三日目②
私はハーフです。アメリカ人の母と、日本人の父との間に生まれました。
二人共顔立ちが整っていました。私も例外でないと思います。いえ、これは自慢などではなく、客観的に見た感想です。己の顔を気にしていない女性は稀かと。
話がズレてしまいましたね。とにかく私は父と母の子ですが……両者共に望まれた子ではありません。
母がビジネスホテルに泊まっていた時、バーで一目惚れした相手が父だったようです。父も母のことを好意的に思い、そのまま一夜を過ごしました。
連絡先を交換し、そのまま交際が始まりました。それなりに仲良くやっていたようです。
しかし……交際四ヶ月にして、母の妊娠が発覚しました。避妊はしていたようですが、どうやら惜しくも失敗してしまったようです。
当時、父は会社を設立して間もない頃でした。そのような大変な時期に私の存在を知り、父は恐ろしくなって……母と私を棄てました。
私を育てるのに十分なお金をかき集めて、連絡先を全て消して母の元から去りました。母は別れた直後は悲嘆に暮れていたようですが、切り替えて私を育てることに専念しました。
確かに私は父から望まれていませんでした。……しかし母は間違いなく父のことを愛していましたし、父との愛の結晶である私のことも愛してくれました。
育児に奔走しながらもなんとか会社を立ち上げ、私に十分な愛を注いてくれました。ですが会社の命運を分けるような取引が決まり、遂には私の子育ても十分に出来なくなりました。
その代わりに、母の知り合いの男性が私の世話をするようになります。当時のわたしは九歳です。
ここで話は戻るのですが、私は幼い頃も顔立ちが整っていたようです。初めは信頼していた男性の視線が段々と嫌らしいものになっていって――
私の世話をしてくれるはずだった男性は、突然私に襲いかかりました。手を押さえ、服を剥ぎ、下卑た目で身体を睨め回してきました。
どうやら幼い女児に欲情する
母は私を優しく抱いてくれました。服が乱れた状態で母の胸で泣き、震え、母の温もりに癒やされました。
……ですが、あれ以来、男の人を信用できなくなります。私に近づく男性は全員下心を持っているのではないかと、常に疑ってかかるように。
中学生になり、言い寄ってくる男性の数は増えました。私へ向ける視線が嫌でした。不快でした。……でも何も言えず、黙って大人しく毎日を過ごすだけでした。
それでもしつこく言われ続けたある日、厳しい言葉を男性に放つと、大人しく引き下がっていくことに気が付きました。これが正解なのだと思いました。
だから、私は全ての男性に対して、冷たく接し厳しい言葉を放ちます。私から離れていくように、わざと。……それは多々良部さん、貴方も例外ではありませんでした。
「――これが私の半生です。不幸自慢がしたかったわけではありません。貴方に対して行った酷い言動の言い訳でもありません」
ここで一呼吸、黒咲は間を空けた。
長い話だったが、つまらなさを一時も感じさせない内容であった。彼女の過去は重く、今までの対応をなるほどと思わせるに足る話だ。だって、後半に彼女は震えながら話していたから。
それと同時に、胸の奥に痛みが走った。傷を取り繕ったはずのトラウマが記憶の中に迸る。荒くなりかけた息を、僕も呼吸を置いて元に戻す。
「……ただ、貴方に謝りたかった。会ったときから無害を主張してくださった貴方を無下に扱ってしまったことを」
彼女はこう続けた。喧嘩のようなことをしてしまったが、その晩に落ち着いて考え反省し、僕に謝ろうとしたのだと。
しかしその時には、僕は既に黒咲に対して見切りをつけてしまっていた。急変した僕の態度で、自分の行動と反省が遅かったことに気付いたらしい。
一転した冷たい僕の対応に……彼女はそれこそ、僕と同じように意地を張ってしまっていたのだ。『あれだけの言葉で意地悪くなるなど、あっちの方が間違っている』と。
だけれど、ふと気が抜けて寝てしまったとき、すなわち僕がゲームを終え入浴していた後のとき――
