第一章 後半

目覚め①


 ……顔に光が当たり、脳が覚醒し始めた。目を開けるのが辛い。


(どうせ黒咲が起こしてくれるだろ……)


 薄っすら”もや”が渦巻いている頭でそう結論づけ、布団を頭まで被って二度寝しようした。だが……どこか不思議だ。


 体を覆う掛け布団の質感と重さに違和感を覚える。鼻孔をくすぐる部屋の匂いに違和感を覚える。顔へと降り注ぐ光も、気配で感じる家具も、聞こえてくる騒音にも違和感を覚える。何より、寝ているはずの床がふわふわで違和感を覚える。


 その違和感の正体を知りたくて、僕はゆっくりと、目を開けた――




「――え?」


 僕がいたのは……自分の部屋だった。


 あそこのゲーミングPCでいつもソロゲーを楽しんでいる。あの勉強机は中学卒業の記念に買って貰った物だ。申し訳程度の大きさの本棚には気に入った推理小説が数冊置かれてある。


 上体を起こし、スプリングの音を鳴らしながらベッドから立ち上がる。


 と同時に、大きく体が揺れた。


「ッ! おっとと」


 慌てて壁に手をつき転倒を防ぐ。脳が完全には覚醒していなかったために、転びかけたのか……。危機に瀕したことで急速に頭が冴えていく脳で、そう自覚する。


 それにしても、流石に寝起きであそこまでふらつくものではない……まるで長い夢を見ていた後のような……。


 ――


「えっ、もしかして夢!?」


 慌ててベッド脇のスマホを手に取る。もし今までの出来事が全て夢の中で起きたことならば、六、七日ぶりに触るスマホだが……。とにかくスマホを立ち上げ、日付を確認する。


 そこに示された日付は――


「……本当に夢だったんだ」


 ――あの部屋の中に閉じ込められる直前、つまり急に意識を失った日と変わらない月と日を示していた。


 ……夢ならばしょうがない。夢は夢、現実は現実。イマジネーション黒咲を作り出して生活していたという恥ずかしい夢のことは気にせず割り切り、日常に戻るとしよう。惜しむらくは、最新ゲームをやろうやろうと言っていたが、あまり進められなかったこと。まぁそこは友人に借りるとしようか。


 それに夢の中の出来事とはいえ、七日経つ前に出られたんだ。夢だったのだと落ち込むことなどせず、寧ろ喜ぶべきじゃないか……。だから、悲しくなんてない。




 さて、カレンダーが示す日付が正しいのならば、今日は休日でもなんでもない、ただの平日。学校も普段通り行われるはず。一応、通学鞄に授業科目の教科書を詰め込んでおく。


 体に染み付いた日常に誘われるまま、洗面所に行き顔を洗う。ドアを開け、リビングに入った。


 リビングも、ちゃんと僕の家の内装だ。そしていつも通り、父さんは居ない。料理する気分でもなかったので、溜め込んでおいたカップラーメンに湯を注いで食べた。


 一度自室に戻り、制服に着替える。


(そういや夏服の移行期間が近づいてきてるな。タンスから出しておかないと)


 ぼんやり考えながら、ボタンを留めた。


 後は家を出る時間までテレビのニュースを眺める。叡蘭学園の誰々が誘拐されたとか、誘拐犯からの要求とか、そういった物騒な報道は一切無かった。強いていえば、隣接する市で強姦魔が出没したというニュースがあったくらいだ。


 ちらりと時計を見て、自室に用意してある鞄を取りに行き、おもむろに玄関のドアを開け、鍵を締めた。その足で駅に向かう。


 改札に定期をかざし、ホームで電車を待つ。数分後に来た電車に乗り、学校付近の駅に着くまで電車に揺られた。


 駅に着くと電車を降り、叡蘭学園の制服を着た生徒たちに続くように駅を出て、再び歩いて叡蘭学園へ向かう。


 坂を登ると校門、校舎、次に体育館が見えてくる。門をくぐり、校舎の下駄箱で靴を履き替えた。


 ――ここまでずっと日常。何の変哲もない、普段通りの通学風景だった。




 一年棟を通り過ぎ、少し奥にあるF組の教室に入る。窓に面している席の右隣である自分の席に座ると、窓側の席に座っていた女子が挨拶してきた。


「おはよ、たっくん♡」


「……”たっくん”なんて呼び方、許可した覚えは無いぞ」


「えぇ〜……じゃあ、こーくんで」


「『じゃあ』で名前イジるとか……あだ名で呼ぶのを止めろって言ってんだよ」


「やだ。代わりに私のことを”雌豚”って呼んでいいからさ。お・ね・が・い♡」


「……はぁぁ〜」


 あさっぱらから早々ウザいこいつは、クラスメイトの”西宮朱李あかり。こいつこそが前々から言っていた自称親友で、救いようがないド変態だ。


「や〜、そんな嫌そうな溜め息つかれちゃうと興奮しちゃう!」


(ほら、救いようがないだろう?)


 僕のついた溜め息でさえ快感に変換し、身をよじって震えている。その様子に呆れていると、一人の女子が駆け寄ってくる。


「朱李ちゃん、おはよう!」


 と、朱李の友達か……。


「あ、めぐみちゃんもおはよう!」


 途端に声音を変えて、彼女の友人に対応する朱李。ド変態とは打って変わり、清楚な雰囲気を醸し出している。


「あ、多々良部くんもおはよう。また二人で話してたの? ほんと仲良しだよね〜」


 おそらく、先程のやり取りを入り口から見ていたのだろう。ニヤニヤしながら僕らの関係を深読みしてくるが……。


「最近は話してるのをもっと見かけるし。朱李ちゃんは彼氏いないって言ってたけど、多々良部くんが立候補したら?」


「だって多々良部くん。ホントに付き合っちゃう?」


「ごめんだね。君みたいな人気のある生徒と付き合い始めたら、編入だけじゃなくて在来の男子にも恨まれるよ」


「卑屈だねぇ〜。お似合いなのに……ま、何かあったら真っ先に教えてね!」


 そう言って彼女自身の席へと帰っていった。その様子を見送り、会話が届かない距離なのを確認してから再び話しかけてくる。


「ということで、多々良部くんには私の処女を貰っていただきます」


「意味不明だよ! なんでさっきまでの会話からお前の貞操を脅かさないといけないことになるんだ!」


「しーっ。声が大きいよ、多々良部くん? そこだけ切り抜いたら、君が私を誘ってるみたいだね♡」


「ッ……!」


 首を動かさずに周りを見渡せば、まだ数人とはいえF組の生徒殆どがこちらを見ているのが確認できる。表情からして詳しい内容は聞けてないようだが、それでも会話に興味を抱いていることが分かる。


 慌てて砕けた笑顔で誤魔化し、聞かれて恥ずかしい内容ではないと思わせる。


「……朱李?」


「いやん、そんな怖い顔しないでよ♡」


 まぁ朱李の本性が発覚してから大体二週間程度。これくらいの理不尽は耐えなきゃやってけないと理解している。苛立ちを抑え、忘れることにした。


「そうそう。私も家で結構疲れてるんだし、多々良部くんの前だけでも素の私でいさせてほしいな」


「……お前って僕の心読んでんのか?」



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