29.一日保安官代理

私は、ぶかぶかのステッドソン帽を目深に被りマールボロを気持ち良さ気に燻らせながらマホガニーのデスクの上に足を投げ出していた。


デスクの上のDr.マーチンのサンダルは保安官代理には似つかわしくないが後の見てくれは上上の出来だと己を誉めそやす。


既に2本目のハイネケンがリラックス効果に拍車をかける。


ほろ酔いとは、こういう感覚を指し示すんだろうなと己を垣間見る。


デスクの上のミックスナッツを一摘みし天を仰いで口の中に放り込む。


ポリポリポリポリ。


ナッツを噛み砕く音が超過飲酒への先導者となり歯止めが利かなくなる私を未知に誘う。


ゴクゴクゴクゴク。


プッハァー、うんめえー。


まるで我が家のように寛いでいるわ た し。


たかがフェラ如きで公然での脱糞行為を見逃してもらいかつ丼まで食べさせてもらって煙草、お酒、ゲームと嗜好に富んだ楽しい逮捕劇となっている有り様。


挙句には殺人を目撃した上に死体遺棄幇助という罪の上塗り。


ジェフリー ディーヴァーのジェットコースターミステリーのように興奮とスリル、そしてこの先はどうなるんだろうというサスペンスの醍醐味を思う存分味合わせてもらっている。


これだよ、これ。


血液が沸騰するような血沸き肉躍る絶頂の瞬間。


酒を飲んで五臓六腑に染み渡るようなあのゾクゾク感。


カジノでありったけの金を失いラスト一枚の25セント硬貨を投入し藁にも縋る思いでラッキー7を狙ってスロットルのレバーを下ろす緊張感。


私は生まれ持ったアルコール依存とギャンブル依存の体質に狂喜乱舞する。


頭がイッちゃってる夫のお陰でこんなスリルを味合わせてもらっているのだが、ほんとに頭がイッちゃっているのは私の方だと今更ながら思い当たる節がある。


夫が私に黙ってサブちゃんのCDを大人買いした時の事だった。


夫が開設している頑張れ【サブちゃん目指せ100歳!】というブログに〈四朗さん、ほんとに歌お上手でしたね。亡くなられて残念です〉とコメント欄に書き込んだ。


夫が私が食べようと思っていたヨーグルトを無断で食べた時の事だった。


翌朝、私は夫のコーヒーに鼻クソをほじって混入させた。


私がネット通販で買って冷やしておいた銀河高原ビールを夫が無断で飲んでいた時の事だった。


翌朝、夫が履いて行く仕事履きの革靴に画鋲を仕込んでやった。


これは未遂に終わったが…


私はイッちゃってる女、キャシー マッキンタイアー。


今日も酒の力で未知との自分に遭遇する時を待ち侘びている女。


そう言えば、さっきから電話が引っ切り無しになってるんですけどー。


時刻は既に8時15分を過ぎている。


ドライデンは、まだ来ない。


8時に交代で夜勤って言ってたから既に15分遅刻だ。


まあ、彼は私のソウルメイトだから全然お咎めなしなんだけどね。


ドライデン、今日は私が保安官代理で良かったわね。


パーキンスだったらきっと雷が落ちていたわね、ウフフフフ。


それにしても、さっきから5分置きに電話がなってる。


出るべきか出ないべきか?


思案するが一向に決心がつかない。


パーキンスが私を保安官代理に任命したところで彼の独断と偏見で任命された訳だし彼の任命権者としての効力は微塵も発揮されていない。


私が保安官代理を務めていた事が発覚すれば兄ちゃんの殺人が露見する恐れもありパーキンスを窮地に追い詰めるのではないのだろうか?


すると、また電話が鳴った。


こ、これは尋常ではない大事件が発生しているのかも知れない。


壁に掛けている鳩時計は8時22分を示している。


何故ドライデンは来ないのか?


私は意を決し電話に出る事にした。


受話器を掴んで恐る恐る声を発する。


「も、もしもし」


私は妻が横にいるのに不倫相手の女性から何度も電話が掛かって来て妻に「出なさいよ」と急かされて仕方なく電話に応じる夫のように上ずった口調で応対した。


「あなた誰?」


女性の声だった。


それも怒声が入り交じったような声だった。


私は緊張していた。


「今日、一日保安官代理のキャシー マッキン」


ここまで出掛かって私は理性を取り戻す。


本名は不味いだろうと…


私は、この後公判を控えている身だ。


何処で誰が見ているか分らない世の中を鑑みれば実名を晒すリスクを負うのは避けるべきだ。


一寸間を置いて私は続けた。


「トッシュです。そう、私の名は、キャシー マッキントッシュです。英国を代表する老舗ブランドのマッキントッシュの宣伝マンでは無いので以後お見知りおきをッ!。あー、後、マッキントッシュの創業者でレインコート、雨外套などに使われる防水布発明者のチャールズ マッキントッシュとは縁もゆかりもないので悪しからず。因みに防水布は2枚の生地の間に天然ゴムを塗り圧着させて作られてます。あっ、こんなトリビアをお伝えしたらマッキントッシュの回し者だと勘繰られてしまいますね。くれぐれも誤解なされないように。ところでミセス、あっ、ミセスで宜しかったでしょうか?もし違っていたら済みません。どうなされました?事件ですか?」


