三日目⑤


「……」


「……」


 静かな部屋の中、男女が背を向け合い一言も喋れない状況にあった。楽しくゲームを始めたはずだった。なのに何故このようなことになってしまったのか?


 話は一時間前に遡る――






「車はどれを選べばよいのでしょうか?」


 黒咲が初心者らしく、素直に質問してきてくれることがありがたい。変に拘って何も分からないままプレイし、後になって”何故教えてくれなかったのか”とキレられる方が嫌だから。


「初めは……この小さめの車が良いと思います。スピードはあまり出ませんが、ハンドルが良く効いて、減速した後の加速が優秀な車体ですね」


「では多々良部さんのおっしゃった通りにします」


 彼女はその通りに僕が推薦した車を選択した。ちなみに僕も同じ車種。


 他の諸々の設定を終え、いざレース本番へ。操作方法、加速アイテムや妨害アイテムなどの説明は軽くしているので、全くプレイ出来ないということはおそらくない。CPUのレベルを最低値にしているのでAIにボコボコにされることもないだろう。



 3…2…1……


 レースが始まった。彼女の少し後ろを走るように運転する。見たところ黒咲は好調な滑り出しのようだ。


 早くも2ラップ目に到達。急カーブで落ちてしまうことは少々あれど、それ以外に目立つミスは無く、安定した走りを見せている。さて、そろそろ被弾する頃かな……



「あうっ、置かれていたバナナに滑ってしまいました! 不法投棄です! 危険な行為です!」


 前ラップで投げられたバナナに引っ掛かってしまったようだ。そしてゲームに常識をツッコむのが微笑ましい。現実での路上へバナナの不法投棄は確かに異状だけど。



「ぐ、グライダーで飛んでいる時に妨害されました。コース外に追い出されました。みるみるうちに抜かされていってます……」


 涙は流していないが、声が沈んでいっている。CPUレベルは最低値なので狙っていたわけではなさそうだ。つまり単純に不幸だったということ。


 慌ててフォローに入る。


「だ、大丈夫ですよ。順位が下なほど良いアイテムが出てきますから、逆転も不可能ではありません」


 と言った直ぐに、彼女は逆転のアイテムを引き当てた。彼女以外のプレイヤー全員を妨害し、彼女自身は加速し、みるみるうちに順位が上がっていく。


 その勢いのまま最終ラップも安定して進み――


「やりました! 一位です!」


「おめでとうございます」


 両手を挙げて無邪気に喜ぶ姿を見ていると、こちらも自然と笑顔になっていた。何度も言われてしつこく感じるだろうが……やはり素の彼女は普通の女の子であった。


 生来で純粋で優しい性格をしていたのに、幼い頃のトラウマで男に対し極度に嫌悪感を抱いている状態であっただけ。望むこと無く僕とふたりきりで一週間この部屋に閉じ込められることとなったが、図らずともそのトラウマが解消されることとなった。そのキッカケが僕であることを……少し誇りに思う。


 結果で見ればショック療法と言えなくもないが、男への偏見をより拗らせてしまう前に彼女のトラウマを緩和することが出来たのは喜ぶべきことだろう。これが黒咲の言う”シスター”が望んでいることなのかはまだ知らないが……此処を出られたら、会って話してみよう。たとえ叱られることになろうとも。


「次のレースに行きましょう。次も頑張って一位を取ってみせます!」


「分かりました」


「それで……多々良部さんは楽しめましたか?」


「勿論ですよ。黒咲さんも楽しめたようで良かったです」


 手加減していたとはいえ、楽しめたのは本当。懐古しながらゲームするというのも、中々どうして悪くない。そう思った。


 素直に思いを話したはずなのに、何故か黒咲は眉間にシワを寄せた。どうして不機嫌になってしまったのか? 特に彼女の癇に障るようなことは言っていないはずなんだけどな……


「しかし多々良部さん。貴方は……手加減していましたね?」


「そ、そんなことないですよ」


「嘘です。確かに笑顔で楽しそうにしていましたが、何処かつまらなそうな目をしていました。今も目が泳いでいます。やはり手を抜かれていたのですね?」


 ……目で感情を読み取られるなど初めての経験だ。”目は口ほどに言う”と諺を学んだが、実際にやられると恐ろしさを感じるところがある。とどのつまり、相手に対して嘘がつけなくなるということだからだ。


 黒咲の視線の圧に負け、僕は正直に吐いた。


「す……少しだけ」


「次のレースは本気で走っていただけますか?」


「ん……んん?」


 謝罪をしたのに、突然謎の提案をされて驚いている。僕が本気でゲームをすることが赦しとなるのだろうか?


