テスト後①


 テスト最終日を迎え、終礼が終わると同時にクラスの中が沸き上がる。長かったテスト期間が終わり、各々がしたいことを自由に出来るのだ。部活に行く者や、友人と集まって遊びに行く者、テスト後の休みを利用して実家に変える寮生もいる。……のだが、僕は気分が上がらなかった。


 実はテスト初日に朱李と一悶着あった後、彼女とは一言も話していない。挨拶も出来る空気じゃなくて、とても声をかけられなかった。


 彼女も僕と同じようで、いつもなら少し話した後、一緒に帰ったりすることが多いのだが……僕との間に刻まれてしまった溝から目を逸らすように、早々に別の友人と遊びに行ってしまった。


 ……だが、何故このようなことになってしまっているのか、納得できていないのは僕もである。いきなり腕を胸に押し付けてきたという責があるのは朱李側であるし、僕は単に貞操観念の甘い行動を実際に行った彼女を軽く叱責しただけだ。


 その自意識のおかげで、仲直りするという考えも思いつかなかったのだ。



 ……とまぁここまでが前置きで、話は僕も帰ろうかと思い立った時に移る。席を立った瞬間にスマホが震えたのを感じ、届いた一件のメールに目を通す。


『テストお疲れ様です。この後は暇ですか? もし都合が良ければ、多々良部さんのご自宅に伺ってもよろしいでしょうか?』


 黒咲からの連絡だった。何の要件で家に来ようとしているのか分からなかったが、特に断る理由もないので了承のメールを送る。


『大丈夫です。問題ありません。ですがテスト後で人が多いかもしれないので、来る際は気を付けて下さい』


 そう返信すると、にっこりスマイルを浮かべた可愛いウサギのスタンプが送られた。あの部屋でバニーガールの衣装を着た彼女がウサギのスタンプを好んで使っているとは、なんとも奇妙な話である。




「こんにちは。今日お邪魔しますね」


「”も”の助詞が使われるほど家に来ている状況に違和感を持って下さい」


 午後になり、黒咲が僕の家に訪れる。勉強会の時は制服だったが今日は私服だ。デニムに白いシャツというコーデで、いつか見た銀城さんの服装に似ていた。


 そしてそれがとても似合っている。足に張り付くデニムが足の長さを際立たせ、シャツと美しい金髪がアメリカンな雰囲気を纏い、清楚よりも元気さを感じさせる。


「服、似合ってますね」


「お褒めに預かり光栄です。今日はシンプルな格好にしようと思いまして。喜んでいただけたならば幸いです」


「そりゃどうも。で、要件は何ですか? 取り敢えず入って下さい。暑い外で話すのも何でしょうし、中で聞きますから」


 僕は黒咲を招き入れ、リビングへ連れて行った。彼女をダイニングテーブルの椅子に座らせ、僕は麦茶を入れて差し出した。


「ご気遣いありがとうございます」


 少しずつ飲んでいく黒咲。僕も席に座る。


「……それで今日は何しに来たんですか? 見たところ銀城さんがいないみたいですけど」


「はい、今日は私だけです」


「えぇ……」


 一応銀城さんは黒咲のボディーガードという役目を担っており、今までもそれを全うしていた。彼女の身の安全を守るという仕事を。


 だというのに、なんと護衛対象がふらついている。今頃の銀城さんを想像すると、彼女に同情せざるを得ない。


 ……男を過剰に嫌悪し近寄らせもしなかったかつての黒咲と比べると、良い意味で進歩していると言えなくもないのだが……それでも――


「いいですか。今日、この家には、僕とメグさんしかいないんですよ?」


「そうですね」


「『そうですね』って……もうちょっと危機管理してください」


「危機、とは? 貴方に危うさを感じたことなど、一度しかありませんよ?」


「はぁ? なんですかそれ――」


「もう忘れてしまったのですか? 私と貴方は七日間、あの部屋で閉じ込められていたんですよ。それに比べれば、自由な今をこの場所で過ごすことなど危険の”き”の文字も含まれません」


「……」


 理屈は分かった。でもどうしても納得し難かった。そんな僕の心情を読み取ったのか、彼女は呆れ混じりの苦笑を浮かべる。


「私が変わる決意をしましたのに、今度は多々良部さんが過保護になってしまいましたね。……いえ責めているわけではありませんよ? ですが私も成長したのです。多々良部さんには、それを見守っていてほしいのです」


「――ははっ」


 言われてみれば……確かにそうだ。彼女の過去を知ったあの日から、僕は彼女が異性によって傷つくことを恐れてしまっている。……それも、彼女自身以上に。


 それが不幸への憐憫によるものなのかは分からない。ただ事実としてあるのは、……黒咲は前に進み、僕はそれを引き止めようとしている。それだけだった。


 そして僕が黒咲を凶悪な異性から守ろうとしていた事実は、朱李との喧嘩を生んでしまった……。


「……すみません。ちょっと参ってたみたいです」


 思えば最近はシリアスが続いてばかりだ。心が疲れていてもおかしくない。黒咲を過剰に守ろうとしたがために慎重を通り越して過保護に至り、朱李と喧嘩し互いに言葉を通わさず、今日はこうして黒咲に説教されている。なんと情けないことか……。


 僕自身の顔を見ることは叶わないが、多分に暗い表情を浮かべていることだろう。弱い姿を見せたことに対する羞恥よりも、”心が疲れているのかもしれない”という予想が僕の心を更に蝕んだ。


「テストもありましたしね。心的に疲れている可能性は大いにあります。……そうですね……今日は別の予定がありましたが変更して、貴方に安らいでいただこうと思います」


「それは――」


 あらかじめ計画していた予定をわざわざ変更させてしまうのは申し訳ないが、これよりも僕の状態が悪くなろうものなら、二人以外にも迷惑をかけてしまう。


(ありがたく受け取っとこう……)


「――ありがとうございます。それで具体的には何をするんですか?」


 僕の問いに対し、黒咲は慈愛に満ちた笑みで答えた。


「精神の回復に最も効果的な方法は、原因の除去です。ですが貴方の事情を知らなければ私もアドバイスできません。ですから、是非とも多々良部さんの話を聞かせて下さい」


「話って、何を話せば……」


「何でも構いませんよ。『最近はこういうことがあった』とか『こういうことが辛かった』など、ならば昨晩の晩御飯の話でも。本当に何でもいいのですよ。話すと楽になることは、必ずありますから」


 ……本当に疲れているのか、黒咲が聖女のベールを纏っているように見える。僕の心に寄り添い、痛みを癒そうとするその姿は正しく聖女。黒聖女という二つ名を黒咲自身は苦手としている素振りを見せたことがあるが、誰しもこの場を見たならば、彼女のことを聖女と呼んでも疑問を抱かないだろう。そう思わせるほどに、今の黒咲は聖女然としていた。


 そんな彼女の眼差しに貫かれ、僕はされるがままに最近のことを話し出す。


 前へ進もうとしている黒咲を心配に思っていること。テストのこと。そして、朱李と喧嘩してしまったことを――



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