テスト①


 あれから悠斗も交えて何度か勉強会を開き、順当にテストの対策が進んでいった。


 そして迎えたテスト当日。


 叡蘭学園の定期テストは五日間行われ、高一の日程はその内四日間で二科目、残りの一日で三科目の計十一科目を受けることとなっている。五日間は長く苦しい戦いとなるが、その難しい内容を考えると妥当なのかもしれない。……といっても僕自身が受けるのは初めてなのだが。難しいというのは在来である黒咲、銀城さん、悠斗の感想である。その在来生が言うのならば、確かに難しいのだろう。


 前述の通り在来生は叡蘭のテストを経験してきているが、編入である僕と朱李は初めてのテストだ。クラスの周りも見れば、誰もが気合を入れている様子が見て取れる。


 だが僕達も負けていない。学年上位である黒咲に教えを請い、学力を伸ばしてきたのだ。卑怯な手を使った気がしなくもないが、これもテストのためだ。許せクラスメイトよ。



 単語帳の細部を確認しながら筆記用具を取り出していると、丁度登校してきた朱李と目が合った。今はクラスメイトの視線があるので猫被り状態とはいえ、それでも普段と違う緊張に満ちた空気を纏っていた。


「……お前も意外と緊張すんのな」


「意外とは失礼ね。私だって緊張くらいするわよ」


「だよな。僕も緊張してる」


「まぁ多々良部くんだものね」


「それで納得されるのは甚だ不本意なんだが……」


 極度に達しているのかと思いきや、互いに弄り合える余裕はある程の緊張だったらしい。心配し過ぎなら、それに越したことはないし……とにかく落ち着いてテストを受けられるようで安心した。


 そして朱李が登校してから五分後に担任がやって来る。机の上、周りの物をロッカーに仕舞うか廊下に出すよう指示され、各々が動き始めた。


 遂に机の上の筆記用具のみとなり、全員が着席したのを確認するとテストの解答用紙、問題用紙が裏向けて配られる。ここからの私語は禁じられ、後はテスト開始の合図を待つのみだ――


「――始めて下さい」






「――しくったぁ……」


「どうしたの?」


 テスト一日目が終わり、皆は早々に下校して明日のテストに備えようとしている中、僕は天井を仰いで溜め息とともに呟いた。そんな僕を見かね、朱李が何事かと尋ねてくる。


「いやさ、あの大問5で使う公式ってルート、それとも二乗?」


ルートだね」


「マジか……やらかした」


 テスト後にいきなり自分の間違いを発見してしまい、非常に萎える。覚えていた公式がテスト本番になってから曖昧になり、しょうもないミスをしでかしてしまったのだ。これはかなり心にクるものがある。


「元気だして下さい! 気休めかもしれませんが、大問5の配点は低めだと思いますし、そこまで気にする程ではありません」


「……」


「ど、どうしたのですか?」


 ジッと朱李を見つめる僕を変に思ったのか、少し頬を赤らめて腕で身体を抱いている。恥ずかしがっているようにも見えるその行動を見て、僕は言った。


「前々から思ってたけど、朱李の猫被り状態の口調がほぼメグさんなんだな」


「うるさいよっ!」


 何かの期待が打ち砕かれたかのような表情をした後に、朱李はツッコむ。思わず素が出てしまったといった感じだが、幸いにもクラスメイトは教室に一人も残っていない。……まぁそれを確認した上で僕も言った節があるけど。


「私もちょっと気にしてたよ! この時の私って、なんか口調や態度が黒咲さんっぽいなぁって。キャラがかぶってるって!」


「ん、だから今のお前の方が俺は好きだな。こっちの方が自由そうだし」


「えっ、それは――」


「お前を恋愛的に好きだっていう勘違いはすんなよ?」


「――ちぇっ」


「オイ今舌打ちしたか?」


「知りませ〜んだ」


 僕が朱李のことを恋愛的に好きだとして、だから一体何になるというのか。まぁ僕の揚げ足を取ってイジれなかったというのが本音だろうが……。”べー”と舌を少し出して煽ってくる朱李に溜め息しながら、話を続ける。


