28.遺棄
私は突然の出来事に動揺を隠し切れず、どうしようかと迷った。
そうだ。
兄ちゃんがかっぱらって来た煙草でも吸って一息つこう。
私は2つあるビニール袋のマールボロが10カートンくらい入っている方に手を伸ばし1カートン掴むとセロハンを剥がし中からボックスを1個抜いた。
ボックスのセロハンを剥がそうとしていたら恐怖に襲われ手が小刻みに震え出した。
だって兄ちゃんを殺したパーキンスが眼前にいるんだから。
私は手元を誤ってボックスを床に落とした。
パーキンスが動揺している私を察して床に落ちたボックスを拾うとセロハンを剥がしボックスを私に差し出した。
私は震える手で一本抜き取り煙草を銜えた。
パーキンスが火を点けてくれた。
私は大きく息を吸って煙を肺に取り込んだ。
パーキンスも一本抜き取ると煙草に火を点けて頭(こうべ)を巡らせていた。
パーキンスがぼそりと言った。
「どうせ此奴は生かしておいても改心はおろか、また悪事を働いて被害者を増やすだけだ。虫けら同然の此奴が地球上から抹消されて世の中は俺に感謝すべきなんじゃねえのかい。この世に殺すに値する程の罪は無いなんて抜かす奴らがいるが、ありゃ嘘だ。だから、死刑が存在し死を以てして罪を贖わせるっていう論理の基に司法は成り立っているって訳だ。死刑反対論者は被害者感情を無視した偽善者どもばかりで、てめえの論法だけ宣っているクソヤローばかりだ。な、お嬢ちゃん、あんたもそう思うだろ」
ふむふむ、なるほど。
パーキンスの言ってる事は道理が通っているわね。
この兄ちゃんが世に貢献する事はないだろうしパーキンスは民衆を代表して害虫駆除をしただけだものね。
そう考えると兄ちゃんは死ぬべくして死んだ訳だ。
うーん、気がめっちゃ楽になった。
兄ちゃんがかっぱらって来たもう一つのビニール袋にハイネケンの6缶パックが二つ入っていた。
私は、その6缶パックから二本抜き取りパーキンスに一本渡してプルタブを引いた。
プシュ。
私はハイネケンをゴクゴクと呷った。
ハイネケンは汗を掻いていたがまだ冷たかった。
パーキンスもプルタブを引き仕事終わりの炭鉱夫のように喉を鳴らしながら美味そうにハイネケンを呷った。
私は兄ちゃんがかっぱらって来た戦利品の中身を改めた。
マールボロのカートンが11本。
ハイネケンの6缶パックが二つ。
ポテトチップス3袋。
ミックスナッツの小袋5袋。
言っても無いのに、つまみまでかっぱらって来るとは中中気が利いてるじゃないの。
殺すには惜しい兄ちゃんだったかも知れないと私は、ちょっと思ってしまった。
あれ?
芳香剤もかっぱらって来いと言ってた筈なんだけどなー。
マールボロのカートンが入っていたビニール袋の底に四角い膨らみが見て取れた。
あっ、これだな。
私は袋から箱を取り出した。
箱には〈青雲 バイオレット 日本香堂〉とプリントされていた。
このバカ、芳香剤って言ったのに御香のつもりで線香かっぱらって来やがった。
やっぱり此奴は殺されて当然。
私は、こんもりと山積みになっている灰皿の吸殻をシンクの横のゴミ箱に片し兄ちゃんの横に灰皿を置いて青雲のバイオレットを一本取り出し線香を点けてやった。
フローラの香りが取調室を陰気臭くする。
何か湿っぽくなってきた。
だから、私は「おててのしわとしわを合わせてしあわせ、南無ー」と悪ノリしてしまった。
パーキンスが口に含んでいたハイネケンをプッと吹き出した。
「何だ、そりゃ」
パーキンスが顎に垂れたハイネケンを手の甲で拭う。
私はパーキンスに教えてやった。
「日本には死者を祀る仏壇というのがあって、こうやって線香を灯していい香りで死者を弔っているのよ」
「ふーん、そんな文化が日本にはあるのか。今度、来々軒の親父に聞いてみよう。俺もちょっくら線香を供えてやるか」
パーキンスが線香に火を灯し灰皿の上に置いて胸の前で十字を切りながら言った。
「どうか、お前が地獄の業火で焼かれますように、アーメン」
私はキャッキャッと笑ってしまった。
「あなたも悪ね。それで、この死体どうする訳?」
そうだ!笑ってる場合じゃねえんだ!とパーキンスは煙草を銜え火を点けると沈思黙考した。
線香の煙と煙草の煙で取調室は換気が必要だったので私は窓を開けて新鮮な空気を室内に取り込んだ。
すると、保安官事務所の入り口で声がした。
「パーキンスの旦那ー、済いやせん。丼がちょいと店で足りなくなったもんで引き上げさせていただきたいんでやんすけどー」
パーキンスが慌てて取調室から出て行きドアを閉めて言った。
「済まん、親父。供述書を作成しながら取り調べしてたんで、まだ食い掛けなんだ。明日にしてくれないか。あっ、そうだ。この前見たスウェーデンポルノで良いのがあってな。ちょっと待ってくれ」
パーキンスがマホガニーのデスクの引き出しからポルノのDVDを取り出して親父に渡した。。
「済いやせん、旦那。何だか急かしちまったようで。器は明日取りに伺いやす。旦那、それにしても今度はスウェーデンのネーチャンですかい。旦那もお好きで。では、明日」
