第35話
「ッ……!」
目を醒ます。ひんやりとした空気。
嘘だろ?……拉致られた?暗闇の中、目を動かし周囲を確認する。
ギシリと木床が鳴る。まるで古い寺だ。
旧世代のモニターがずらりと部屋中に置かれ、文字列が書き出されている。
何かは分からないがアルゴリズムを処理していることは何となく分かる。
不気味だ。
視界からはそれ以上の情報は得られない。普段なら瞳に張り付いた現実拡張機能が作動し、細かい情報が映し出されるのだが……
どうやら外部との情報通信が遮断されているようだ。
「ここ、どこだ」
「お主、起きたか。」
声。前方に何かが居る。凛とした鈴の音のような声。圧倒的な存在感。
ロイはゆっくり腰を落す。
「カカカ、構えるか。何故構える必要がある」
「誘拐されたら誰でも警戒しますよ」
「手荒な真似をしてしまって悪かったのう。こうでもしないと呼べないからのぅ」
暗闇の先の人物を見る。姿や形は見えない。チッ……厄介だ。ギャングか?
「何が目的でしょうか」
「天才遺伝子学者、か……。ちと、お主が気になっての。少し遊ぼうかと思ってな」
色々恨まれる心当たりはあるが、女に恨まれた覚えはない。
「余計なお世話ですよ。まず、そんな事よりも名前でも名乗ったらどうですか」
「ハハッ、妾に名を名乗らせるか、面白い小僧だ」
「ふざけてないですよ。雫さんを使って、何がしたいんですか!」
「長の娘には少しお願いしただけだ」
少しの間、沈黙が流れる。
「まぁよい。」
声の主が近づいてくる。暗闇から出た姿は、名状し難い美しさだった。
雪のように白い肌。名のある彫刻が人生を掛けて作った美女さえ足元に及ばない、まともに見たら人生を狂ってしまうような恐ろしさも感じる。
銀白の長い髪は人間を超越したナニカのように感じる。目は血液を煮込んだような紅。
ロイは薄光に照らされた女をまともに見てしまった。
目が離せない。この美しさから目を背けたら死んでしまう、そんな錯覚に陥っていた。
明らかに人でない異質な存在。
それだけは、脳で判断出来た。
「あ〜見惚れているのう。」
パン!と手が鳴らされる。
金縛りが解けた。
ロイは鋭い眼光を向ける。
「おお、怖いのう怖いのう」
女は不気味に笑う。
「それで……遊びって何ですか」
「例えば、こういうのはどうじゃ」
バンという音と同時に後ろのライトがオンになる。光の下には雫が縛られ椅子に座らされている。また気を失っているのか俯いている。
「雫さ─」
名前を呼ぼうとすると、いつの間にか口を抑えられていた。目の前に女。滑らかな手のひらは血が通っていないかのように冷たい。
「お主はハッキリ言って、長の娘に相応しくない」
銀の髪が肩に掛かる。耳元でフッと囁かれる。ゾワリ……背筋に走る蟻走感。
「何なんですか、貴女……」
後退り、ロイは答える。その様子に、女は満足げな表情を浮かべる。
「お前さん。長の娘に惚れてるじゃろう。だが、この子はお主には相応しくない」
「意味が分かりませんね」
話が通じているようで通じていない。一番危ない人種だ。
「分からなくても良い。これは、そういう一族の決まりののうなモノだ」
女は雫に近づき、顎を持ち上げ、顔をじっくりと観察する。雫は身動き一つしない。
「ふむ、やはり美しいな」
眼の前の女に負けないほど雫さんは美しいのだ。
「何のつもりです?」
「こんな田舎では宝の持ち腐れだ。長に旅させよと言っているが分からなくての〜」
「どういう意味ですか?」
「お主なぞには勿体無い」
構える。
「ん?殺るか?」
一気に距離を詰める。拳を出すが、あっさりかわされ、腹を殴られ吹き飛ばされる。
「ごほっ」
壁に激突し、咳き込む。
「弱いのぅ、そんなんじゃ長の娘は守れんぞ」
「何なんですか貴方は!」
「妾は……何なのだろうな。まあ考えても無駄じゃ。早う掛かってこい」
「……雫さんをどうするつもりですか」
「それは、お主次第じゃ」
「俺は──」
「お主は弱い。弱すぎる。ちっぽけなエゴの為に熊と和解する?馬鹿だなあ」
もう一度殴りかかる。何故、こんなにも自分は無力なのか。悔しい。
「お主、何の為に暴力を振るう。女の為か、自己防衛の為か」
自分に問いかける。自分が無力であると自覚しているのか、はたまた半端に力があるからこその行動か。答えられない。自分の中で明確な解答がないからだ。ただ分かるのは、このままやられる訳にはいかない。それだけだ。
「お前に勝つ為に」
「何故、戦う必要がある」
「お前が嫌な奴で、ムカつくから」
「なるほど。それじゃあ、これならどうだ」
女は雫の後ろに立つ。
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