立ち寄った水の森で見つかりました。ドーズ公にお見せしたい訳は、これが『道具』ではないかと思いまして」
「えええ?!」
ドーズ公はらしからぬ声をあげ、エルド公が手に持つ明に目を見張った。それはそうだろう。彼が持っているのは、まな板なのだから。
「このままでは確かにただのまな板ですね。ただ、不思議なことに、このまな板は刃物を嫌う。そして
そう言うと、エルド公は
「失礼」
そう断りを入れると、今度は腰に差していた細い剣をすらりを抜き、また明の上へかざした。
「このまな板は、刃物を嫌います。打ち下ろすと弾きますので、こちらでは近づけるのみとします。恐らく、また板の意思に切丸が反応すると思います」
エルド公は、細身の刀を明に近づける。
まだその様子を見たことのないオルドゥンとガリエド、ドーズ公は、固唾を飲んでその様子を見守っていた。
「‥‥あれ?」
かざしても一向に何も起こらない様子に、エルド公は首を傾げた。
「何じゃ、何も起こらないではないか」
ドーズ公は僅かに安堵した様子で、やれやれと言わんばかりに首を振った。
「おかしいな、どちらも反応しない」
困った様子のエルド公に、オルドゥンとガリエドが顔を見合わせた。そして、ガリエドが軽く咳払いをし、前に出て来た。
「あのよ、スーリオン」
「何だ、ガリエド。困った‥‥
「その事だけどよ。こいつら、さっきの葡萄酒で酔って寝てんじゃねえの、きっと」
ガリエドはドーズ公をちらっと見て吹き出しそうになりながら、エルド公に囁いた。
「聞こえてたぞ、ガリエド」
ドーズ公は黄色く燃える目でガリエドを一瞥すると、エルド公にうながした。
「エルド公、今すぐその道具らを叩き起こしてくれ」
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