六日目⑦


「さぁ、動かないで……」


 ロープを持った金髪ウサギに追い詰められる男子の図……おそらくだが、これまでもこれからも見られない、今だけの光景だろう。


「ま、待って。もっと話し合いの時間を取りましょうよ。それに性行為をするのは友情の範疇を超えてます! もっと互いに好き合っている人たちがするものでしょう?」


「なら問題ありません」


 は?


「”初めて私の過去を話した誠実な男性”……今だから話しますが、私は多々良部さんに少なからず”好意”を抱いています。なので貴方を抱いたとしても、嫌だとは思わないでしょう」


 好意……好意……この場合で使用される”好意”とは、黒咲が僕に恋愛感情を持っているという解釈で良いのか?


 ――いや違うな。


「それは男女の友情を感じるのが初めてだからであって、黒咲さんがどこか勘違いしているだけですよ」


 ベクトルの向きは違うが、自分の感情によって頭が”好き”と勘違いしているのは、あの時の僕と同じ。あれは頭が性欲に支配されたとかいう恥じるべきことだけれど、彼女の場合は初めての関係に戸惑っているだけだ。……そう断じた。


「……確かに、貴方の主張も真実なのかもしれませんね。一見冷静だと自覚しているはずの私が、心の奥底では感情を掛け違えているという可能性も否定しきれません」


「その通りですよ。だから早く着替えて下さい」


「――ですが、貴方に向ける好意が偽物だとは思いません。一日目の夜も、多々良部さんと口論したことを思い返し胸が痛くなって……後悔していましたから」


 黒咲は胸に手を当て、そう言った。その姿は己の行いを懺悔する聖女のようで……間違えた。懺悔するバニーガールだった。立ち居振る舞いは聖女なのに、服装がアレなせいで場面が台無しだよ。


(その話、もっと真面目な状況で聞きたかったなぁ……)


 なんて落胆をするほどには余裕を取り戻してきた。彼女の言いたいことも理解できるが、僕にも僕の考えや主張がある。それらを無視して性行為など出来るはずもない。


 黒咲の告白により、逆に決意を固める結果となった。



「とにかく、予定よりも早く出られる可能性が一つ。そして私の過去を乗り越えるためという私情が一つ。そして……多々良部さんと身体を交わすことで、自分の気持ちを判断することが一つ。これらが貴方との行為を望む理由です」


 強引な手段を一回止め、僕の言った通りに話し合いの方向で進めてくれた。だが片手には依然ロープが見えている。油断は出来ない。


「残念ですが、当の本人である”僕”が拒否しています。なら両性の同意は成立せず、無理にするというのなら違法行為となりますが、それでもよろしいのですか?」


「……」


 途端に口をつぐむ。法を話し合いに持ち出せば、相手は主張しづらいだろう。


(――勝った――)


「この部屋には私の貴方の目しか行き届いていません。……つまり、ここは治外法権と言えますよね? 私と多々良部さんが黙ってさえいれば、この場所で起きたことは全て合法です」


「え……えぇ〜〜」


 とんでもない暴論に、開いた口が塞がらない。ただ、言っていることは正しい。何かしらの方法で僕を黙らすことが出来れば、彼女が僕に何をしようと全て外には伝わらない。


 それに単なる思いつきではなさそうだ。ロープを握りしめる手に力が入っている。


「呆れられるのも当然です。でも私は今の感情に確信を得ていない。自分の気持ちがはっきりとは分からない。このモヤモヤをなんとか取り除きたい。だから――!」


 一歩を踏み出した。


 今までのとは違うと分かる。迷いを振り切るような強い歩みだと分かる。


 だが黙って受け入れるつもりもない――




「――僕を無理やり犯したとして、それは黒咲さんを襲った男と何が違いますか?」


「……えっ」


「だってそうでしょう? 黒咲さんは僕を襲おうとしていて、僕は嫌がっている。そんなの、貴方の過去とまるで同じじゃないですか!」


 彼女は重要なことに気付いていなかった。僕を無理に犯そうとするならば、それは彼女が忌み嫌っている”男”と変わらない。


「あ――あっ――ああぁ!!」


 ロープを投げ捨て、黒咲はその場に崩れ落ち絶叫した。腕で身体を抱え、自分から出ていこうとした”何か”を守ろうとしている。それは狂気に陥っている様にも見え、彼女が壊れてしまわないかという不安に駆られる。


「私は……私はッ!」


「落ち着いて」


 慌てて彼女の元に寄り、背中を撫でた。バニーなので背中が大きく開き、素肌が見えている。だがこんな時に気にしている暇はない。下心など一切無く、優しく、温かく宥めた。


 顔を抑え、震えている。自分がしようとしていたことが、最も自分が忌み嫌っていることだと突然に気付いたんだ……そりゃこうもなるさ。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 顔を覆う手の隙間から涙と謝罪の声が溢れている。謝っているのは、僕か、シスターか、母親か、はたまた彼女自身か――


「大丈夫ですよ。大丈夫です。今悲しめているのは、黒咲さんが行いを反省している証拠じゃないですか。だから大丈夫。貴方は、あの男じゃない」


 混乱している状況下で僕の声が届いているのか、確証は無い。けれども結局、僕の気持ちを伝えるしかないんだ。”これ”を乗り越えるのは、彼女なのだから……。


 ……なんて上から目線で語っているが、黒咲の横暴を静止させるためとはいえトラウマを掘り起こし、挙げ句さえその男と黒咲を同一視するという最悪な行動をとってしまった申し訳無さが後になって襲いかかってくる。で、でも襲われかけたわけだし、問題無いよね……?


「ごめんなさい……」


 葛藤している間にも、黒咲は謝り続けていた。僕は宥め続けていた。



 そしてしばらく経ち、黒咲は涙を拭ってこちらを向いた。目は赤く腫れている。


(……泣き顔を見るのは、これで二回目か。そう考えると、短い間にもかかわらず、この部屋の中でどれだけ濃密な日常を過ごしたんだろう)


 ふと、そんな郷愁に似た感情が心をよぎった。


「ご心配をお掛けしましたね。なんとか心を落ち着かせられました。……そしてすみませんでした。貴方に酷い行いをさせてしまって……」


「いいえ。そもそも僕が部屋から出たいとか言い出さなければ……あの話をしなければ、黒咲さんがここまで混乱することはなかったんですから。まぁ、バニー姿で詰め寄られたときはかなりヤバい状況でしたけどね」


「あぁ、本当に私はなんてことを……ごめんなさい」


 今度は胸の前で手を組み、祈る形で謝り始めてしまった。……本当に形は完璧なんだけど、バニーが聖女感を消してしまっているからとても残念だ。


「謝罪は先程お聞きしましたから、まずはその格好を改めてください」


「あっ、失念していましたね。では着替えてきます」


 落ちていた着替えを抱え、脱衣所へと足早に向かっていった。ドアが閉められ、着替え始めたことを音で確認してから、腰を落とした。


(……これがバレなくて良かったぁ……)


 魅力的という言葉では表しきれないほど美しい女性のバニー姿。最後まで誠実さを装っていたけれども、一度は欲望の方に傾きかけた。理性では行動を抑えていても、本能は制御し難い。だから――


 ――恥ずべきことに、僕の身体は興奮していたんだ。



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