第5話 『集いし場所』 グルカン



 グルカンは、いくつかの流れる川が集まる平原に点在する森の間にあり、周囲をドワーフが作った城壁で守られた町である。

 

 その呼び名は、古代の言葉で『つどいし場所』という意味を持つ。

 もともとは共同の水場であり、様々な種族が原始的な物々交換をしていた。

 この地では、エルフ、ドワーフ、獣人、ドラゴン、その他さまざまな種族が、それぞれに国や村を作り生きている。彼らにとってそもそも国交という観念は希薄だが、敵対する種族もあることから、無用の争いが起こらないようする必要があったのであろう。その後は共同管理し交流するための外交と交易の町として成立した。

 




(朝市、間に合わなかったな! でもちょっと早い昼飯にはありつけそうだぜ)


 切丸きりまるがうきうきしながら、さやの中でカタカタと小さく鳴いた。


(ここは?)

(グルカンさ。この地で一番大きな市場を持つ町だ。朝市に間に合えば、新鮮な食材が手に入る)

(へぇ……)


 楽しそうに話す切丸につられて、あきらかばんの隙間からあたりの様子をうかがう。何者かの話し声や動物らしき声が入り交じり、とても賑やかだ。第一、空気中に漂う匂いが違う。何かの香辛料のような匂い、土埃の香り、身体からにじみ出る命の匂い。

 

 どこからともなく鶏肉を焼いたような香ばしい香りが漂ってきた。

(何か焼いてるいい匂いがする。鶏肉かな?)

 気づいた途端にあきらは、この世界に来てからずっと「食べて」いない事に気が付いた。


(そうだな……もう昼飯の準備が始まったな。これはルカ鳥の塩焼きか。ハーブをまぶして、じわじわと焼いてる。きっとそうだ)


 くんくんと今にも鼻を鳴らしそうな切丸きりまるである。


(なあ、切丸きりまる……。俺たちはこんな身体だろう? 食事とか取らないでもいいんだよな? と言うより、取れないよな?)

(ああ、その通りだ。でも、食欲が無くなる訳じゃねぇんだぜ)


 グルカンに入ってから、エルド公は跳び馬を降り、手綱を引いて通りを歩いていた。何かを探しているのか、通行人や跳び馬らを軽やかに避けながら、あちらこちらに目をやっている。


(これからどこに行くんだ)

(エルド公の仲間と合流するんだ。オルドゥン様たちだ。昨日エルド公が言っていただろう?)


 目当ての場所を見つけたのか、エルド公はある建物の前で立ち止まった。表にいるドワーフの下男らしき男に跳び馬の手綱を渡し、ガラスがはめ込まれた木の扉を押し、中に入った。





「スーリオン! ここだ、ここ!」


 食事から酒、寝床まで提供する『獰猛どうもうなる小鳥亭』は、朝市を終えた商人や荷役人で賑わっていた。

 その奥、窓際の席から呼び掛けられ、エルド公は小さく笑った。


「ガリエド、オルドゥン、待ったか。すまないな」

「気にするな。ワシらも今着いたとこだ」


 ドワーフのガリエドが賑やかに答えた。

 背は低いが、がっちりとした太い手足をしている。身に着けている上下の上に胸当てと肩当てを着け、テーブルの上には精巧に細工された兜を置き、足元には大斧が立てかけてあった。

 その前にはすでに葡萄酒をなみなみと注いだカップが置かれ、顔が少し赤くなっていた。顔の半分から胸元まで覆わんばかりのあごひげも、口の周りは葡萄酒ですっかり湿っている。とてもじゃないが、どころではないだろう。


「ガリエド。いくら同じリンドの仲間とはいえ、呼び捨てはいかんぞ」


 眉をしかめて諭すのは、獣人のオルドゥンだ。

 栗色に輝くたてがみと、ほぼライオンと言っていい風貌の大男である。シャツの襟元や袖口からは、同じく栗色の毛並みがのぞく。ガリエド同様、胸当てと肩当ての他、身長に見合う大剣を足元に立てかけていた。


「いいんだ、オルドゥン。私も気にしていない」

「それでも今は〝エルド公″だ。この町での管理者の一人だ。義務にのっとった職名と言うものが」

「うるさい、オルドゥン。リンドの仲間内でいちいちお伺いなんて、アホ臭くて敵わんわ。お伺いたててるうちに死んじまうわ」

「ぬぅ」


 ガリエドに言い負かされ、オルドゥンは眉をしかめる。対するエルド公は苦笑いだ。


「ここに来るまで、少し寄り道をして疲れた。私も葡萄酒をもらおうか」

「おう。ついでに昼飯だ。おい親父、今ルカ鳥焼いてるだろう! それを二皿と白パン、葡萄酒を三つだ! あとエルフの旦那の為に豆のスープを一皿」

「ガリエド、食い過ぎるなよ。割り勘だぞ、割り勘」


 


 賑やかな三人の酒席の傍ら、エルド公の席の足元の鞄の中で、切丸きりまるは暇を持て余し、あきらは周囲を良く見ようと一生懸命隙間から覗こうとしていた。

 鞄の隙間から見える限り、窓にはわくがあり、ガラスがはめられていた。机や椅子なども明のいた世界にもあるものばかりで、全くの異世界という訳でも無さそうだ。

 あとは食べ物だが、匂いからすると、こちらも地球の食べ物に近い感じがする。


(なぁまな板、ここは本当に不思議なところだろう)


 あまりにもあきらがきょろきょろしているからか、切丸きりまるが話しかけてきた。


(話していることも判るし、俺たちが生きていた場所と似たような生活様式。時間の流れだって、体感してる分には同じに思える)

