デート?④


「なんで僕は女性用水着販売ブースの試着室前に立ってるんだ……」


「え〜、私が待っててって言ったからでしょ?」


「そういうことじゃねぇよ」


 試着室の壁にもたれながらぼやくと、試着室の中から返事が返される。聞くからに僕を舐めていると思われる声の合間合間に、衣擦れの音が入り込んでいた。直前に朱李の服装について会話したこともあって、服を脱いでいる様が脳内にありありと浮かぶ。


 雑念を排除したいのは山々だが、場所が悪い。女性用の可愛らしい水着に囲まれてしまっている状況なので、ふしだらな感情を押さえきることが出来ない。くそっ、やはり朱李が言った通り、僕は男だというのか……。いや、分かっていたことだ。黒咲にも指摘された。自分はヘタレなだけ……。


『シュル――カチャ――パサッ――キュッ――』


 館内アナウンスが流れているというのに、何故衣擦れの音が鮮明に聞こえてしまうのか。単に自分の意識がそちらに向いてしまっているのか、それとも、朱李がわざと響かせるように脱いでいるのか……。


「ねぇ、もしかして興奮してない? 私の服の音聞いて興奮してる?」


 明らかに後者だった。


「いいからさっさと着替えてくれ。この場で一人取り残されてる僕の身も考えろ」


「う〜ん、もっと君を焦らしたい……放置プレイしたいとこだけど、流石に攻め過ぎたら嫌われちゃうし……ま、出来るだけ早く着替えるよ」


「……はぁ」


 溜め息をつく僕を横目に、店員さんが同情に満ちた視線を送りながら前を通り過ぎていった。




 準備を終えたということで試着室のカーテンが開かれ、朱李の姿があらわになる。


「ジャジャーン! どう? 結構可愛いと思わない?」


 朱李は……水着姿だった。それも彼女自身が言うように、かなり可愛らしい。


 セパレートタイプの水着は綺麗な花柄で、朱李の明朗な性格と元気に満ちた様子を見事に表現していた。それがとても似合っていて……なるほど彼女が自慢するわけだと納得する。



 ……さて、ここで話は変わるのだが、朱李が普段から自信満々にして言うように、彼女はとてもスタイルが良い。相変わらず身長は低いながらも、出るとこは出て引っ込むとこは引っ込んでいる、まさにモデルとして理想的な体だ。その胸の立派な双丘も、細くくびれた腰も、大きな臀部も、男女関係なく視線を惹きつける。


 つまり何が言いたいのかというと……水着になったことで、その蠱惑的な身体が大きく露出してしまっているのだ。健全な男子高校生ならば、たとえ僕のようなヘタレでもグラついてしまうほどに。



 だが僕はなんとか下心を抑え込み、平静を装って水着の感想を言う。


「っ似合ってるな。可愛いと思う」


「それは水着が? それとも私?」


「前者」


 端的に答えた僕に不満を覚えたのか、朱李は良からぬことを考えていそうな顔でこちらをじっと見つめてくる。その視線に耐えきれず、僕はスッと視線を下にやった。


「……ッ!」


 朱李はその隙を逃さなかった。下を向いた僕の顔を両手で掴んで固定し、上げた腕の二の腕部分で彼女自身の胸を中央に寄せる。ただですら深く刻まれたその谷が、余計に深さを増した。その立派な双丘が、僕の視界の全てを占領する。


「は?」


 ここで悪戯を止めるなら良いのだが、朱李はこの程度では止まらない。あろうことか、頭を掴んでいる手に力を込め、顔を彼女の体の方向へ引き寄せているのだ。僕は体を強張らせ、突然のことに対して必死に抵抗する。


「んぐっ! な……何やってん……だよ。悪戯にしては過ぎるぞ!」


 朱李は今、水着姿である。その柔肌が殆ど露出していて、肩を掴んで引き離したり無理に抵抗すれば、彼女を傷つけかねない。僕は首の力だけで抵抗して、彼女もそれを理解しているから遠慮なく引き寄せてきている。


 少しでも力を抜こうものなら、僕の顔は勢いよく彼女の胸の中に沈み込むことだろう。そんなの、耐えられるわけがない。色々と。


 何処からそんな力が湧いてきているんだとツッコみたくなるくらいの力を出しながら、朱李は僕の質問に答えた。


「多々良部くんを私の胸でとろけさせちゃおうかな、と」


「行動理由が分からん!」


 恐ろしいことに、徐々に僕の顔は朱李の胸に近づいてしまっている。壁に手を付き、摩擦で少しでも抵抗力を上げようとした。


 朱李は引き寄せる力を弱めず、尋ねた。


「……私はさ、多々良部くんの前だけ無防備でいるの。なんでか分かる?」


「知らねぇよっ……僕が無害そうだからか」


「……うん、そうだよね。君は気付かない。気付いてないふりをしてる」


「……?」


 顔は見えないが、どこかがっかりしたような声が聞こえた。途端、朱李は引き寄せる力を急に弱めた。その勢いで、僕は後ろに下がる。


 朱李の顔を見てみると、先程の凶行に似合わない赤らめ顔であった。その違和に心乱され、怒る気力が抜けてしまった。頬を赤く染めたまま、彼女はニパッと笑顔を花咲かせる。


「な〜んちゃって! 君を悶えさせるって言ったでしょ? 確かに少し過激だったかもだけど、私は多々良部くんを信じてたからね!」


「嫌な信頼のされ方だなぁ……」


 彼女の背景がハワイアンブルーの海かプールだったならば最高だったのに……生憎今は試着室。それに先程までしていたことは完全に変態的な行動だったので、それも残念だ。


「うん……うん、さっきのはごめんね? なんか最近も、君との喧嘩とは別に色々と溜まってたからさ……めっちゃ変な行動しちゃった」


「まぁ、流石にあそこまで行くとなるとお前側にも事情があるってのは何となく察した。今回は怒る気は無いよ」


 ……彼女の呟きから、僕が無意識のうちに彼女の心を疲れさせてしまっていたことを知って、怒る気が失せてしまったのもあるかもだけど。


「で、だ。その水着は気に入ったのか? ならさっさと脱いで買ってくれ。目のやり場に困る」


「あ、やっぱり興奮してくれてたんだ」


「あぁそうだよそうですよ! じゃなかったら必死で抵抗してねぇよ!」


 ぶっちゃけ朱李の水着姿は破壊力が凄かった。彼女も自慢するスタイル以外にも、纏う雰囲気や明るい声がとても魅力的で……友人関係だというのに、不覚にもドキドキしてしまった。まぁ確定でイジられるので相手に言わないが。


 そんな僕の情けない告白に笑みを深くした朱李は満足そうな表情になり、試着室のカーテンを閉めて中へと消えていった。


 ……周りを見渡せば幸いと言うべきか、客が少ない時間帯であることもあって誰にも一連の流れを見られることはなかった。もし見られようものなら、一歩間違えれば通報されてしまうところだったからね。


「まーじで危なかった……というか朱李があそこまでの行動に移るなんて……」


 彼女の発言から、僕が何かしらのやらかしをしでかしたことは間違いないだろう。ならばそのやらかしとは一体?


 ここ最近の出来事を振り返ってみるが、一週間の喧嘩以外に彼女の気を悪くしたり乱したりするようなことは無かったはず……。


 まぁ別に朱李が変な行動を取ろうが、僕が黙って耐えればいい。ゆっくり時間をかけて付き合っていけば……黒咲の言う通り、大切な対話をする機会も出てくるだろう。


 そんなことを考えながら、再び試着室の前で待つ時間が過ぎていった。



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