「何故でしょうか?」


「多々良部さんにも楽しんでいただくためです。私も女の子の友達と遊ぶ時は、全員が楽しめるように動いていました。……貴方もそうだったのでしょう? 初心者である私が満足して終えられるように」


 心を赤裸々に見抜かれている。取ってつけたような接待や気遣いなど、聡明な彼女には一瞬でバレてしまうものなのだろう。


 そして早速、女子の友達としていたことを実践するだけで良いという僕の意見を行動へ移してくれていることに……そんな状況ではないと分かっているのだけれど、らしくもなく喜んでしまった。会議で出した自分の意見が採用された時のような高揚感に似たものを感じる。


 僕は彼女の価値観を変え、あまつさえ行動の基準も変えてしまった。本来なら責任を感じるべき行動……その結果で僕は喜んでいる。そんな厚かましく愚かな自分の感情に少し、嫌気が差した。



 さて、その嫌気を顔にも目にもおくびにも出さないよう気を付けながら、彼女の提案に乗り次のレースを本気で走ることに。一応、どんな結果になっても知らないよと断りを入れておいて、車を小さい頃に自分がよく使っていた車種に変更。心を切り替えガチの気分でレースに臨む。


 散々最高レベルのCPUと戦い続けていた僕の実力が、初心者であるが対人である黒咲にどれほど通用するのか――



 3……2……1……


 再びレース開始。しっかりスタートダッシュを行い、いきなり先頭集団へと躍り出る。ちなみに黒咲は普通にスタートしていた。方法は教えたのだが、危ない橋は渡りたくないと断られてしまったのだ。


「えっ、多々良部さん?」


 困惑する黒咲。彼女のレースではCPUがスタートダッシュをしないレベルだったので、実際に見るのは初めてなのだ。僕もその時にはしていなかったし。


 そのままレース初めてのアイテムボックスを取得。当てたのは単純な加速アイテム。そのことを黒咲は知り多少安堵し、スタートダッシュで離された差を良アイテムで埋めようと思い立つ。


 だが甘い。ショートカットを使うためにダートへ直進。加速アイテムで失速を防ぎ、綺麗にショートカットをキメる。口をポカーンと開けたままの黒咲に笑みが溢れるが、ショートカットについて説明していなかったことに対して罪悪感を感じる。この状況を見越して言わなかったわけではない。スタートダッシュですら不安定だと考えた彼女にとって、ショートカットも同じように感じるだろうと予想して、言わずにいたのだ。


「お、おかしいです! ズルです! そんな近道なんて私知りませんでした! ……しかしまだ取り返し可能な距離――」


 流石に黒咲も憤るが、直ぐに気持ちを切り替えて僕に追いつくことに専念する。段々とゲームに慣れてきたのか、前のレースで滑っていたはずのバナナを華麗に避け、徐々に僕との差を詰めていっている。


 二ラップ目の中盤で状況が一転する。黒咲が逆転アイテムを引き当て、僕の手前、即ち二位まで順位を引き上げてきた。


 ここで僕はブレーキボタンを少しだけ押し、黒咲を先頭に出させた。彼女は僕がミスしたと思ったのか喜んでいる。


「やりました! 多々良部さんを抜かせましたよ!」


 だがやはり甘い。……直後に黒咲は妨害アイテムに被弾した。


「えっ⁉ 後ろに多々良部さんがいたのに何故……まさか!」


 そう、僕は直前にマップを読んで、後ろから”一位のみを狙う妨害アイテム”が近づいていることに気付いていた。なので敢えてブレーキし、彼女に一位を譲った上で被弾させたのだ。その隙に大きな差を作り、そのままゴール。黒咲は被弾が原因で四位という結果であった。


 ……レースが終わったのに歓声や感想も無く、コース選択時のBGMのみが流れるという恐ろしい時間が流れている。隣を見るのが怖すぎて頭が固定されている状態。気の所為であってほしいが、じっと見られ続けているような――


「……次のレース、行きましょうか」


「はい」


 


 早くも次のコースを選択しレースへ。チラッと見たのだが、黒咲の目が本気になっている。こころなしか僕への敵意を感じるのだが?


 僕にしてやられたのが相当心に効いたのか、心が動揺してしまいゲーム内での車の動きに合わせて黒咲の体も動いてしまっていた。レーシングゲームで実際に体を動かしちゃう人って本当にいたんだ……


 そんなことを考えながら黒咲から的確に投げられた妨害アイテムを避けていると、彼女の車体が急カーブに差し掛かる。それに合わせ、黒咲の体も大きく左に傾き――


「あっ!」


 倒れかけた体を慌てて支えようとして、前半身を僕に向ける。そしてそのまま僕の肩へと倒れた。急な出来事で、ゲーム中であったこともあり、避けることが叶わなかった。


 幸運と言うべきか、彼女の顔が僕の肩にぶつかるといったことはなかった。もし顔に当たっていたら鼻血が出てしまっていただろうから。……代わりに、柔らかくふくよかな感触を肩に感じた。まぁ要するに、黒咲の胸がおもいっきし体に押し付けられてしまったということ。


 その時点でゲームを中断して土下座でもなんでもして謝罪すればいいものを、このようなことに慣れていない僕は、つい感想を述べてしまったんだ……


「え、柔らかい」


「キャァァァぁぁ!!」


 途端に頬を赤くするのではなく真っ青にした黒咲は叫び、コントローラーを放り投げて僕から離れた。彼女の叫び声で正気に戻った。その時にはもう遅い。すっかり遠くの場所に立ち、ひたすらにこちらを睨んでいた。


 ……え、これってどうすれば良いんですか?



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る