第8話 市役所にて
「おまたせしました〜」
受付に行くと、一人の若い女性が居た。髪はサラリとした黒髪ロングで、目は大きく、肌も透き通るように白い。身長は158センチくらいだろうか。
……雫さん。昨日歓迎会に遅れてやって来た傾国の美女だ。
どうやら俺の事は気付いていないらしい。
……非常に悲しい。
「今日はどういった御用件でしょうか?」
彼女は透き通った声で。声は高く、耳に心地いい。どうやら俺の事は気づいていない。表情は仕事モードだが、どこか遠くの方に意識は行っているようだ。
「あの、住民票を移しに来たのですが」
「ああ、はい分かりました。それじゃ、この書類を書いてくださいね。それと身分証明書はありますか?」
俺はポケットから財布を出す。
「はい、これでお願いします」
俺は顔写真と社会保障番号が書かれたカードを彼女に渡す。
「ふむふむ、狭間 ロイさん……あ!昨日の牧場の後継者の。ちょっとお待ちください。あ!私が担当なんですけど。少々お待ちください。ちょっと岡本さーん」
彼女は人を呼び、どこか行ってしまった。彼女と代わって人の好さそうな女性がやって来た。やる気の無さそうな彼女は話しかけてきた。
「いやー。可愛いでしょ、雫ちゃん。うちの町で一番ベッピンだよ」
「あの……手続きとか進めなくて大丈夫なんですか?」
「ああ、そうだったね。住民所は……はい、移った。今日から貴方は”茨ヶ丘市民”です。日本国憲法と県条約を遵守ししてください」
「ありがとうございます。市民として健全な生活に努めます」
建前上の宣告と宣誓を行う。
「はいよー。しっかし、役人さんも”けったい”な仕組みを作るもんだねー。東京から来たんでしょう?駅も古くてごめんねー」
中央とやり方が全然違う。もっと事務的で冷徹なイメージが役所にはあったんだけど田舎じゃこうも違うのか。何というか……アットホームだ。
「ちょっと岡本さん!雑談!この前も内田のおばちゃんと二時間も喋って市長に怒られたじゃないですか!」
「じゃあ、狭間さん。ババアは面倒くさい事務仕事に戻るから、若いお二人でしっぽりやってくれよ」
「セクハラです!」
雫さんの叫びを無視して岡本さんががピラピラと手を振って事務仕事に戻る。
「もう、岡本さんいつも『こう』で困っちゃいますよ。すみません狭間さん」
「い、いえ、大丈夫です」
俺は苦笑いをしながら答える。
「じゃあ、ちょっと今時間ありますか?あ!デートのお誘いじゃないですよ!町おこしの話でちょっと説明があるんですけど……」
雫さん?が聞いてくる。一人でボケてるの面白いな、この人。
「ああ、なるほど。いいですよ。色々分からない所あったんで説明してください」
「じゃあ二階の部屋開いてるんで、そこ使いましょうか」
◆◆◆◆
「なるほど。街外れの空き地ですか」
俺の次の職場になるのは、街外れの古い実験施設になるようだ。何でも戦時中からキメラ技術を研究してた所らしい。え、既に滅茶苦茶面白そうなんだが。
出されたお茶を飲む。美味ッ!
カッと目を見開くと、美少女の彼女──雫さんが笑う。
「あ、それ。交流ある町が作ってるんですよ。良いですよね特産品。何でも工業的?栽培がナントカって話で、色々作ってるみたいなんですよ」
「あ、工業有機的栽培農業ですか。でっかい箱で野菜作るヤツですよね」
企業が地方の一次産業にズブズブ入り込み、町おこしという体で高所得者向けの有機野菜を作っている最近の流行りだ。
「あ!そうです!それです!狭間さんお詳しいですね」
「あーなるほど。海藻類培養棚とかの設備需要もないから、娯楽の為の食事も増えてるだけだ」
「?」
頭をコテンと傾け、良く分からないという顔で雫さんはこちらを見ている。おっと専門用語を使い過ぎたらしい。あざとくて可愛いね。
「好んでプランクトンジュースとか飲む人居ないよね、って話です」
あんなクソ不味いヘドロを戦時中は飲んでたらしいから驚きだ。研究室で先輩に無理やり飲まされたの忘れてねぇからな。
「青汁ですか?結構飲む人いますよ?」
「「?!」」
「おじいちゃんとか、朝よく飲んでますよ」
「……マジっすか?」
そんなやり取りをしているとドアが開いた。感じのいい中年男性。
「おぉ、雫。やってるかね」
「パ…市長、こちらがキメラ牧場の運営を引き受けて下さる狭間ロイさんです」
「はじめまして、ロイです。よろしくお願いします」
俺は立ち上がり、挨拶をする。市長はニコニコしながら近づいてきた。
「おお、君が。話は聞いている。私達は茨ヶ丘の市長を務めているものだ。茨ヶ丘では何か困ったことがあったら私に相談してくれたまえ。出来る限り力になろう」
「ありがとうございます。助かります」
握手を交わす。力強い手だ。
「それじゃ、私はこれで失礼するよ。これから少し用事があってね。それじゃ、また会おう。雫、ロイくん」
颯爽と出て行く市長。格好いい人だなぁ。
「ふぅ、疲れました。あの人凄い威圧感ですよね。普段は優しい人なんですけど」
雫さんは少し赤面してパタパタと顔を仰いでる。
「そうですか?私は格好良いと思いましたけど……」
「お父さん、久々の移住者だから張り切っちゃって……本当ごめんなさい」
「お父さん……?」
何度か言い間違いをしていたから気になってたけど、市長が雫さんのお父さん?
