※特別編 「黒咲とのバレンタイン」


 多々良部と黒咲が閉じ込められていた期間中にバレンタインがあったら、というIFの話です。場面は四日目頃で、二人の仲が徐々に良くなってきている時期です。


 冬の季節に共同夢に閉じ込められ、本編の時系列が全体として冬に移ったと考えてもらえば……無理矢理にした設定なので違和感が生じていますが。


 しかし完全に私の気分で書いた話ですので、皆様のお気に召さなかったとしても、本編の時空とは一切関係ありませんので忘れていただいても結構です。


 それでは、一瞬の『もしも』をお楽しみ下さい。





「多々良部さん、お気づきでしょうか?」


「何がです?」


 昨日は散々ゲームをし、体が疲れている。今日もゴロゴロして自堕落に過ごそうと思い立ったその時、黒咲からとあることを尋ねられた。


「今日はバレンタインデーですよ?」


「あっ、あ……」


 なるほど、カレンダーや日付を目にしない生活を送っていたことに加え、濃密な時間を過ごしていた結果、今日がバレンタインデーだということを忘れてしまっていた。


「すっかり忘れてました。まぁでもこの状況で皆から貰える訳ありませんし、まず自分も積極的に貰うような人間じゃなかったですからね……」


 あ、でもあの自称親友ならば喜んで渡してきそうな気が……あの変態のことだ、きっと良からぬことを考えていたに違いない。するとバレンタイン当日に渡されなかったことは幸運だったのかも。


 僕の呟きに対し、ジト目で返される。


「……それは暗に、『普段は貰えてなくて寂しいから、黒咲さんのチョコが欲しい』と言っているのですか?」


「勘違い甚だしいですね。というか黒咲さんはバレンタインデーとか気にするんですね。名も知らない男子から期待されたりとかしてたんじゃ」


 僕の予想を聞くと、苦い表情を浮かべる黒咲。


「……えぇまぁ、期待の籠もった煩わしい視線が送られることはありますが、基本的には無視しています。しかし女性にはお渡ししているので、それが原因で変に期待をさせてしまっているのかもしれません」


 ふむ、それは友チョコというものだろう。女子は日頃の感謝や新愛の証として友人間でチョコを贈り合うらしいし、黒咲も例外では無かったのだろう。ただ、黒咲からのチョコがあるという事実が男子に無理な期待を抱かせてしまっていた。……美人も大変なのだと思った。


「今頃、学校ではチョコを渡し合っているんでしょうね」


「ですね。叡蘭は基本的にそういったイベントでの持参物について寛容ですので、朝から顔を赤くした男女が照れながら向かい合っている場面をよく見かけます」


「……貰えるかどうかは別として、そんなイベントの中に居られなかったのは悲しいですね……」


「なるほど。では作りましょう、チョコを」


「はい?」


 独り言を聞いた黒咲がチョコを作ろうと突然に言い出した。状況が急展開すぎてついていけず、思わず情けない返事をしてしまった。


「私も叡蘭の生徒です。極小規模ですが、私と貴方でチョコを贈り合えばそれはバレンタインを経験したことになるのでは?」


「いやまぁ理屈は分かりますけど……黒咲さんは嫌じゃないんですか? その、僕にチョコを作って渡すことが」


「別に厭わしいと感じませんよ。この部屋だけの出来事ですし、出られた後も貴方が私からチョコを貰った話を好んで言いふらすとは思いません。それに今年のバレンタインの収穫が本当の意味で零個であったならば、貴方の記憶に嫌な形で残ってしまうでしょう。それは私としても喜ばしくありませんから」


