三日目⑥


 何故感想など述べてしまったのだろうか? いくら女性の体に免疫が無いといっても、あんな馬鹿正直に『柔らかい』と言う阿呆が何処にいる? あぁ此処にいたよ僕ですよ!


 何度も自問自答し、己の行いとその結果を後悔することを繰り返した。だが苦悩するだけでは何も変わらない。なので黒咲と仲直り、というか関係を元に戻す方法を画策しようと試みるが、このような出来事は初めてであるために、一向に思いつかない。


 こういう時こそ、親友(自称されてる)のような生来のコミュ力で相手との仲を取り持つのであろうが、なにせ相手が相手である。トラウマが薄れてきた彼女に――徐々に心を開いてくれていた彼女に――よりにもよって”胸が柔らかい”と、過去に彼女を襲った男を想起させる言葉を放ってしまった。トラウマを掘り起こされる苦しさは誰よりも自分が知っていたはずなのに……


 黒咲の心情は、今はどのようになっているのだろうか? とても傷ついただろうし……愚かな僕に怒っている? 呆れている?


「あの――」


「話しかけないでください、性欲に支配された愚かな生物」


 あ、終わった。


 終に呼び名が”性欲に支配された愚かな生物”という、男としては最底辺の呼び名となった。


 黒咲は体を腕で守りつつ、直ぐに反撃へ移れる姿勢を取っている。初期の単なる嫌悪感だけでない。今では僕に対する憎しみすら感じられる目だ。それ相当のことをやらかした自覚があるので、言い返しは勿論、口をつぐむことしか出来なかった。


「いえ、愚かなのは私の方でしたね。貴方のような生物を一時でも信用してしまった私の……失態でした。無害な顔と言葉を並べて私の隙を伺っていたのですね。とんだ獣に騙されたものです」


 ここで彼女との友好の道を完全に諦めてしまってもいいのだが、僕は彼女の過去に少しでも触れてしまった。心の中の何かが、諦めてはならないと叫んでいる。息を大きく吸い、覚悟を決めた。


 警戒される前提で一歩進む。黒咲も一歩下がる。それを数回繰り返し、彼女を壁際へと追い詰める羽目になってしまった。ここまでとは想定外だが、もう今、この場でやるしかない。


「黒咲さん、僕は貴方に危害を加える気など一切ありませんでした。貴方を性的な目で見ていません」


「嘘です! ならばどうして、やっ、柔らかいなどという感想を言ったのですか⁉ その感想が私の体を堪能した証拠ではないのですか! ……信じていたのに」


 黒咲は涙目で反論する。彼女の言う通り、僕は心から彼女を信頼させてしまっていたのだ。なので胸を揉んでしまったことに対する驚愕は、彼女が最も受けている。そのことが申し訳ない……だからこそ、この場で関係を戻す必要がある。


 ふと、ある策を思いついた。とある虚言を彼女に伝え、道化を演じるという策だ。


 この嘘を伝えれば、確かに彼女との関係を元に戻せる可能性が出てくるだろう。だがしかし、この場でのことがもし外に出た時に周りへと広がったならば、僕の学生生活は終わりを告げる。事前説明無しに、ましてや噂のみが広がるなら、より酷い結果を迎えるだろう。


 それでも僕は――






「すみません。今まで隠していましたが……僕は男色家なんです」


「……えっ?」


 想像外の言葉は彼女の緊張を解いた。


「だから男性が好きなんですよ、恋愛という面で。なのであの時の言葉は堪能していたのではなく、男性ならこれくらいの胸が好きなんだろうなぁと、つい思ってしまったんですよ」


 あぁ、自分でも何を言っているのか分からない。同性愛者であることが彼女の危害を加えないという根拠にはなり得ないはずなのに……。でもとにかく、自分がゲームしたり本を共有したりすることをもっと彼女としてみたいと望んでいることを伝えたかった。……あれ、もしかしなくても方法を間違えた?


