目覚め②


 四時間目の授業の終了を告げるチャイムが鳴った後、僕は購買に行って惣菜パンと野菜ジュースを買う。それを手に教室へ戻り、僕は昼食を食べ始めた。


 隣でも朱李が弁当を広げて食べ始める。入学した直後の初めの昼食で一緒に食べ始めた時から、机を合わせずとも、二人で食べる習慣となっているのだ。


 ……僕以外に対しては基本清楚に接しているため、彼女は他生徒からの人気が高い。勿論昼食のお誘いを受けることは数知れず。編入生のみならず在来生からも訪れて来た時もあったが、やんわりと断っていた。


 なのに僕と昼食を食べてくれているのは下心から来ているものなのか、または単純に優しさであるのか。どちらかは知らない。


 と、ここで朱李がパンを見つめていることに気が付く。


「美味しそうなパンね。私にも一口頂戴?」


「一口目の後を見計らって頼んでくんじゃねぇよ」


「私のお弁当、分けてあげるから。今なら”あ〜ん♡”のおまけ付き!」


 朱李は無視して昼食を食べ続ける。


「え、無視? 可愛い女の子の唾液がべったりついたお箸で食べれるんだよ? するなら今しかないと思うなぁ」


「”唾液”とか”べったり”とか生々しい言葉使わないでくれる? あと朱李が何言っても分けてやらないから諦めろ」


「ちぇ。けち」


 少しむくれている。だがここで譲歩してしまうと、朱李は直ぐに調子に乗る。だから、ここでは無視を決め込むのが正答なのだ。




「……そういえばさ、お前が前に言ってた『◯◯しないと出られない部屋』ってのがあったじゃん」


「どしたの急に。多々良部くんからそっち系の話題出すのって珍しいよね」


 昼食を殆ど食べ終わり、五時間目までの雑談へと移った。いつもなら朱李から話題を出すのだが、今日は特殊な事情があるので僕から出させてもらう。……いつも下ネタの話をしているわけではないので、そこはご理解願いたいが。


「まぁ、そうだけども。とにかく本題は、もし夢の中で女子と二人でその部屋に閉じ込められたらって話だ」


「え、どうしたの多々良部くん。溜まってるの? 君の息子が」


「違……うとも言い切れないかもしれない。今朝、それに類似した夢を見たから。その夢が今でも引きずってて……」


「なにそれ。ま、夢の中っていうのなら、何やらかしても気にする必要は無いんじゃない? 女の子を犯そうが、調教しようが、夢の中なんだから個人の自由でしょ」


(そうだよな……夢の中なんだから、気にする必要は無いよな)


 単語のセレクトが危険なラインだが、話す内容はかなり良いアドバイスとなった。


 返答に対する感謝を述べようとしたが、ニヤついた笑みを浮かべている朱李を見て止めた。


「で、夢の中の私は多々良部くんに何をされちゃったのかな」


「なんでお前だって決めつけるんだよ」


「え、違うの?」


「違うよ」


「じゃあ誰?」


「……黒咲さん」


「無いわね」


「無いな」


 朱李は即答だった。


 それも当然だ。会ったことも話したこともない人のことを妄想し、仮にイマジネーション黒咲と名付けるあの空想の女の子と生活していたなど、自分で考えても引く。先程まで楽しげにしていたはずの朱李すら、椅子を僕から少しだけ離す程だからだ。


「はぁ……。多々良部くんがそんな危ない趣味を持ってたこともそうだけど、何より君とヤッたのが私じゃないことが残念だよ……」


「何に悲しんでんだよ」


 引かれたことに少しショックを覚えたけど、それが勿体感じてくる。しかも前者よりも後者に受けた悲しみの方が強そうに見えるのが、余計にがっかり感を強めている。


「私は君に処女を捧げたいと思うと同時に、君の童貞を密かに狙っていたのさ」


「突然の重大発表。あと夢の中で黒咲さんとはシてないから」


「えッ!?」


 大げさに驚いた顔を……いやこれは真面目に驚いてるな。ちょっとしたことなのに、何故こうも驚愕しているのか。


「夢の中で女子とふたりきり……◯◯しないと出られない部屋……なんでシないの? 大丈夫? もしかして枯れてるの?」


「うるせぇよ。余計なお世話だわ」


「まぁそんな多々良部くんでも、私の妖艶な魅力には負けちゃうよね! もうビンビンだよね!」


「少なくとも二週間誘い続けて効果が無いなら、それは的外れだと断言できる」


「違うよ私に魅力が無いわけじゃないよ。君が頑なに誘いを受けようとしないだけ」


「はいはい」


 というかイマジネーション黒咲も朱李も、何故最近は僕を誘惑してくるのか……我慢する身のことも考えて欲しい。


「それにしても、夢の中でさえヤッてないだなんて……つくづく多々良部くんを堕とすことが難しいと分かったわ」


「いやちょっと待てよ。夢の中だとして、相手はあの黒咲さんだぞ? 初対面で罵声を散々に浴びせられたら、それどころじゃないだろ」


「え、もしかして君ってドMなの? だから私の誘惑に屈しないのかぁ……」


「中傷が過ぎる。僕はドMじゃないから。ノーマルだから」


 否定したというのに、何か納得したような顔で頷くなよ……。


「うんうん。君みたいな男子は逆に束縛されたりするのが好みという話だし……」


「誤解を招く言い方すんな。誰かに聞かれたらどうしてくれるんだよ」


「その時は……私が多々良部くんの責任を取ってあげる♡」


「だからそれを止めろって言ってんだよ……」


 やれ、このウザい流れも、何回も経験すれば慣れてきてしまうものだ。それこそベクトルは違うけれども、黒咲の毒舌だって――




 ――って何を感傷に浸っていたんだろうか。あの出来事は実際に起きていたわけじゃない。全部、只の僕の妄想だったというのに……。


「でも、夢の中のことを現実に引っ張り出すのは良くないことよ。夢で他の娘と仲良くしてても、だからって現実で不用意に話しかけちゃうのは駄目だから。イタいやつって噂が在来生の間に流れてほしくないでしょ?」


「もっともな助言をありがとう。まぁ、元々関わる縁なんか一切無い人だし、わざわざ罵られに行くようなことはしないさ」


「そうそう。君は私に夢中になってればそれで良いの!」


「はいはい」


「返事が軽薄!」


 むくれる朱李を横目に、五時間目の数学に使う参考書とノートを机の上に出した。すると教室の入口が少し騒がしくなっていることに気が付く。


 そちらを見てみると、クラスメイトが何人も集まって誰かと話している。しかし一人が大勢と話している雰囲気ではなく、あくまで別の目的で訪れ、その目的について訪ねているようだった。


「なんだろうね、あれ」


 朱李も興味を示した。二人して眺めていると、人混みが一気に分かれて一人の女子がこちらへ歩み寄ってくる。そのまま僕の机の前に立ち、話しかけてきた。


「君が多々良部琥珀だね?」


「えぇ、まぁ。そうですけど」


 クラスメイトではないということは、在来生。わざわざ在来がF組の離れた教室に訪れてまで、しかも僕の元にやって来るなど……一体何の用だ?


「ふむ……」


 在来の女子生徒は先程まで囲まれていた人混みをちらりと見た。クラスメイトの視線が、この女子と僕とを行き来している。興味津々な様子が伺えた。


「人目を集めてしまったようで申し訳ない。では手短に……伝言だ。『放課後、化学講義室で』と」


「……え」


 伝言を伝え終えると、彼女は足早に教室を去っていった。まだクラスメイト達は先程の女子についての会話で盛り上がっているようだったが、僕の頭は呆然としていた。



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