(それは確かに。でも、見る限り人間がいない。あと気候や土地も違うと思う。第一、俺らがこんな格好だ。)

(そりゃ、そうだけどよ)


 切丸きりまるは、あきらに指摘されて少し不満げだ。


「ルナ鳥の塩焼きと豆のスープですよ」


 小人族の給仕の娘が、料理をテーブルに運んできた。

 テーブルの上には、湯気を立てたスープと金色に輝くルナ鳥の塩焼きが次々と並べられた。スープは豆をコンソメスープのようなもので煮込んであり、窓から差し込む日の光にキラキラと光りを放つ。鳥の塩焼きも、こんがりと付いた焼き色がてろてろと輝いており、その上に美味そうなソースがかかっていた。側にはバケットに似たパンらしきものも添えられている。


「ここのルナ鳥の塩焼きには、北の塩湖で採れた岩塩を使ってるんだぜ。俺の従弟がその辺りに住んでてな。あっちの塩はものすごく美味いんだ」

「うむ。俺もここの塩焼きは大好きだ」


 ガリエドとオルドゥンは、手許のナイフで肉を切り分け、手許の取り皿によそう。どうやら食事は中世ヨーロッパに似たような作法のようである。あとは時々ナプキンで指をぬぐいながら、美味そうに食べ始めた。

 その様子を見てあきらはふと、唯奈ゆいなとのことを思い出した。

 最後、旅館で出された夕食を思い出す。楽しそうな唯奈の笑顔。思い出してしまうと胸をかきむしりたくなるような焦りがこみ上げてきた。


(なあ切丸きりまる、俺はどうしたら戻れるのだろう)

(元の世界を覚えていたら、いずれ戻れるさ。タイミングだよ、タイミング)


 絞り出すように呟くあきらに、切丸きりまるは肩をすくめた(ように見えた)。

 

「さて、腹もふくれたことだし、切丸きりまるにも振舞ってやるか。親父! 深めのボウルを貸してくれ」


 ガリエドの酒灼けした声が響き、かばんごと持ち上げられた感覚があった。次の瞬間、かばんおおいが開かれ、そこから一面髭面の男の顔が覗いた。

 口元は葡萄酒やスープで濡れ、ところどころに食べかすが付いている。

 ぬうっと腕が押し入ってくると、油で汚れた指で切丸きりまるさやごと掴み上げた。


(うわ、切丸きりまる!)

(大丈夫、このおっさんがガリエドだ。さあ、今からご馳走だぜー)

(え?)


 何だろう、嫌な予感しかない。

 

「なあ、スーリオン。このまな板は何だ? 野営のためにわざわざ持って歩いてるのか?」

 

 あきらに気付いたガリエドは、エルド公に問いかけた。


「見ての通りだ。出していいぞ」


 エルド公は悪戯っぽい表情で小さく笑っている。その表情を見て、ガリエドは胡散臭そうにあきらを引っ張り出した。

 ガリエドはあきらをひっくり返しながら注意深く眺める。材質をみようと指を滑らせてくるので、あきらはぎゃぁあと悲鳴をあげた。


「ガリエド。そのまな板にも食事を振舞ってやってくれ」

「何? なんだって?」


 顔をしかめてガリエドがエルド公を睨んだ。オルドゥンも、緊張した面持ちで葡萄酒のコップを置く。


「冗談か、スーリオン。これはまな板だるう。これが切丸きりまると同じだと?」

「ああ。切丸きりまると同じように扱ってくれ。まだはっきりしないが、多分、同じだ」

「ああ?!」


 驚いたのか、オルドゥンもガリエドも呆然としているようだ。

 それは、明も同じだ。この身体で食事とは、一体何を言ってるのだろう。


(なあ、切丸きりまる。この人達何言ってるんだ)

(ああ、最初に言っただろう? 俺たちはこの世界では珍しいのさ。どこにでもある道具だが、ただの道具ではない。『食事を振舞われる』ってのは、敬意を払われていると思ってもいい)

(……意味がよく判らない。それに、食事ってどうやってとるんだ)

(まあ見てなって)


 切丸きりまるが悪戯っぽく笑いながら言った。


(食べ方は、最初は判らないだろうし、教えづらい。まあ身を任せて気楽に堪能してくれ。異世界とやらの飯をな)

 

 宿の主人が大きな深皿を持って来た。狼のような風貌の獣人族で、年を経ているのか、毛並みは色が抜けたような鈍い銀色だ。


「エルド様、挨拶が遅れました。いつ戻られたので?」

「つい先ほどだ、グリハ。本当は朝に着く予定だったが、寄り道したのでね」

「そうでしたか」


 グリハはオルドゥンとガリエドにも軽く会釈し、卓の上に陶器の深皿を置いた。


「出すのはいつもの葡萄酒でよろしいですね?」

 

 エルド公が頷くと、グリハは後ろを振り返り、給仕の娘に合図を送る。すぐに丸みを帯びた酒瓶が運ばれてきた。


 「古の作法なんて、今時の奴らは忘れてしまっているのが多い。せいぜいが戦場での縁起担ぎとしか思ってない。………ご武運を」


 悪戯っぽく声をかけると、グリハは調理場へと引っ込んでいった。


 「……さてと、だ」


 ガリエドが切丸を鞘から抜き、深皿の中に斜めに立てかけた。続けて明も同じように斜めに立てかける。切丸きりまるが、嬉しそうに叫んだ。


 (さあ、来るぞ!)

 「いつやっても珍妙な光景だが、まあいい。こやつらに酒を振舞える幸運に感謝を!」


 その言葉に応じて、エルド公は葡萄酒の瓶を持ち上げた。そしてそのまま深皿の中、切丸きりまるあきらに回しかけるようになみなみと、たっぷりと注ぎ込んだのだった。

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