六日目⑥


 黒咲が脱衣所で着替えている間、この後をどう行動しようか考えていた。



 まず前提として、彼女の誘惑に応えるか、応えないか。


 そりゃ応えないよ。黒咲自身が望んだこととはいえ、好きでも愛してもない相手に抱かれるなど、彼女が気にしなくても倫理的に駄目だろう。というか仮にも黒聖女と呼ばれるくらいなんだから、もっと自分の身を大切にして欲しい。つい数日前まで男に近寄られることすら嫌がっていたのに……何度思い返しても仰天する豹変ぶりだ。


 ……”多々良部琥珀だから”という言葉に喜んだのは確かだ。じゃあだからこそ、自分が理性で行動を抑え、黒咲の身を守ることが大切なんじゃないか?


 もしかすると彼女は僕の心情を読み取っているのかもしれない。そのことが、あんな大胆な行動をしているにもかかわらず平静としていられる原因なのではないか?


 自問と自答によるハテナマークは留まるところを知らなかったが、取り敢えずは彼女の誘いを断り続ける方針に決めた。ちょうどそこで、黒咲が着替えを終えて出てくる。


「さ、流石にこれは……かなり恥ずかしいですね」






 言葉を失った。彼女が身に纏っていた衣服はおおよそ”服”として呼べるものではない……もはやコスプレだ。


「動物を模倣することで可愛らしさや愛玩性を付与するためとお聞きしましたが……何故でしょうか、単純に面積が少ない服よりも過激に感じます」


 黒咲は照れながら言う。その頭には……長いウサ耳がついていた。


「”バニーガール”と言う物でしたか? 中等部に所属していた頃、学園祭の出し物でこの服を着ていた女子を横目に『何を考えて着ているのか』と呆れていましたが、まさか自身が着ることになるとは思いもしていませんでした」


 黒咲が歩みを進めるたびに、頭のウサ耳が大きく揺れる。黒のバニー衣装が、彼女の金髪に良く似合っていた。


「破廉恥な格好だと思います。ずっと苦手でした。……ですが、」


 素足は見せていない。その代わりに網目のストッキングを履いており、それが素足の状態よりも扇情的だった。


 性の対象として見えなかったという言葉を撤回する。彼女の美しく淫靡な姿に、魅了されかけていた。


 だから男として避けようがなく、僕の目は――


「今だけはありがたいです。貴方に対して効果覿面のようですから」


 ――黒咲に釘付けだった。




「ちょ、その格好で近づかないでいただけますか」


 そう言いながら一歩下がる。先程からずっと逃げ腰になっている情けない自分の姿に、涙が出そうだよ。


「駄目ですか? 一体何が駄目なのでしょうか。私は頭がよろしくないので、教えていただけないと分かりませんよ?」


 なんて煽りながらもっと距離を詰めてくる。僕が後ろに下がった分だけ。


 その目には迷いがない。……なるほど彼女が先程言っていた”攻めなら大丈夫”という話。それは事実なのだと確信した。


 だとしても扇情的過ぎる。男や”そういうこと”に対して過敏だった黒咲が、何故こんなにも男を誘うような言動が取れるのか?


 この問いに対して、彼女は自然に答えてくれた。


「何度も申し上げた通り、私は多々良部さんを信じています。……だからこそ、私に襲いかからないと安心できています。それはつまり、ヘタレな貴方に対して一方的に攻められるということなのですよ」


「なるほど納得しました。じゃあ早くそのバニースーツを脱いで下さい」


「私にこの場で裸になれと? 最終的には脱いで貴方と交わることになりますが、床の上でというのは……常識は存じていませんが、少々アブノーマルな嗜好だと思われます」


 話が通じない。


 ウサギは年中発情期の動物だという。……熱を含んだ目、そして吐息を纏い、羞恥に頬を染めながら接近してくる黒咲。そんな彼女もまるでウサギのようだ。


「あら、話がそれてしまいましたね。では多々良部さん――」


 トン、と僕の背中が壁に当たった。視線が黒咲に集中してしまっている間に、気付けば部屋の隅に追い詰められていた。これじゃ、どっちが捕食対象か分からない。


 そして逃げられないということは、彼女との距離がもっと縮まるということ。


「――一緒に、シましょう?」


 耳元で囁かれる。彼女という熱が、直ぐ傍にいるのだと実感させられる。


 きめ細やかな肌も、柔らかそうな胸も、流れる黄金の川のような髪も、手の届く距離にある。それらに触れることは許可されている。なんなら、押し倒すことだって。


「っ〜〜!」


 僕の腕が上がり、そして――




 彼女の肩をグイッと押し、僕から遠ざけた。


「これで満足しましたか? 黒咲さんがどれだけ誘惑してこようとも、返事は変わりません」


 間一髪のところで己の欲望を我慢できた。本能に誘われるまま腕を上げた瞬間、彼女を汚すようなことを絶対にしないという自分の誓いを思い出したから。


 危なかった……自分で立てた誓いを自分で破るところだったのだから。まぁとにかく、ラストチャンスを断ったことで黒咲も諦めてくれる――


「はぁ、なら仕方がありませんね」


「ならもう着替え、って……え?」


 彼女が向かったのは脱衣所ではなく、部屋の端。そしてズルリと取り出したのは……ロープ。それを手に取り、僕の元へと帰ってきた。



 不意に、緊張の唾液が喉の音を鳴らしながら流れていった。


「一応聞いておきます。そのロープで何をするつもりなんですか」


「多々良部さんを縛って無理に犯そうかと」


「おかしいですよね? 絶対におかしいですよね!?」


 明らかに様子がおかしい黒咲。貞操の危機を直ぐそこに感じた。


 突然のキャラ崩壊。男嫌いで不快感丸出しの黒聖女……だったはずなのに、今はその見る影もない。ロープを手に持ち男に襲いかかろうとするヤベェ奴だ。格好がバニーなのも余計に恐ろしさを増している。


 何故こうも極端に? 先程述べていた”自分を変えたいから”という言葉……全部が本心からではないと思うが、確かな本音に感じた。ということは単純に気まぐれなのか……?


「大丈夫ですよ。天井のシミを数えている間に終わらせますから」


(……天井が綺麗すぎてシミが見当たらないんですが)



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