勉強会⑤


 ずっと僕の目を見続けていた黒咲は、視線を変えずに口を開いた。


「多々良部さんのお母様について、深いところまで尋ねることが非常識だと理解した上で提案します。……話していただけませんか?」


「ッ!」


 不意に頭の奥でズキッと痛みが走った。思い出したくないことが脳内で溢れてくる感覚がする。その痛みを発生させた当人は、まだ僕の目を……いや、僕の目の奥深くを覗き込んでいた。


 非常識だと理解した上で話しているのだから、余計にたちが悪い。……後に朱李から超似合ってなかったと評されるニヒルな笑みを浮かべ、仕返しに疑問をぶつけてみた。


「……本当に非常識ですね。僕が断ったら?」


「ここで大声を出します。いくら家の外といっても、この部屋の位置でしたら十分に聞こえると思いますよ? ……銀城さんに」


「はいはーい、至急速やかに話させていただきまーす」


 秒速で陥落した。やはり黒咲には勝てない。こういうのをなんて言うんだっけ……朱李が少し前になんか言ってたような、ないような――


「――即落ち二コマじゃん」


 あ、それそれ。解説助かる……ってさっきまでシリアスな空気だったんだが。シリアスブレイカーも大概にしろ、この変態!


「おっほ、多々良部くんのその視線、プライスレス!」


「「……」」


 黒咲も呆然としていた。真面目な空気が続くかと思いきや、朱李の手によっていっきに日常へ変わる。


「……はぁ……本っ当につまらない話ですよ」


 銀城さんを引き合いに出された。脅迫もいいとこだが、今だけは、この重たい空気をぶち壊す発言に助けられた。その証拠に朱李の体の強張りが少し解け、僕の心も落ち着きを取り戻していた。


「聞かせて下さい」


「私も聞きたい」


 上手く黒咲の思惑通りに事が進んでいる現状に脳内で溜め息しながら、回想を口に出して話すとかいう現実でやったら最悪に恥ずかしいことをするのだった――





「僕が小学生の頃、ある日に母さんは食料品を買いに行きました。僕は留守番をしていて……一向に母さんが帰ってくる気配がなく不安になっていたところ、一本の電話が届きました。『母が死んだ』と」


「「……っ」」


 予想はしていましたが、開幕から重い内容に入りましたね。サラッと多々良部さんは言いましたが、私と西宮さんは口を押さえて息を殺すことしか出来ませんでした。……一言でも発してしまったら、彼の決意を揺らがせてしまいそうで。


 いや、それよりも……身内の死とは、そのように軽く言えるものなのですか?


 疑問が浮かびましたが、それを胸の奥に押さえて話の続きを聴きます。


「母との突然の別れに初めは悲しんでました。泣いて、泣き止んで、思い返してはまた泣いて……で、あまりに辛すぎたので幼い僕は心が傷つかないようにしたんです」


「それはどういう……」


「人間って、適応の能力が備わってるんですよ。初めは暑いと感じていても、時間が経てば辛さが段々と緩んでいく、みたいな。勝手な感想ですが、それと似たようなものじゃないかなって。ま、自分のことを他人事みたいに話してますけどね」


 彼は一呼吸おき、再び話し始めます。


「……僕はを、母さんの死を侮辱してしまったのだと考えてます。だってそうでしょう? 母の死が悲しくなるだなんて、それはまるで死を軽んじてるみたいで……少なくとも僕自身は、侮辱だと断じました」


 口調は平らですが、彼の瞳からは静かな苦しみが伝わってきます。心の傷を悪化させないようにするために本能的にお母様のことで悲しませないようにした悲劇も、それを理性で後悔する彼自身に向ける怒りも。


「これを今になっても、時々思い返しては引き摺ってる……本当に、それだけなんです。自分で決めたことを自分で後悔してる、つまらない男の話ですよ」


「「……」」


 私達は、彼にかける言葉が見つかりませんでした。曽祖父の葬式に参列するため教会に行ったことはありますが、その時ですら胸が張り裂けそうなほど辛かったのに……お母様を若くして亡くした彼の心は、一体どうなっていたのか想像も出来ません。


 多々良部さんは体を移動させ、お仏壇の前に座ります。小さな棒で、金属の小さな鉢のようなものを叩いて音を鳴らしました。その行為がどのような意味を持つのか私は知りませんでしたが、直後に彼が掌を合わせて祈っている様子から、お母様のご冥福を祈っているのだと判断します。


 数秒間の祈りを終え目を開けた多々良部さんは座った姿勢のまま話を続けました。


「話してしまった後で今更なんですけど、聞かなかったことにして下さい。これが原因でメグさんも朱李も銀城さんも気を遣う必要はありませんから」


 スッと立ち上がり和室を出ようとする彼の服の袖を、私達は咄嗟に掴んでしまいました。


「……なんですか? 話は終わりました」


 何か達観したかのような、諦めたかのような目をした彼に、生半可な言葉は響かないと分からされます。それを分かっているからこそ、私も西宮さんも、直ぐには言葉が出ませんでした。


 静止させたにも関わらず一向に話そうとしない私達に苛立つことなく、彼は待っています。彼の優しさを感じます。


「……私達にも、お祈りさせていただけませんか?」


「あぁ、別に構いませんよ。その方が母さんも喜ぶと思います」



 二人が僕がしたように、座って仏壇の前で祈り始めた。朱李は手際よくしていたが、黒咲はたどたどしかった。朱李は掌を合わせ、黒咲は指を畳んで手を組んでいた。宗教の違いか、あまり仏教文化に慣れていないのだろう。……でもそれが、逆に母さんへの思いを感じさせた。


 暫くの間そうしていたが、朱李がゆっくりと両目を開いた。そしてゆっくりと言葉を紡ぎ始める。


「私は多々良部くんのお母さんに会ったことない。でも、お母さんが君のことを大切に想っていたんだってことは分かるよ。……何言ってるんだって話だけどさ」


「……」


「その、だから、君がお母さんのことでそこまで悩まなくてもいいと思う。お母さんを大切に想っているからこそ君は苦しんでるんだろうけど……お母さんは、やっぱり多々良部くんの笑顔を望んでる」


 普段は変態なくせに、こういう時だけ大真面目に、本気で心を癒そうとしてくる。続けて朱李もこちらに目を向けた。


「お母様を大切に思う貴方の優しさは、尊ぶべきものです。ですが貴方自身が救われなければ、その優しさは酷く寂しいですよ……」


 本物の聖女の如く自愛に満ちた眼差しに射抜かれる。絆される悩みなど無いはずなのに、僕の心は解されていく。


「……そんなふうに言われるほどのことじゃないんです。悲劇の主人公でもありません。本当に、二人に慰められるようなことじゃないんですよ」


「それなら私達が勝手に慰める。勝手に優しい言葉をかけて、君は勝手に甘えれば」


「我儘すぎるわ!」


 そんな朱李の言葉にツッコミを入れながら笑みを浮かべる。気付けば、黒咲も笑っていた。しんみりとした雰囲気は何処へやら、明るい空気に満ちていた。




――母さん。僕はやっぱり、母さんを悲しむことから逃げた自分を許せない――


――でも、どうやら友達が勝手に慰めてくれるらしいから――


――どうか、見守ってて――



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