「おう、親父、また明日な」
またパーキンスがピースマークを右目に当てて、そのピースマークを親父に突き出した。
親父もパーキンスに同じように返す。
親父がスウェーデンポルノのDVDを大事そうに抱えて出て行くとパーキンスが慌ただしく取調室に入って来た。
パーキンスがブライトリングのミリタリーモデルに目を落とした。
「7時20分か。後30分もしたらドライデンが戻って来る。此奴は重しを付けて湿地帯に沈めよう。あそこなら森林に覆われているから発見されないだろう」
「ドライデンには兄ちゃんが消えた事なんて言うの?」
パーキンスが親指と人差し指を立ててピストルの形を作り、それを顎に当てて思案する。
「うーん、奴には、こう言ってくれ。実況見分で不十分なところがあったのでドイルを連れて保安官は現場に行ったと。其処で俺がちょっと目を離した隙に奴が逃亡したという事にしよう。俺にとっては逃げられたという事実も不面目だが今は体裁に拘っている場合じゃないからな。じゃあ、そういう事で口裏を合わせてくれ。これは俺のハマーのキーだ。裏口に車を回してくれ。俺は留置所のブランケットで此奴を包んで縛っておく。あっ、後、カツ丼の器も洗って裏口のドライデンの目に付かない所に置いといてくれ。明日、親父に裏口に取りに行かせるように手配しておく」
「了解」
私はテキサスレンジャーのように敬礼してきぱきと動いた。
先ずは正面に駐車しているハマーを裏口に回す。
車に乗り込みキーを挿し込みエンジンをかける。
ブルルルルン。
ウォー!
やっぱ排気量のある車は迫力あるな。
いや、それどころじゃない。
私は車をバックさせて公道に出て保安官事務所の裏口に車を回す為にコの字に車を運転した。
最初に90度左に曲がる角で私はライフとハマーの車体の大きさの違いに手間取りアルミのホイールを擦ってしまった。
ガガガガガ!
あっ、やばい!
私は街灯と薄明の中でハマーを見たが新車同然といった装いだった。
擦ったの、ばれるかなー?
まあ、ハプニングというものは付き物だ。
黙っておけば分からないだろう。
次の90度の角は内輪差に気を付けて曲がり事無きを得た。
私は裏口に車をバックで付けて周囲を空き巣のようにささっと確認した。
人通りはいない。
私はエンジンをかけたまま後面のあおりを下ろして裏口から保安官事務所の中に入った。
取調室に行くと兄ちゃんはオレンジのブランケットに包まれビニール紐でグルグルに縛られてピラミッドに葬られる前の王族一族と化していた。
パーキンスはフォーティーフォーのグリップの台尻を濡らしたタオルで拭き上げてガンホルダーに仕舞っていた。
俺は準備万端だぜ!という精彩を放っていた。
パーキンスが兄ちゃんを運ぼうと体を折り畳んだ。
「私も手伝おっか?」
私は駆け寄った。
「いや、俺一人で大丈夫だ」
兄ちゃんを折り畳んで方に担ぎ上げて、すっくと立ち上がるパーキンス。
で、でかッ!
保安官事務所に連行された時から思ってたけど、この人でかッ!
6フィート3インチくらいは優に超えてる。
手も熊みたいだし。
そりゃ、デコピンで脳震盪喰らうわよね。
私は裏口に先に出て周囲に人の気配が無いか探った。
よし、誰もいない。
私はオッケーのサインを指で作ってパーキンスを手招きした。
パーキンスがマフィアの殺し屋のように兄ちゃんを担いで来てハマーの荷台にドサッと落とすと奥に押し込んでブルーシートを荷台のあおりに掛けた。
後面のあおりを上げてロックを掛けるとパーキンスが言った。
「カツ丼の器と後、床の血痕もモップで拭き取っておいてくれ。ドライデンには、あんたから上手い事言っといてくれ。後で電話する。今日は、お嬢ちゃん、あんたを一日だけ保安官代理に指名する。後は頼んだぜ」
パーキンスは、そう言ってステッドソン帽を私の頭に被せてハマーの運転席に乗り込んで走り去って行った。
私は駅のプラットホームで遠方に出稼ぎに行く息子を見送る母親の心境でハマーを見送った。
一日保安官代理キャシー マッキンタイアー。
お前は今日一日をテキサスレンジャーのように立派に勤め上げるんだ。
お前には、まだまだやる事がある。
私はぶかぶかのステッドソン帽を被ったまま裏口から中に入りパーキンスに言われたように床の血痕をモップで拭き上げ丼を洗って裏口の目に付きにくい場所に置いた。
時計を見た。
時刻は7時48分。
間に合った。
ドライデンはもう直やって来るだろう。
私はハイネケンの残りを冷蔵庫に冷やしマールボロのカートンとポテトチップとミックスナッツをパーキンスのデスクに収納した。
青雲のバイオレットはパーキンスのデスクの上に置いて常備しておこう。
私は線香に火を灯し灰皿の上に置いた。
嗅ぎ慣れればこの香りも満更捨てたものではないではないか、アハハハハ。
そして、私はドライデンを待った…
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