「あっ!そうでした。私、
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「それで……うちは代々、市長を務める家系なんですよね。申し訳ありません、後進的でして」
「いえ、そんな事無いですよ」
この話は地雷っぽいな、詮索するのはやめておこう。
市役所職員の雫は、手続きが必要な書類をまとめ終え、ロイに尋ねた。
「じゃあ、早速ですが牧場の方に行きましょうか。狭間さんはまだ車とか無いですよね」
二人だけの会議室で、雫に質問されたロイは、思案するように頬杖をついた。車については、今まで生活してきた中央都市では必要性を感じたことがなかった。
「……車、ですか」
ロイは、車の必要性について考えている様子だった。
「市役所まで自転車で来るつもりでしたが、牧場への移動にはやはり車が必要でしょうか」
「はい。こんなド田舎じゃ車が無いと不便極まりないですよ」
雫は、ロイの言葉にうんざりしたように溜息をつきながら、田舎暮らしの実情を語った。
「牧場への道も、バスがないので車が必要です」
「なるほど……。生まれも育ちも中央なので、免許とか気にした事ないですね」
ロイは、自身が中央都市出身であることを語った。
「これだから都会人は……」雫は溜息をつき、頭を抱えた。
「急に毒舌ですね!?」雫は苦笑いした。
「でも、こうして田舎に足を運んでくれるのはありがたいですよ」
「そう言っていただけると、こちらこそありがたいです」
「じゃあ、取り敢えず私が載せてくんで、早いうちに免許取ってくださいよ?」
雫は、優しい笑顔でロイに語りかけた。
「ありがとうございます。」
ロイは、雫に感謝の意を示した。
「早速ですが、牧場に向かいましょうか。」
二人は、市役所を出て、雫の車で牧場に向かった。
「了解です」
車で30分ほど、町外れの牧場に付く。ドーム状の巨大な建物が存在感を示している。
戦時中、防爆仕様の強化コンクリートで出来たドームは異様だ。
巨大なドアから中に入ったが何の生物もいない。地面は汎用栄養種だと思われる短草である。
天井からは自然光と同等の光が差し込んでいるが恐ろしいほどに静まり返っている。
「不思議ですよね。こんな大規模な牧場なのに一つの生物もいないなんて。前任者が亡くなって以来、ここ5年ほど使われてません」
雫は説明しながらある扉の前に立ち止まり、扉を開けた。
人間大の培養槽のカプセルが大量に並んでいる。中には二足のサメや豚の顔を持つ巨大なタコなど異形の生物が仮死状態で漂っている。
「このカプセルは不気味な生物ばかりで市の職員は何も動かしていないんです。この生き物たちは何だかわかりますか」
「妙ですね。こんなにも遺伝子が離れている物同士を繋げるなんて……これは凄い!!」
研究報告のログを見てロイは興奮した。まさかこんな物が生で見られるとは思わなかったからだ。
キメラ計画は2250年代から始まった戦時中の計画である。科学の発展により伝統的な遺伝子組み換えでしか実現できなかったが、生命を人工培養で作ることが出来るようになったのだ。これを利用しキメラを作り食料問題を解決させる試みだ。
当初は人工で作り出した生命体は不完全であり、ただひたすらに細胞分裂を繰り返し、体が大きくなるだけの生物を作るのが精一杯だった。その後も研究は難航したが、体のパーツの大きさなど、ある特定の遺伝子を強化するような簡単な変更は可能になった。
2257年、革命がおこる。RD因子という遺伝子をアメリカのルイスウェルという人物が発見する。他種族間での遺伝子の合成を可能にするのだ。それを用いられて作られたのが”キメラ”である。これにより豚の肉を鯨サイズで作りだすことが論理上可能になった。
しかし、ここで大きな問題が生じる。全く異なった遺伝子間では因子を繋げることが難しいのだ。そのためキメラを食料として使おうとする試みは細々としたものになった。
ロイがこの施設で見つけた研究結果は大幅に離れた遺伝子間での因子の結合を可能にするものだ。
「まさかこんなものが見れるとは思いませんでした」