喧嘩した後だった。彼女は無防備だった。なのに優しく服を掛けてくれた。そのことが決定的となってしまった。
「”あぁ、この人は大丈夫なのだ”と、漠然としながらも確信しました。きっかけは小さくとも、貴方の行動は私の凝り固まった偏見を溶かしてくれたんです」
段々と柔らかい表情へと変わっていく黒咲を見て、元々は心優しい女性なのだとハッキリ分かる。それが幼い頃の悪夢で捻じ曲がってしまっただけであって……
”黒”が付いていても、彼女は二つ名の通り”聖女”なのだ。
「……僕が貴方の心情を予想して、偽の優しさを見せるためにした行動だったとしたら?」
随分に意地悪な質問であった。徐々に心を開こうとしてくれている彼女の気持ちを察しながらも、僕が悪人であった場合を話しているのだから。
案の定、この質問は黒咲を困らせてしまう。
「そのときは……」
「答えられないでしょう? やっぱりアンタはその方が良い」
自嘲するような笑みで応える。だって、心が傷つくことの辛さは僕も知っているから。再び開いた傷は、余計に治りづらいことも。
彼女の身の上話が真実だとして、それならば余計に僕に近づくべきでない。僕は聖人じゃないから。何かがきっかけで黒咲を傷つけてしまうかもしれないから。
ほら……再び心を傷ませるのは君も嫌だろう。ずっと男性に苦手意識を持つってわけじゃないだろうけど、心を許すのは僕じゃ駄目だ。
だから――
「やはり多々良部さんを信じます」
「っ!」
……何を、言ってるんだよこの人は。
男に襲われかけた過去があるにもかかわらず、僕と関わりを持とうとするとか馬鹿げてる。矛盾してるよ。
……でも、理性とは裏腹に僕の心は喜んでいた。自分の努力が無駄ではなかったことを、素直に嬉しがっていた。
「私は多々良部さんを信じると決めたのです。ならばその覚悟は貫き通します」
しかし、僕が彼女を嫌っていることに変わりは……”嫌い”?
何故僕は黒咲を嫌っていた?
――毒舌や態度に嫌気が差したから
彼女の事情と謝罪を聞いた今、嫌わなければならない理由は?
――ない
この間もずっと、黒咲は僕の目を見続けていた。
純粋に謝った黒咲。変な意地を張り続けている僕。
どっちがダサいかなんて、明白だった。
「……僕も、冷たい態度を取ってしまってすみませんでした」
気が付けば謝罪の弁を述べていた。
「多々良部さんはどうか謝らないでください。私が初めに貴方を信用していれば良かっただけの話なのですから」
彼女は再びシュンとする。初めの警戒ぶりを思い出すと”誰だこの人”と感じるほどの豹変ぶりだったが、もしかすると、これが本来の彼女なのかもしれない。
彼女が友だちと話す時に見せると言われている笑顔も、噂ではなく本当なのかもしれない――
敵意を持たない相手を、一方的に責める勇気を僕は持っていなかった。
「黒咲さんの話を聞いて、今更責める理由は無いよ」
「ならばその贖罪として、せめて今からでも貴方と信頼関係を築くことは出来ないでしょうか? 言い出すのが遅いということは重々承知しています。なのでこの提案は……そうですね、完全に私の欲です」
彼女の口から”欲”という言葉が出てくるとは思わなかった。彼女を聖女だと認識した今、清廉な言葉のみを話すものだと考えていたから。
「どう、でしょうか?」
「……なら、友達としてお願いします」
呟くような小さな声で言う。これも僕の変な意地だった。
「はい! 残り四日間、よろしくお願いしますね!」
なんだ、しかめっ面以外の明るい表情も出来るんじゃないか。……その笑顔は、確かに”聖女”だった。
といっても、信頼関係を築くには何をすれば良いのだろうか。マイナスがゼロに変わっただけで、これから積み上げていくには難しい。
例として、親友(自称されてる)とどのように仲が良くなっていったのか回想してみよう――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます