登校②


 服を引っ張られる抵抗を二の腕に感じ、振り向くと予想通りというか黒咲だった。その背後でやれやれと頭を抱える銀城さん。更にその後ろには、目を点にした黒聖女ファンの方々が。


 黒咲が僕の手首ではなく袖を引っ張っているのは、人目を気にしているからなのか……そう考えるぐらいの理性が残っているのならば、この状況で僕に話しかけたらどうなるのか想像してほしかった。


 黒咲が次の言葉を発しようと口を開きかけた瞬間、僕は言う。



「いえ、僕の名前は西宮です」



 さらりと偽名を言えるあたり、逆に内心焦っていた。


(え、咄嗟に偽名使っちゃったけど大丈夫だよな? ……勝手に名字使ってごめんな、朱李。この埋め合わせはいつかするから)


 朱李が後に何か騒動に巻き込まれることになれば、ちゃんと謝ろうと考えつつ辺りを軽く見渡す。「なんだ、人違いか」と安堵するファンの皆様の姿が見えた。周りもガヤガヤし始めていて流れが良い方向に進んでいることを把握し、僕も安心する。


「失礼します」


 袖を掴まれている手を引っ張って離そうとして……止めた。振りほどくのは簡単だが、そうなるとぶっきらぼうな態度を取ったとして闇討ちされかねない。


 一瞬憚られたが、袖を摘む手を優しく離し、そのまま玄関へ歩こうとして――



「なんで他人のふりをするんですか? に対してその態度は……泣いちゃいそうです。泣いちゃいますよ」


「……」


「「「……」」」


 涙声な黒聖女様の声で再び静寂に戻る。辺り一帯の時が止まったかのように……それは言い過ぎか。でも、そう思わせるほどの緊張感が漂っていた。そして締め口が切れたかのように、突然ざわざわと騒ぎ出していた。


 恐る恐る彼女の顔を見てみると、目に涙を浮かべながらチロリと舌を出している。少しの怒りとお茶目が読み取れる表情だった。


(は、謀られた……)


 誘われたように翠緑の目を覗き込むと……なるほど夢とはいえ七日間をふたりきりで過ごした経験は、彼女の思考をなんとなくだが読むことを可能にしていた。


『普通に返事をしてくださったのならば、ここまでしませんでした。でも偽名を使って誤魔化すだなんて……許せません。お仕置きです』


 どちらにせよ、穏便に済ます方法など無かったようだ。彼女には人気があり、また彼女もそれを自覚している。社会性を武器に取られたら、しがない一般人にはどうにも敵う訳がない。


 これ以上誤魔化そうと言うのならば、もっと酷い状況になりかねないと予想する。ここは大人しく従うのが”適”だろう。


「他人のふりしてすみませんでした」


「分かっていただけたのならばそれで良いのです。でも許してませんから」


「え゛っ」


「三日前、正式に友人関係となったばかり。クラスが離れているので中々合う機会を持てず、ならばメールや何かしらの連絡を取ってくれるのだろうと期待して、ずっと携帯とにらめっこしていた私の心情をお分かりでないと?」


 黒咲が誠実すぎる。……いや、この場合は別れる前に放った言葉に対する回答を待っていたという感じだろう。何故なら、黒咲の目には燃えんばかりの熱が籠もっていたから。


 偽名を使った罪悪感もあり、僕は素直に話した。


「接触が一つもなかったことに対しては謝罪しますが、僕にも理由があったんですよ。……最後にあんな言葉を聞かされて、どんな顔して会いに行けばいいんですか」


 別れる直前、黒咲は共同夢の中でしたキスを夢だけで終わらさないと……現実でも僕の唇を奪う気なのだと宣言した。また、彼女の恩師や母親に会わせるつもりだと言った。


 その二つは自然に、バニー事件で彼女がポロッとさり気なく溢した言葉と繋がってしまう。だから勘違いなのだと思い込ませようとしても……黒咲が僕に好意を抱いているのだと思わずにはいられなかった。


「それだけじゃありません。恥を忍んで言いますけど、この三日間、僕はずっと悩んでいました。黒咲さんが本気で親やシスターに会わそうとしているなら、どんな行動を起こせば良いのだろうかと」


 今までの話の中で、彼女自身の変化について母親やシスターに話したという言葉は聞いていない。銀城も黒咲に母親に報告はまだしないと言っていたし、楽観的に考えるならまだ猶予はあるはずだ。しかし――



 ……過去の話から、母親が黒咲を大切に思っていることは事実。黒咲の身を案じて銀城を護衛に就かせるという方法に移るほど、彼女のことを愛しているのだと分かる。


 そんなにも溺愛し守っている愛娘に近づこうとしている男子というのは、黒咲の母の目に、一体どのように映るのだろうか。……想像に難くない。”強硬手段で引き剥がされる”かも……という想像は行き過ぎかもしれないが、よろしく思われない確率はかなり高い。


 だからこそ、どのように行動すべきか悩んでいたのだ。



 ――僕が言い切ると、今度は彼女が驚いたかのような顔をする。


「そ、そんなにも私のことを考えてくれたのですね……」


 その言葉に、周囲は再び騒然とする。男に対しては鉄壁の守りを敷いていたあの黒咲が、どこの馬の骨とも知らない男子と親しげに話しているのだ。しかも、友人以上な様子を醸し出しながら。……当の本人はつゆ知らず、平然と話し続けてきたが。


「でもそれなら、なおさら会いに来てくれても良かったじゃないですか」


「……こうなることを防ぎたかったからですよ」


 辺りを軽く見渡し、何を意図した言葉なのか暗に伝えた。黒咲も周りを見て、ようやく今の状況に気付いたようだった。


 ゴシップ好きな女子は勿論、男子は言わずもがな。黒咲の登場に興奮していないふりをしてクールを装っていた男も、嫉妬や羨望の籠もった眼差しで見ている。呪詛が各所から聞こえてきているのは僕の空耳だと信じたい。


「す、すみません……多々良部さんしか見ていませんでした」


(わざとか? わざとなのか!?)


 次々に問題発言を落としていく黒咲。気付けば登校していた生徒の殆どが僕らに視線を向けている。その中には情報好きの女性教師の姿が見えたのは、僕の見間違いだと信じたい。


(銀城さんっ……)


 助けを乞うように銀城さんへ視線を向けると……流石は銀城さん、僕の意図を察し、暴走する黒咲を静止させた。


「黒咲さん。積もる話はあると思うが、もう朝礼が始まってしまうよ。彼と話すのはまた次の機会にしようじゃないか」


「そ、そうですね……私もここまで人が集まってこられるとは想像していませんでしたし……」


(なるほど彼女から誤解させるような発言をしたにも関わらず周りの人混みに気付いて焦っていたのは、彼女の予想を超えていたからなのか……)


 僕がそんなことを考えている間に、野次馬は銀城さんの言葉で時刻に気が付き慌てて教室へと向かっていった。少しすれば、残ったのは事情を知らない数人だけに。


「ではまた今度。積極的に連絡を取らなかった私にも責任がありますが、折角なので次は多々良部さんから電話でもしてくれると嬉しいですよ」


 置き土産というか……やはり僕を悩ませる発言を残して黒咲も教室へ向かっていく。苦笑いをした銀城さんもその後に続いた。



 そして僕は、この後に起こるかもしれない面倒事に頭を抱えるのだった――



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