第2話 引っ越し

数日後

 

 荷物をまとめる。といっても男の一人暮らし、大した量ではない。荷物は中型無人機ドローンで先に、マスターの家に運ぶ事になっている。空箱となっていく部屋はどこか寂しげな空気をまとっている。



 ダンボールに詰められた荷物を引っ越しセンターから送られてきた人型機械アンドロイドが運んでゆく。



「ありがとうございました」



 見送りに来てくれた大家さんに挨拶を述べる。大柄な男性は無言で頷いた。



 カツカツと一人階段を降りる。



「ここで一生暮らすと思ったような気がするんだ」



 俺は一人呟く。大学を卒業し、いい会社に就職した。一生とは言わないが、ここで不満なく生活を続けるものだと思っていた。



「ん〜〜、さて、行くか」



 小物を詰め込んだキャリーケースを引きずり、駅へ向かう。



 街ゆく人々は、身体をどこかしら改造して機械化されている。



 赤になった交差点でしばらく止まり、青に変わったらまた歩き出す。



 東京駅。2303年では改築に改築を重ね、一つの街ほどの規模になっている。



「それにしても、迷宮ダンジョン過ぎるだろ」



 エスカレーターを降り、右折、右折。その次は左折、そしてまた、エスカレーターを上がり、ようやく改札につく。



 腕輪バンドをかざし、階段を降り、電車を待つ。



「やっぱり、腕輪こっちの方が便利よ」



 ロイは、軽度の技術恐怖症テクノフォビアである。そのため、生身の身体と脳にチップを埋め込んでいるだけの人間だ。実際は会社に遺伝子を書き換えられ、人間とはかけ離れた超人とも言える存在だが。



「まもなく、71番線に電車が参ります。黄色い線の内側にてお待ち下さい」



 辛うじて稼働している自動販売機。劣化したプラスチック製の椅子。流暢な人工合成声のアナウンス。しばらくして、電車が到着する。



 東京、いわゆる中央セントラルから離れる人は非常に少ない。こうしてガラガラの電車のシートに座れるのは、幸か不幸か。



 電車に乗り、落ち着いた所でvuにダイブしようと思う。電脳世界vuには俺みたいな社畜まで全ての人間を受け入れてくれるのだ。



 脳の隙間に埋め込まれたチップというのは少々、異物感を感じる。しかし娯楽としては最高峰だろう。何せ、チップ一枚でもう一つの人生を味わえるのだから。


 

 目を瞑り、vuの中に移動ダイブする。意識が遠のき、仮想現実、或いは電脳世界と呼ばれる世界に送られる。そこでは、誰もが自由な生活が出来ると銘打たれている。



 ──目を覚まし、狂騒の中に降り立つ。



 中央都市の繁華街と変わらず喧騒が広がる。人々の会話と広告メッセージの通知音が煩い。この煩さから逃げるようにインターフェースを開きブックマークからいつもの喫茶に移動する。通知は勿論オフにする。



 視界が暗転し、喫茶店の入り口に着く。扉を引くとドアベルが心地よく鳴る。店内はコソコソと静かに会話している声と、古いジャズが流れている。



「いらっしゃいませ……ってロイさんじゃないですか。今日出発では?」



 カウンターにはマスターがいつも通りいる。談笑を遮ってしまったので、きちんと会話をする。



「どうも。今、電車から繋げてるんですよ」



「なるほど、ではいつもので?」



 ロイは頷く。カウンター席に座っているデフォルメ調のカエルのキャラクターに会釈して座る。マスターの手によってウイスキーが出される。一呼吸あけ、軽く口につける。



◆◆◆◆



 電脳世界vuではお酒や物を食べると満足感を得る事が出来る。お酒の場合は特殊で酔う事も出来る。



 これは"電脳酔い"と呼ばれている。脳が錯覚で陥る。黎明期のVR酔いと同じで、ほとんど人体に影響はない為、現実で飲む代わりにvuで酔う人が多い。



 ここvuは大規模メタバースと呼ばれるものであり、様々な情報がやり取りされている。高校生の遊びの予定から軍の機密情報まで幅広く扱われている。



 この一つのプラットフォームがインターネットの大部分を独占しているのには奇妙な訳がある。



 それはvuの異常性だ。



 このプラットフォームは250年前に作られている。そう……第四次世界大戦が起こる更に遥か昔の事だ。



 vuに関する正確な情報はネット上に存在していないと言われている。



 国家連合の調査によれば、リリース時点でvuを構築する理論は完成されており、2303年現在までアップデートが今までに行われた形跡がないとされている。



 研究者によると最初は個人サイトから生み出されたワールドとされているが100年単位で研究されて未だコードの言語も不明、その構造上サーバーにハッキングする事も不可能なのだ。月にある米国の軍事基地にサーバーが置かれている説もある。



 サーバーが何処にあるのかも不明、誰が管理しているのかも不明、何億人もがアクセスしているが未だにサーバーがダウンしたことがない。

 

 

 天才学者すら遺物オーパーツと呼び、研究を投げ出す。



 6G回線世代の時点で通信速度にほとんど遅延ラグがなく、超容量のデータもコンマゼロ秒で行われる(これはあくまで理論値でありハードの読み取りに最適な速度で受信される)。



 更に過去に何人か有名なハッカーが言語の解読を試みた結果、一人残らず発狂したという伝説がある。この都市伝説からサーバーへの直接攻撃は禁止であると暗黙の了解になっているのだ。


 

◆◆◆◆



 いつものカウンター席に着くと、いつも通りの酒が出てくる。



 グラスを傾けるとカラメル色の液体も仮想重力に従う。



 いつも呑んでいるウィスキーの名前コードはWI-1075-001だ。1070番台はロイが好きな系統だ。中でも1075はバニラとココナツのような上品な味わいがある。



「いつもと変わらないとは言え、旅に出て最初の一杯は格別ですね」



 マスターが同意するように頷く。グラスに残ったウイスキーを飲み干す。喉が焼けるような刺激が走る。この瞬間がたまらん。

 

 

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