四日目①


 現在時刻は朝七時。早くも四日目を迎えた。


 三日目の午後や夜はまぁ……かなり自堕落な生活であった。黒咲がレーシングゲームに意外とハマり、昼食を食べた後もそのままゲームを続けていた。僕に飽きが来ても彼女はまだ続けたいと言い、胸を触ってしまった罪もあるので文句を言わずに付き合っていたのだ。


 時間をかけて黒咲はめきめき上達していき、遂には僕から何度も勝利をもぎ取る実力となっていた。小さい頃の話とはいえ、僕はかなりこのゲームが上手かった部類に入ると自負している。そんな僕に追いつくなど、どれだけ楽しんでやっていたのか。


 まぁそれ置いといて――


「痛ったた……」


 床で寝ること自体には慣れてきたのだが、不健康に夜遅くまでゲームをやっていたせいで体中が痛い。休憩は適度に取っていたが、流石に目を酷使し過ぎて頭も痛い。黒咲はまだ寝ていることだし、今日は特にすることもなく、のんびりと休憩することにしよう。


 そう思い、再び掛け布団を体に掛けて寝入ることにした――




「ん〜〜っ、っぷはぁ!」


 上体を起こし、大きく背伸びをする。二度寝のおかげで体を十分に癒やすことが出来た。目を擦り、時刻を確認。


「今は……午後三時か」


 とっくにお昼は過ぎているが、寝ていただけでエネルギーを全く消費していなかったのでお腹が減っていない。少しだけでも何か食べたほうが良いと思い立ち、果物を数個切って腹に詰める。黒咲のためにも半分残し、レモンを数滴垂らしてラップを掛けて保存しておく。


 その後は暇だったこともあり、運動不足解消のために腹筋と腕立て伏せ、そしてスクワットを適度に行った。この部屋は広いが閉鎖空間。とても満足に運動が出来る環境じゃないけれど、全く筋肉を動かさないでいると筋力が衰える。余計なお世話だが、一応黒咲にも忠告しておこう。


 これらのことを行っていると、気付けばもう四時半。そろそろ黒咲を起こした方が良いだろう。起こそうとベッドに近づくと、彼女の顔が目に入る。


 ……やはり顔立ちが整っている。なるほど多くの男にモテるというのも納得だ。


 確かに彼女が寝ていて、この部屋に二人きりだというのなら、我慢できずに襲ってしまう輩が殆どであろう。しかし僕はそうしなかった。理由の一つは彼女が言った通り、僕が異性に対して臆病であること。そしてもう一つある。それは――


「おはようございます、多々良部さん」


「わっ⁉ ……起きてたなら言ってくださいよ、趣味が悪い」


 気付けば目をパッチリと開けた黒咲が。驚いて声を上げてしまった。


「女性の寝顔を見る方と比べて、趣味が悪いのはどちらでしょうか?」


「いや寝顔は見――」


「見ましたよね?」


「……はい」


「そのまま襲おうとしたんですよね?」


「違います」


「それはそう。だって多々良部さんは臆病でヘタレな方ですものね」


 そうやって冗談を言いながらケラケラ笑う様子は、初期の黒咲とはまた違った雰囲気を纏っている。昨日よりも更に明るくなったというか……


「何か吹っ切れた感じですか?」


「あら、気付かれましたか。そうですね……未だに男性に対する恐怖はあります。そこから派生した嫌悪感も」


 そりゃそうだ。一朝一夕でトラウマが消え去るなら苦労していない。


「ですが多々良部さんに対しては、女子と同じような対応が取れるのですよ」


「それは……僕が無害であると信じていただけたということですか?」


「そのように認識していただければ。顔を近づけて頬を赤らめるような初心な方が、実際に行動を移せるとは思いませんから」


 ……なんだろう。いがみ合っていた時とはまた違ったベクトルでイラッとする。そりゃ彼女の言っていることは嘘ではないのだけれど、それだけではない。他にも理由があるのに、わざわざ言うことではないために、黒咲が僕を臆病だと断じていることが心をモヤつかせる。これも我慢するしかないのだが。


「あ、お腹へっていませんか? 果物を切って保存してあるので、少しだけでも食べておいた方が良いですよ」


 分かりやすく話題を逸らす。僕の心情をなんとなく察してくれたのか、彼女もこれ以上に言ってこなかった。


「ありがとうございます。ではいただきますね」


 そう言って黒咲は立ち上がり、テーブルの上にある果物を食べ始めた。




 昨日はずっとゲームに熱中していたからお風呂に入れていない。特別汗をかいていたわけでもないし。だがなんとなく入りたいと思い立ち、少し早いがお湯を張ることにした。


「今風呂を沸かしたところですけれど、どっちから入ります?」


「私は多々良部さんの後でお願いします。お湯を沸かしてくださったのは貴方ですし、私の残り湯を堪能されたくないので」


 まぁ当然だな。これは男への嫌悪感は関係なしに、自分が入った湯に誰かが入られることを苦手としているだけだろう。残り湯を堪能という言い方には物申したいが。


「では先に入りますね」


 そう言って着替えとタオルを抱え、脱衣所へと向かった。


 体と髪を洗い、湯にゆっくりと浸かる。


 ”疲れが溶けていく”という表現をよく耳にする。日常の中では入浴について特に考えることはないだろうが、何か出来事があり、疲れた後に入るお湯……なるほど”疲れが溶ける”という表現は正しいと感じた。疲れだけでなく、体がじわじわ溶けていく気すら感じる。浴槽を蓋で覆っているので微かに薄暗い。すると段々眠くなり、ゆっくりと瞼が――










「――らべさん⁉ 多々良部さん!」


「うわっ⁉」


 大きく呼ばれて目を開く。驚きで体が震えると、バシャッという水温が反響した。湯気で薄くぼやけているが、黒咲が心配そうな目つきでこちらを見下ろしていた。


 黒咲の姿を視認すると急激に脳が覚め、自分が浴槽に浸かったままであることにようやく気付く。


「……僕、寝てました? 風呂場で」


「はい。三十分経った頃に一度声掛けをして、その時点で声が返ってきませんでした。まだゆっくり浸かっているのだと思っていたのですが、その十五分後に心配になって、ついドアを開けると浴槽で目を閉じている貴方を発見しまして……」


「あ〜それは……ご心配をかけてすみませんでした。まさか気を抜いて寝ちゃってたなんて……」


「本当です。浅い水でも死亡してしまう事故もあるのですから。目を閉じてて蓋で胸が動いているのが見えなかったので、本当に危険な状態かと疑ってしまったのですよ?」


「はい。それはそれとして、いつになったら出ていただけるのでしょうか? あと大丈夫ですか、僕の、その……裸ですよ?」


 蓋で下半身と上半身の殆どが隠れているとはいえ、彼女が少し前まで嫌っていた男の裸など見苦しくてしかたがないだろうと考えたのだが、予想外に平然としているので不思議に思う。


 すると彼女は呆れたように笑う。


「プライベートが隠れているのならば別になんとも。望んで見るようなものだとは思っていませんが、そこまで苦ではないですね。そもそも、男性の肌を見ることすら厳しいならば、水泳の授業などどうするのです?」


「確かに」


「ですが多々良部さんもお恥ずかしいでしょうし、失礼します。次は寝ないように気をつけてくださいね」


 黒咲は風呂場から退出し、ドアを閉めて戻っていった。その後ろ姿が少し恥ずかしげに見えたのは僕の気の所為ではないはず。湯気の暑さかは知らないが、頬も少し染まっていた。口ではああ言っていても、多分に、彼女は恥ずかしかったのだろう。


 何故断言できるかって? だって僕も凄い恥ずかしかったからね。彼女の気配りは確かに正しかった。


 考えてもみてほしい。思春期の男子が入浴している時に、それが家族であれ異性が入ってきたら動揺するし羞恥に苛まれること間違いなし。まして、それが他人であるならば想像に難くない。


 行き場のない感情を発散させるように、口までお湯に沈めてブクブクと鳴らす。そうして寝ない程度にリラックスを試み、浴槽から上がった。




「どうぞ」


 黒咲は部屋で本を読んでいた。昨日推薦された物とはまた別の本だ。


「あ。こちらも私のお気に入りでして、是非読んでみてください」


 そう言い残し、着替えを抱えてお風呂に入りに行ってしまった。


 推された本を手に取り、下品だとは思いつつ床の簡易ベッドに仰向けで寝そべりながら読む。


 ……ふと、この生活にも慣れてきたものだと感じた。



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