私のセールスマンのようなトークに受話口の向こうの女性はたじろいだ。


「え、ええ、ミセスでいいわよ。ところでパーキンス保安官はどうしたの?」


私は電話に出た時は焦ったが、いつもの電話応対の要領を取り戻し平静に戻っていた。


「あー、パーキンス保安官ですか。実は彼のお父さんがお亡くなりになりましてね。私も彼のお父さんとは面識があったののですが実に人を慮る博識のある優れた人物でした。実に残念でなりません。パーキンス保安官は今は悲嘆に暮れ弱い自分と向き合っています。今は、そっとしておいてやってください。私は、実は彼が昔テキサスレンジャーを務めていた時に彼の助手をしてましてね。その縁で今回保安官代理のピンチヒッターを任された訳なんです」


女性は私の声に聞き入っていた。


「へえそうなの。それは残念ね。彼がテキサスレンジャーをしていたなんて初耳だわ」


「ええ、実に素晴らしいテキサスレンジャーでしたよ。それで、ミセス…」


「私はオープリー、ミセス オープリーよ」


「オープリーさん、で、ミセス オープリー、どうなされました?」


ミセス オープリーは電話を掛けて来た当初の怒声に戻った。


「しゅ、主人に殴られたのよ」


私は何事にも冷静に対処するクレバーな保安官代理に徹した。


「で、ミセス オープリー、御主人が理由も無くあなたを殴るとは思えないのですが。理由も無く反抗するのはジェームズ ディーンくらいに留めておかないと、この世の秩序は保てず無差別連射事件のオンパレードになっちゃいますからね、ゲプッ」


さっきのハイネケン一気が効いて来た。


「し、失礼、ミセス」


私は粗相を丁重に詫びた。


ミセス オープリーが言った。


「実は、さっき牛乳瓶を回収に着ていた男の子と玄関でばったり会ってね。その子、私のタイプだったの。それで、私『お疲れ様、冷たいレモネードでもいかが?』って声を掛けて家の中に請じ入れたの。それで、私ムラムラしちゃってジッパーダウンして彼のペニスを食べちゃった訳。其処に裏口から主人が帰って来ちゃって一部始終を見られちゃったって訳なのよ」


世の奥方も他人棒が愛おしくて堪らないのだなと私は心の奥底でほくそ笑んだ。


「ふむふむ、なるほど、そういうご事情でしたか、それならばミセスに100%の非があるのでは?ゲプッ、おっと、失礼」


今度のゲップは酸っぱい物が込み上げて来た。


「ウゥ、ウ、ウウーン」


私は受話器から耳を離しハイネケンで酸っぱい物を流し込んだ。


「し、失礼ミセス」


私は再度粗相を詫びた。


「あなた、クラブソーダとかコーラとか炭酸系の飲み物を飲んでるの?さっきからゲップがよく出ているみたいだけど…」


ミセス オープリーが尋ねた。


「いえ、マダム、あっ、マダムとお呼びしても宜しいでしょうか?」


「いえ、マダムはよしてちょうだい。何だか歳を取ったように感じてしまうから」


「解りました、ミセス。実は私、空気嚥下症でして。食べ物を豚のようにガツガツとがっついて掻っ込む習性がありまして。母からは幼少期から『ご飯はゆっくりとよく噛んで咀嚼して食べなさい』とよく窘められていたのですが口が卑しい私は豚のようにがっついてしまうんです。空気嚥下症を御存じで?」


「いえ、知らないわ」


「左様ですか。では、ご説明しましょう。空気嚥下症とは先程申しましたように、よく噛まずに豚のようにがっついていると食べ物と一緒に大量の空気も嚥下してしまうんです。空気には窒素も含まれています。その窒素が腸内に蓄積し口からはゲップ、尻の穴からは屁として放出される訳なんです。ご理解していただけましたか?」


ミセス オープリーは関心したように言った。


「へえー、世の中には色んな病気があるものなのねえー。でも、お母さんが仰るように食べ物は、よく噛んで食べた方が良いと思うわ。消化にも良くないしね」


「はい、ミセス、ありがとうございます。これからは食事の際にはミセス オープリーの箴言を思い出して、よく噛んで食べる方向で調整したいと思います。で、マダム、あっ、失礼、ミセス、先程の本題に戻りたいのですが牛乳屋の店員のポコチン、あっ、失礼ペニスをしゃぶっ、失礼、フェラしてあげたミセスに否が100%あるように思えてならないのですが…」


ミセス オープリーは声を詰まらせて言った。


「うっ、うっ、じ、実はね、うちの主人インポテンスなの」


ミセス オープリーが嗚咽を漏らし鼻を啜る音が受話口の向こうから聞こえて来た。


私は病院で父を看取った家族にお悔やみを述べる医師のように言った。


「お察しします、ミセス オープリー。それはさぞ辛かったでしょうね」


ミセス オープリーはグスンと鼻を啜って言った。


「私のファーストネームはジョアン、ジョアンて呼んでちょうだい」


「解りました、ジョアン。で、御主人がインポテンスという事はセックスレスだったんでしょうか?それともチャレンジはしてみるが御主人のポコチ、あっ、失礼、ペニスが勃起しなかったという事なのでしょうか?」


「いえ、彼は私を愛してくれようともしなかったわ。もし、彼が勃起しなくても私を愛する努力を持続していれば私は不貞に走らなかったと思うわ。彼の中で勃起しないペニスを見る事が自尊心を傷付けていたというのは間違いないわ。でも、私は愛して欲しかった。女の疼きがペニスを欲していたの。6年、6年間セックスレスでご無沙汰だった。マスターベーションじゃ物足りなかった。ぶっといペニスに貫かれたかった。私のヴァギナには蜘蛛の巣が張っていたの。それをぶっといペニスで破りたかったの。だから、今日、牛乳屋のお兄さんと不貞に走った訳なの」


「ジョアン、あなたの心痛お察しします。非は御主人にあるのにあなたは殴られた訳ですね」


「そう、そうなのよ。だから頭に来ているのよ。自分は夫としての責務を果たしてないくせに私だけ一方的に責められるなんてフェアじゃないわ」


「ふむふむ、その主張には私も同感です。じゃあ、こういうリベンジはいかがでしょうか?ジョアン、あなた、殴られた箇所は頬で青痣が出来ていますか?あっ、後、御主人はインポテンスの治療でクリニックに通院していますか?」


「ええ、頬を拳で思いっきり殴られたの。内出血して青痣になっているわ。後の質問だけど主人はインポテンスを人には悟られたくないみたいでクリニックには通院してないわ」


「そうですか、ジョアン。全ての状況が整いました。これは、リチャード“ノース”パタースンの『罪の段階』で殺された有名作家の話なのですが、この作家はインポテンスで女性をレイプする事で興奮し勃起するんです。この話をちょっと細工して御主人にリベンジするんです。裁判では御主人の証言から牛乳屋の店員にも聴き込みが行われ裏付けが取られたら彼は裁判でも証言するでしょうから、あなたが彼にフェラした事実は隠せません。で、こうしましょう。あなたは御主人のベッドに潜り込みこう言うのです。『ほんとは、あなたのペニスが欲しかったの。ごめんなさい』そう言って御主人のポコチ、あっ、いや、ペニスを口に含んで思いっきり噛み千切ってやりなさい。で、警察には、こう言うんです『主人は以前からインポテンスで私をレイプする事でしか性的興奮を駆り立てられず私は毎回レイプされていました。だから、私は牛乳屋さんの店員との不貞に走ったんです。私は今日は止めてと懇願したら主人が私を殴って髪の毛を掴んで強制フェラさせたんです。私は窒息させられる程にペニスを喉に押し込まれて仕方なくペニスを噛み千切ったんです。ほら、見てください。頬に殴られた跡が残っているでしょ』と。御主人が反論されても警察は、あなたの言い分を信じるでしょう。御主人が何を言っても密室での出来事なので。ポコチ、あっ、ペニスを失って御主人もインポテンスから解放され引導を渡してやるというものです。それで、離婚して御主人から慰謝料をがっぽりふんだくっておやんなさい。御主人はポコチンと財産の両方を失う事になるんです。どうです、ジョアン、名案でしょう?」


ジョアンは受話口の向こうで目を輝かせて狂喜する。

「ありがとう、保安官代理。以前から主人の態度にはむかっ腹が立っていたのよね。これで離婚して慰謝料もがっぽりなら一石二鳥ね。ありがとう、電話してよかったわ。早速、今から試してみるわ」


「どう致しまして、ジョアン。幸運を祈っています。また何かありましたらいつでも電話してください。ところで、ジョアン、保安官事務所には何度も電話されましたか?」


「いえ、してないわよ。今、話してる通話の一回しか掛けてないわよ」


「左様ですか。では、グッドラック、ジョアン!」


「あなたも、保安官代理、良い夜を」


ジョアンは言い終えると受話器を置いた。


私も受話器を置いて残りの温くなったハイネケンを飲み干し冷蔵庫にひえひえのハイネケンを取りに行った。


さっきから鳴ってた電話は誰からだったんだろう?


私はデスクチェアに深く身を預けプルタブを引いた。


ゴクゴクゴクゴク。


プッハァー、うんめえー!


私はジョアンに素晴らしい知恵を授けて有頂天になっていた。


鳩時計に視線を移すと時刻は既に8時45分になろうとしていた。


ドライデンは一体どうしたんだろう。


私はマホガニーのデスクに足を投げ出しハイネケンを片手に煙草を銜え火を点け心行くまでスリルを満喫していた…

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る