三日目③
『はじめまして! 今日からお隣さんだね、よろしく!』
初めは、あいつから話しかけてきた。編入したその日に席が隣同士だったことで、急接近してきたのがあいつだった。勢いに押されて返事をしてしまった。
『よろしくおねがいします』
『もー敬語は駄目! 砕けた話し方で良いのに』
馴れ馴れしいやつだと思った。だが同時に、このような爛漫な性格をしているクラスメイトが隣だと教室に直ぐに馴染めそうだとも思った。
予想通り、あいつは休み時間になるたびに話しかけてきた。明るい表情で楽しげに話すあいつの周りには人が自然と集まっていき、僕も当然のようにその輪の中に入ることが出来ていた。
編入ということもあり、全く知らない者同士が集まっていることに最初は不安を覚えていたが、その心配は払拭された。あのような性格の持ち主がクラスに一人居るだけで、全体が明るくなっていく。誰も誰とも話さないような暗いクラスよりも断然良いので、この点で言えばあいつには感謝している。
……だが、あいつはかなりヤバいやつだった。僕以外のクラスメイトが混ざって話す時は何も問題ないのだが、その人たちが離れていった瞬間に豹変する。
『どんな女の子がタイプ?』
『求める理想の女子の体型は?』
『どんな体位が好き? ちなみに◯◯◯が好き!』
『ローションって知ってる? 多々良部くんに見せてあげようと内緒で持ってきたんだよね。今鞄の中にあるの』
『この小説と漫画が凄いのよ。編集者が攻めてて規制ギリギリのラインを狙ってるのが、もう……たまりませんな!』
ド変態だった。とんでもない変態だった。もう一度言う、変態だった。
俺と話している時にだけ下ネタが連発する。初めこそ少し下品なレベルの会話であったのだが、時間が経つにつれ進化していった。
先程挙げたのは、ほんの一例だ。中にはこの場で言えないようなキツいレベルの話もしてきやがった。なのに僕の親友を勝手に名乗る。
こいつに羞恥心はあるのかと何度も思った。初めて聞いたときには、頭がおかしくなったんじゃないかと本気で疑った。だが、楽しそうな目をして話すあいつを見て、これは
そして僕にとって不運だったことは、あいつと席が隣であること。席替えは二学期にならないと行わないと担任が宣言しているので、少なくともあと二ヶ月はあいつの話に付き合わないといけないのだ。
僕以外に迷惑をかけているわけではないので、”止めろ”と強く言えないところである。僕も、クラスの中心的人物になりつつあるあいつを突き放すことは、今後の学生生活に支障をきたす可能性があるので完全な無視は出来ない。それに普段のあいつは、普通に面白いやつだからだ。
そんなわけで、聞き流しながらも耳に入ってしまったあいつの話。現物を持ってくることも稀にあったので、さっき風呂場でローションだと判別出来た理由がそれだ。
――とまぁ、ここまでが僕の親友(?)との今までである。
いや無理だね。あいつとのなりそめは何の例にもならなかった。
もし僕が黒咲にどぎつい下ネタを話したら……先程築いた、またこれから積み上げられる予定らしい信頼が瓦解すること間違いなし。いや崩れるどころでなく、その勢いのまま地盤陥没する。
そのようなことは断固防がなければならない。自分が初めに目指していた、彼女との協力関係構築。その道を今度こそ完全に絶ってしまっては僕としてもよろしくない。何よりも、自分の過去と向き合ってまでも僕と協力していくことを選んだ彼女に無礼を見せることになる。
……正直に言うと、彼女の過去語りに心動かされた自分がいる。毒舌が原因で抱いていた嫌悪が薄れていくのを感じる。というか消えかけてる。
長年の恨みというものならまだしも、たった数日の塩対応で出来上がった嫌悪など風に煽られた灯火のようなもの。とっくに消え去っていた。
だから僕の親友(自称されてる)のような暴挙をなさなければ、協力など容易――
「ではそろそろ離れましょうか」
え?
言葉通り、黒咲はスタスタとベッドに向かっていった。ポスッと座る姿に警戒心は見られないが、先程の言葉、その意味と行動が乖離しているのだが?