「な、なるほど……いえ、ちょっと待ってください」


 一度は納得したかと思うと、今度は逆に彼女がツカツカこちらへ歩み寄ってきた。頭の中が混乱し、逃げることが叶わなかった。いや逃げる気はなかったのだけれど。


 ……いやちょっと近すぎじゃない?


 途端に目の前に黒咲の見目麗しい顔が現れた。おかげで彼女の顔の細部までハッキリ見える。


 黒混じりの綺麗な金髪。ふっくらして健康的な唇。長い睫毛。毛穴など見えないハリのある肌。なるほど自身が美人だと自覚するのも無理はない。そして、青……いや、翠緑の澄んだ瞳。


 目が合うのは流石に限界で、スイッと視線を右へと逸してしまう。彼女はそれを見逃さなかった。何かを理解したのか頷き、また覚悟したかのように体を強張らせた。


 そして腕をゆっくりと上げて僕の腕を掴み――彼女自身の胸を強く揉ませた。


「ッ⁉ な、何をやってるんですか!」


 混乱していた頭が急激に覚め、体を大きく後退させた。


 手を開いたり閉じたりしてみた……まだ手のひらに感触が残っている。前回は少し沈む程度であったが、今回はその比にならない。力強く、がっつり押し付けさせられた。……人の体って、あんなに沈むものなんだなぁと、謎な感想。


 何故このようなことを? 男に体を触られるのが嫌ではなかったのか? 二回目なのに? 直前に何を覚悟していた? 一体何を考えている?


 疑問がとめどなく溢れてくるが、それらへ答えるように彼女は話し始めた。


「やはりそうでしたか……男性が好きだという貴方の話は嘘なのですね? 私が顔を近づけた時点で顔を赤らめていましたし、先程でようやく理解しました。貴方は女性に対して免疫がない」


「……それは男色家なので、女性に免疫がないだけであって――」


「それも嘘ですね。言いませんでしたっけ? 私、相手の目を見ればやましいことを考えているかどうか分かるんです。貴方にはそれを感じました」


「……」


 全て見抜かれてる、ってことですか。ならこれ以上虚言を並べても意味がない。


「……はい、男色家って点は嘘です。でも危害を加えないと言ったことは――」


「真実なのですよね?」


「そういうことです。嘘をついて騙そうとした身ですが、信じていただけますか?」


「はい。男色家と言われて一時は納得したのですが、どうしても信じられなくて貴方を試しました。顔を近づけ、その、むっ、胸を触らせました」


 少し顔を青ざめている。黒咲は、勇気を持って僕を試したのだ。そのことを嬉しく感じた。一歩間違えば再びトラウマを思い出してしまう危機を抱えながらも、僕を信じようとしてくれていたのだから。


「すると貴方はまるで初心な反応を見せ……なるほどやっと分かりました。貴方は臆病、俗に言うヘタレなのですよね?」


「むぐッ」


 喉を詰まらせたかのような声が出てしまった。己の心を赤裸々に語られ、いざヘタレなどという言葉を使われると、言葉にできない恥ずかしさがこみ上げてくる。


「私が寝ている時に手を出さず、女性の体に慣れていない。その二つから推測したのですが、どうやら合っていたようですね」


 そう。彼女の言う通り、俺は只のヘタレ。人並みに性欲はあれど、実際に行動に移すなど出来やしない。だから女性への劣情をおくびにも出さないようにしている。だから最低限に性欲を抑えられている。


「ふ〜ん?」


「な、なら何だって言うんですか」


 含んだ笑みを浮かべる黒咲が何処か憎らしく、やっと言い返すことが出来た。


「なんでもありませんよ。ささ、先程のことは水に流してあげますから、ゲームの続きをしましょう!」


「えっ」


 そう言って黒咲は早々にコントローラーを握り、中断していたゲーム画面を元に戻す。楽しげにしている姿がやはり憎らしい。


 なんとか仲を戻そうと嘘をつき、それを容易に暴かれた。なるほど予測通り道化となり、結果的に仲直りすることが出来た。


 しかし……僕の心には悔しいといったモヤモヤが残ることとなった。このモヤモヤが原因で後のレースではボロボロだったことは、将来の戒めとしておこう。



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