「チョコ零個な僕へのお気遣いどうもありがとうございます」


 なんだろう……チョコが一つも貰えなくても特に悲しくないはずだったのに、ここまで黒聖女に気遣われると何故か胸が痛む。あれ、なんか目に涙が……。


 そんな僕の心情などつゆ知らず、黒咲は調理器具などの準備を始め出した。分配した食料の中から色々と漁っている。


「チョコレートは……十分にありますね。生クリームも。あら、バナナやマシュマロまであるんですね。チョコレートフォンデュのようにしても良いかもしれません」


「生クリーム使うなら、電動泡立て器がありますよ」


 黙って立っているわけにもいかず、僕は調理器具の方を探し始めた。


「おや、多々良部さんはお菓子作りをなさるのですか?」


「いえそんなことないですね。単に知識として覚えているだけです」


 食卓に出す料理は一通り作れるが、お菓子作りは生憎守備範囲外だ。特に手を出そうとも思えず、しかしテンパリングといった工程自体は知っている。


「ではお手伝いをお願いします」


「分かりました」




 調理器具が揃っているといっても、学生二人だけ、しかも身体に疲労が溜まっている状態で大掛かりなお菓子作りが出来るはずがない。黒咲の提案通り、チョコを溶かして一工夫し、チョコレートフォンデュとして食べることにした。


 作業は意外と単調だった。生クリームの泡立ては経験がある黒咲が担当し、逆に経験がない僕はチョコを刻む簡単な作業を行った。


 チョコを出来るだけ細かく刻み、手頃な小さな鍋に入れておく。チョコを鍋に入れると同時に黒咲が泡立てを終え、生クリームをチョコの入った鍋に投入した。


 ここで驚いたのは、泡立てた生クリームではなく、温めただけの液状の生クリームを入れていたこと。泡立てた後の生クリームを入れるかと思いきや、黒咲は生クリームをあらかじめ半分に分けており、片方をチョコレートフォンデュ用に置いておき、もう片方をディップ用にしていたのだ。


「え、もしかしてフォンデュだけなら泡立て器必要なかったんじゃ」


「そうですね。しかしせっかく貴方が用意してくださったのですから、今更使わないとは言えず……」


(うわ、超恥ずかしい)


 というか先程から黒咲に気遣われてばっかりだな。なんか今日の僕はツイてない。


「で、でも泡立てた生クリームも美味しいですしね! 用意してくださってありがとうございます!」


「その優しさが痛い……」


 こんなやり取りをしている間にも、チョコはどんどん溶けていく。弱火で焦げないように丁寧に溶かしていく黒咲の様子は……誰にも言えないが、可愛いと思ってしまった。


 出会った最初は毒舌塗れであったし、彼女を”黒咲”ではなく”黒聖女”として認識していたこともあって、あまり女子として感じたことはなかった。でもお菓子作りをしている彼女を見ると、本当に女の子なのだ、と……言葉にし難い感情を抱く。


 黒咲の視線は鍋だけに向いているので、僕のそんなやましい心情がバレることはなかった。




「それではいただきましょう」


 その後は楽だった。彼女がチョコを溶かしている間に僕はバナナを一口サイズに切り、マシュマロと共に盛り付ける。何故か食料の中にポテトチップスもあったので、それも使ってみることにした。その他にも、色々と……。


 そうして完成した皿をテーブルの上に置き、直後に黒咲がチョコの入った鍋を置く。これで完成、なのだが――


「まさかチョコレートフォンデュ用のロウソクと台があるなんて、思いもしませんでしたね。見つけてくださった貴方に感謝です」


 ――本当に謎だったのは、チョコレートが固まらないようにするロウソクと台が器材の中にあったこと。


(いや誘拐犯の人、準備しすぎでしょ……)


 謎に感じると同時に呆れも出るが、今はその周到すぎる準備がありがたかった。ありがたく思いながら、僕はマシュマロにチョコを付けて口に入れる。


 チョコの甘味とマシュマロのとろみが絡み合い、口の中で幸せを感じる。他にもバナナやポテトチップスにもチョコを乗せて食べてみるが……そのどれもが最高だった。


「……ん、美味しいです」


「多々良部さんが色々と用意してくださったおかげですよ。フォンデュする食べ物のバリエーションが多く、とても楽しめます」


「それは……ありがとうございます」


 主要な作業を行ったのは黒咲であるのだが……ここで指摘するのは空気を壊してしまうので、大人しく受け取った。


 黒咲もチョコを付けたマシュマロに、更に泡立てた生クリームを乗せて食べている。その幸せそうな表情を見ると、こちらまで楽しくなってくる。無駄に泡立て器を用意してしまった僕を気遣う気持ちも混じっているのだろうが……今はただ、純粋に黒咲が喜んでくれて嬉しかった。




 こうして僕達は、奇妙な状況でのバレンタインを穏やかに楽しむのだった。



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