「前任者はこの研究が終わる前に亡くなってしまいました。彼の願いはキメラ技術をより多くの人に知ってもらうことでした。お願いします。この研究を完成させてキメラを世界に広げましょう」
「はい、」
彼がどんな人間だったかは知らないが、キメラを普及させるのはロイの夢と合致している。ロイは喜んで頷いた。
「少し熱くなりましたね。では、次は狭間さんのラボに行きましょうか」
そう言って、二人は施設めぐりを再開する。
「遺伝子情報は結構あるけど、肝心のOSが古すぎるな……。これって全部使っていいんですか?」
「はい。前任者の研究に関する遺産はすべて、ロイさんに譲渡されます。証明書はvuから送っておきます」
ロイの視界に新着のデータが届く。開封すると『使用許可』と記された書類が表示される。
「了解です。ありがとうございます」
「足りないもの等あれば、承認さえされれば町から補助金がかなり出るので仰ってください」
「あの、気になったんですが。雫さんと私って……どういう関係になるのでしょうか」
「そうですね。では少しお話しましょう」
そういってソファに二人で座る。清掃ドローンによって人が手を付けない状態が続いても清潔さが保たれている。雫は巻かれているタブレット端末を広げ話を始める。
「私は市の広報担当です。今この町がどのような状況かは分かっていますか?」
「えっと、確か……」
「はい。ここは都市から遠く離れた辺鄙な町です。人口は34700人程です。その人口の6割が60歳以上。このままでは高齢化が進んでしまい、衰退の一途を辿るでしょう」
俺は頷く。高齢化が進んでいるとは聞いていたがここまで酷いとは思っていなかった。
「はい。それで?」
「はい。この問題を解決するために私たちは様々な取り組みを行ってきました。vuでの宣伝。ボランティアの募集。イベントの開催。町の観光スポットの紹介などを行い、何とか人口を維持しようと努力しました」
「なるほど」
ロイは中央都市から出る前、この茨ヶ丘の情報をある程度は調べていた。ウェブページは意外にも充実していたが、残念なことに俺のように仕事の提案をされなければここに行こうという魅力が正直無かったのだ。
「しかし、一向に成果は上がりませんでした。そこで、新しい試みとしてvuを使って移住者を募集したのです」
「でもなかなか集まらなかったんじゃ」
ここ数年での移住者はゼロだったことを思い出す。
「はい。そこで!!市長が目を付けたのが”キメラ食”なんですよ」
「なるほど。それでキメラ開発が出来る俺が呼ばれたと」
キメラ食は過去に何度か政府が試みた研究だったが、その当時は技術が未熟で実用化レベルには至らなかった歴史がある。
正直、不安要素が無いわけでもない。
「はい。市としては是非あなたを雇いたいと思っています。一か月でこのくらい出せます」
差し出された電子契約書には前職の三倍ほどの金額が記されている。
「こんなに出せるんですか?!一介の地方自治体が出せる金額じゃないですよ?」
「その秘密はですね。vuでのここら辺の土地は大企業のホームになってまして土地代で儲けるんですよ」
驚くべきことにvuではハッキングが規制されていない。vu自体のセキュリティへの絶対的な自信かどうかは不明だが、個人の力によってデータを守る必要がある。
例えば大企業は自社のデータを守るために様々な
そこをこじ開けようとハッカーが攻め入るわけだ。しかし、中央都市から離れた
そのため中央都市から遠く、日本内にある茨ヶ丘エリアが大企業の情報保存庫として活用される。
余談だが、インターネットの様々な情報が集まる喫茶「黒の輪」のページは中央に存在する。しかし異常な
このセキュリティーを構築したのはマスターとも伝説のハッカーとも言われているが真相は不明だ。
「……なるほど。この辺は台地になっていてvuでのサイバー攻撃から守りやすい地形ですもんね」
「よくご存知で。そういうことです」
その後ロイは雫に契約内容を確認し、サインをした。
契約金額は150万新円/月。
およそ前職の3倍の給料である。
こうしてロイはこの町での仕事を手に入れた。
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