「いや、友達としてって話――」
「えぇ、だからこのくらいの距離感が良いんですよね? 男女の友情というものは」
ん?
僕が想像する友人とは少し定義が違うようだが、これは……
「ちなみにその男女の友情というものは、誰に、どのように教わりましたか?」
「シスターに。男女間の友情はあくまで友愛のみが存在するのであって、それ以上の関係にならないように一定の距離を保つものだと。多々良部さんのことを信頼しますので、私を襲わないと思います。これは十分な信頼関係ですよね?」
それは最低限の信頼なのでは? ”害を与えませんから、貴方も害を与えないでください”って、生物として最低限度の信頼なんですけど。
……いやまぁ言ってることが完全に間違っているというわけではない。男女が仲良くすれば必ず恋愛に発展しなければならないというルールは存在しないし、一定の距離を保つという意見も否定する気はない。友達の定義こそ人それぞれであるし。
しかし、名も姿も知らぬシスター。ちょっと情報が偏り過ぎじゃないですか?
シスターと黒咲との話を聞いていると……どうも彼女を守るために、過剰に男を近づけないような情報を伝えているように思える。そりゃ黒咲が怪しい男の騙されないようにするためには、近づく男の数を減らすことが最も有効な手段だろう。だが……
……なんだろう。色々と複雑に考えていると、段々と僕の方が間違っているように思えてきた。いや彼女たちの考え方が正しい。……そうか、男女の友情ってこれくらいの距離感なんだよなぁ――
『女の子はね、処女を大切な人に貰ってほしいものなの。だから琥珀くん、私の処女を貰って?』
「ハッ⁉」
急速に思い出した。最も絡んできた女子の距離感がバグレベルだったことを。異性にも関わらず、どぎつい冗談を、さも冗談ではないような口調で言うものだから別の意味で心配していたあいつのことを。
そうだ、何事も例外がある。シスターと黒咲が思う男女の友人像があるように、僕にも僕の友人像があるのだ。誰かが間違っているとか、そういうものは存在しない。
「えっと、僕が知っている男女の友人というものは、互いの好きなものを共有したり、遊んだりするものなんですよね……」
僕の意見を主張した。先程まで嫌っていた相手に友人とは矛盾も甚だしいが、いつの間にか黒咲と親交を深めたいと思う自分がいる。原因は……彼女の過去を聞き、自分の過去に照らし合わせてしまったことだろう。何処かシンパシーを感じ取ってしまったというべきか。
「えっ、そうなんですか⁉ で、でもシスターは……しかし多々良部さんが嘘を言っているようには思えませんし……」
葛藤しているようだ、シスターの言葉と僕の言葉とで。僕を信じると言ったが、数年の間で体に染み付いた感情や知識は中々拭えないだろう。苦手でしかなかった男との友情観が突然に崩されたならば困惑するのもやむなし。
今までの話から推測するに、黒咲の言う”シスター”とは彼女が尊敬し、また高く信じている人物なのだろう。そのような方の言葉とせめぎ合える程の信頼を自分が得ていることにむず痒く感じるが、今は彼女との話に集中することにする。
「無理して僕の言葉を全て信用する必要は無いですよ。貴方が信じたいことを信じて下さい」
優しく語りかけるように話す。彼女の塩対応故に諦めていた協同の道を再び歩むように。
誤ちを反省するように、彼女は僕の言葉をスッと胸の内に落としていった。
そして最後の一言。今から言うことは彼女のパーソナルスペースに踏み込み過ぎているかもしれない。しかし僕は、こう思ってしまった。
「――でも、僕は黒咲さんとゲームしたり、好きな本を共有したいと思っています」
小さい頃に心へ傷を負ったところに、自分を重ねてしまった。同族嫌悪は感じなかった。ただ、自分と似たような境遇の彼女に、少なからずの興味を抱いてしまっただけ。
だからこの気持ちは劣情などでは決してない。だから恋愛感情が芽生えることなど決してない。
僕の感情を素直に読み取ってくれたのか、黒咲は何か決意するように強く頷いた。
「私も……多々良部さんと色んなことを話してみたいです。遊んでみたいです」
彼女は今日、過去から解放されるための一歩を踏み出したのだ。
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