第2話 虎穴への招待
「おや、お気づきでありんしたか」
しかも、ごくあっさりと認めたものだから、千早は目を剥いてしまう。月虹楼に不埒者を呼び寄せてしまった申し訳なさと居たたまれなさに身を縮めていたところだったのに。恐る恐る、左右に視線をさ迷わせてみると、
(このおふたりが、こんなことするんだ……!?)
分かっていなかったのは千早だけ、ということだったのか。葛葉も芝鶴も、もはや彼女には目もくれずに火花を散らしている。というか、葛葉が一方的に怒りの炎を噴き上げている。
「気付かずにはいられえせん! そもそも里見のことがあったばかりだというのに。どうせ、あやつらもアレに耳打ちされたのでありんしょう。同胞の仕業を捨て置けるほど、わっちは恥知らずではござんせん!」
「みゃっ」
「ふにゃあ」
内所に響き渡る怒声に、空いた湯呑を下げようとした
「楼主様、まやかしの術を解いてもよろしゅうござんすか」
千早の座った場所からは、もはや葛葉の顔は見えなかったけれど──声音は、ひどく真剣な響きを宿していた。
(え、でも、そうしたら──)
あの男たちが、
(ま、まさか食べてしまうとか……!?)
見世の者には、鋭い爪や牙を備えたあやかしもいる。普段は、女たちの妖しい魅力を引き立てる変わった装身具でしかないけれど、もちろん「普通に」使うこともできるのだろうから。
「あ、あのっ」
たとえ不審な者たちだとしても、そこまでの仕打ちを受けるのは気の毒すぎる。千早は慌てて腰を浮かした、のだけれど──
「葛葉はそう言うと思っていた。俺は気にする必要もないと思うのだが──奴らの狙いを聞き出せることができれば、お前の胸も晴れるだろうか」
朔の言葉を聞いて、早とちりに気付いて慌てて座り直した。物騒なことを考えたのは彼女だけで、朔も葛葉も、ごく当たり前に彼らに目的を問い質そうとしていたらしい。
「さて、それは分かりいせん。児戯に等しいことでありんしょうから。それで埋め合わせになるかどうか──したが、わっちがやらねばなりいせん」
問い質す、というか──花魁の手練手管で口を緩ませる、ということになるのか。
(葛葉姐さんなら、確かに簡単、なのかしら……?)
でも、いかにも後ろ暗いことがありそうな彼らが、すんなりと教えてくれるか不安なような。いや、そんなことを言ったら葛葉はまた眉を吊り上げてしまう。千早が何も言えずに目を白黒とさせていると、芝鶴がさらりとした笑顔でまだ火種を放り込む。
「では、わっちも加勢いたしんす。……葛葉さんは気が強うて怖いもの。ほら、昨今は飴と鞭とか申すのでござんしょう? 『甘い』、わっちがいたほうが──」
「ま、狸めがまた偉そうに……!」
案の定、葛葉は勢いよく振り返った。きっ、と鋭い眼差しを、柳に風と受け流して、芝鶴はころころと鈴を転がすように軽やかに笑う。
「ほれ、この通りなのだもの」
千早の耳に口元を寄せて囁く芝鶴の笑みは、柔らかかった。皮肉の棘も不快の毒も、微塵も見えない。それは、花魁の演技が優れているからだけではない、のかもしれなかった。
(葛葉姐さんを揶揄っただけ、なの……? 本当に……?)
ひと芝居が済んだら意地悪は終わり、ということなのか。まるで、心配いらないと言われているようで──もしかしたら、千早に対して含むところはなかったり、するのだろうか。葛葉も、怒りの矛先を向けているのはあくまでも里見に対してのような。
(楼主様も、ご承知で……?)
だから笑って見ていたのか、と。千早のもの問いたげな面持ちに気付いたのだろうか、朔は笑みを深めて頷いた。
「ちょうど良かったな。明日また出直す手間が省けそうだ」
「え、ええ……?」
楼主だけあってということか、朔は御職の花魁の美貌にも手管にも絶対の信頼を置いているようだ。
「さて、それでは少々早いですが、座敷の支度をしませんとねえ」
「珊瑚、瑠璃。
「あい、姐さん!」
四郎が立ち上がれば、禿たちも花魁につき従って軽い足音を響かせる。千早が戸惑ううちに、月虹楼はすっかり活気づいていた。
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