「ハァ……まぁだから、お前のその”素”を皆に知られても構わないんじゃないか?」


「……そうかな。そうかも。私も深い事情があってこんな生活してるわけじゃなかったし。単純に素の私を見せるのが恥ずかしかっただけだし」


「人間誰しも裏表があるもんだろ。お前はその清濁が激しいだけであって、別にそれだけだ」


「人の性格のことを濁ってるっていうの止めてくれる?」


「客観的に見れば欲に塗れてるだろ」


 最近は鳴りを潜めていたものの、朱李の本性は変態のままだ。だって初めて僕の家に来た時もに勝手に和室に入ってたし……どうせろくでもないこと考えてたんだろ。


「い、言い返せない……でも、それは多々良部くんもだよね?」


 歯噛みした後、仕返しとばかりに僕を挙げた。


「黒咲さんは君が誠実で性欲が全く無いみたいに考えてるけど、私知ってる。君も人並みに性欲があるって。どうせ”◯◯しないと出られない部屋”でも我慢してただけなんでしょ? ホントは超可愛い黒咲さんととか考えてたんじゃないの?」


「そ、そんなわけ――」


「じゃあこれでも耐えれる?」


「は?」


 彼女は僕に近寄り、腕を取って自分の胸に押し付けた。何の運命なのかその手は、かつて黒咲が僕という人間の安全性を確かめるために彼女の胸へと押し付けられた腕と反対の手だった。


 西宮朱李は可愛らしい見た目をしており、また身長は低いものの身体の凹凸がはっきりしている。彼女自身が言うには、”ロリでエロい体型”らしい。そんな彼女の身体に、僕の腕は押し付けられたのだ。


 朱李の胸の中へと沈み込む。二つの双丘の間に出来上がった深い谷間に落ちていった。しかし現実の岩で出来た谷のような硬さは一切感じず、寧ろ大きくふわふわなスポンジに挟まれているようだった。こう言っては黒咲に失礼だが、大きさと柔らかさでは朱李が圧勝していた。黒咲が小さいというわけではないが、それでも朱李と比べてしまうと違いが分かる。……何が、という明言は避けておく。


 ついでに言うと、僕達は夏服だ。僕の腕は露出しているし朱李のブラウスは薄い生地で出来ている。つまり、人肌の温かさを直に感じたということ。そして同時に感じた夏の汗の湿り気が生々しい感触で、この状況が現実なのだと理解させられる。



 ……って僕は何を冷静に失礼なことを考えていたのだろう。片方は夢の中での出来事だが、最近で二度も女子にセクハラされてしまい感覚がおかしくなったのかもしれない。そう考えると黒咲での経験も悪くなかったのかもしれない。


 揉ませてくれてありがとうございました、黒咲さん。


(……いやこのセリフ気持ち悪すぎるだろ。こんなの口が裂けても言えない)


 まぁとにかくだ。情報量がとても多く処理に困ったが、頭は冷静な状態で判断し、僕は黙って腕を引き抜き一歩下がることが出来た。


「……私の豊満でエッチな身体だよ? なんで我慢できるの?」


 そんな僕に困惑した様子を見せる朱李。……そんな彼女に腹が立つ。襲われかけた過去を持つ人物が友人にいるからか、先程の彼女の行動が許容できない。我慢とか、感覚がおかしくなってたとか、そんなことは抜きにして……自分の身体を大切にしていない朱李に腹が立った。


 だが怒りはしない。何故だか怒れなかった。


 何も分かっていない様子で首を傾げる彼女に、僕は諭すように語りかける。


「なぁ、俺とお前は友達だ。だからお前がライン越えの発言をしても聞き流してきた。……でもさ、あれはダメだろ」


「っ、そ、そうだよね……」


 態度を変えた僕に気圧されたのか、体を萎縮させて急に大人しくなる。


「……明日もテストだ。もう帰ろう」


 そう言い残して、僕は鞄を手に彼女の横を通り過ぎる。玄関で振り返ってみても、彼女は追いかけてこなかった。


 夏に似合わない涼しい風が、僕の横を通り去っていった。



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