5.空輸

私は家に入り夫の書斎を覗いた。


夫は椅子の背凭れに深く身を預け左足の甲に右足の踵を載せて書斎机に足を投げ出し両手を頭の後ろで組んだ態勢で、ひろし 五木の“よこはま たそがれ”を聴いていた。


私は夫に話し掛けた。


「何してるの?」


夫は答えた。


「黄昏てるんだ」


夫は書斎机の前の窓から見える風に流されて行く夕焼け雲を見つめながらポツリと言った。


私は、一体、夫は何者なのだろうかとも思ったが無関心を装って言った。


「ふーん、そうなんだ。あなたったら意外とロマンティストだったのね。ところでCD来た?」


「いや、まだ来てないよ。僕は待ち疲れて黄昏てるんだ」


そう言って夫は胸に置いていたラジカセのリモコンで“よこはま たそがれ”をリピート再生させ口遊んだ。


「よっこっはっまぁ~たそがれぇ~ホテルの小部屋ぁ~♪」

と…


私は内心で夫を嘲笑した。


ここはサウス アーカンソーの片田舎だよ。


それに今あんたが無駄に二酸化炭素を吐き出している場所。


そこは、ホテルの小部屋じゃなくてお前の小部屋だろうと。


夫の書斎は畳3畳分しかなかった。


私は夫との無駄な会話に愛想をつかしリヴィングに行きテレビを点けてちょっとソファーで横になった。


20分後。


玄関の呼び鈴が鳴った。


私はソファーでうつらうつらと浅い眠りに就いていた。


呼び鈴が鳴る前に自分の鼾で一度目が覚めた気がするが判然としない。


夫が書斎から猛ダッシュして行く足音が聞こえてきた。


私は口角から顎先に伝う涎を手の甲で拭い明瞭な意識を取り戻した。


「お疲れ様」


宅配の人に労を労う夫の声が聞こえた。


リヴィングに夫がのっそりと入って来た。


怪訝そうな表情で夫が宅配で届いたアマゾンの梱包されている箱を耳の横で振っている。


「あれ、おかしいなぁ~。何も入ってなさそうだなぁ~。空箱みたいだなぁ~」


無限に広がる可能性を秘めた私の脳内にクエスチョンマークが灯台の灯りのように明滅した。


この人は一体何を言ってるんだろうと呆気に取られた。


夫がリヴィングのチェリーウッドのテーブルに箱を置いてキッチンからカッターを持って来て開封し始めた。


私はソファーに掛けたままその様子を口を半開きにして傍観していた。


ポカーンとアホ丸出しで傍観している私。


他人が見たら、きっと薄知の人だと思ったに違いない。


女性版Mr.ビーンとでも言ったところか。


夫が、びっちりと貼り付けられている粘着テープにカッターを入れ箱の中身が露呈された。


私の座っている位置からは箱の中は見えなかったので床に座って開封していた夫の背後に回り込み箱の中を覗き込んだ。


空だった。


何も入っていなかった。


塵一つさえも。


それは紛うこと無き、正真正銘の空だった。


夫の上半身が小刻みにプルプルと震え「クッ、クックックックックッ」と気でも触れたかのような不気味な含み笑いを漏らした。


到頭、狂ったか?


私の抗精神薬を夫にお裾分けする日が到頭訪れたか?


私は夫を静観した。


尚も小刻みに震えている夫。


暫しの沈黙。


すると、夫は声を出してケラケラと大笑い仕出した。


「キャシー、見てご覧よ。日本から空輸で空箱が届くなんて。こんなけったいな事があるかい。いやー、おかしくて堪んないよ、アハハハハ」


そう言い放つと夫は何をとち狂ったのか?


夫は日本から来た空箱の前に鼻頭を寄せ大きく鼻孔から空気を吸い込んだ。


「今、僕は日本から直送された日本の空気を吸ってるんだよ。見てご覧、キャシー」


背後の私に振り向きざまに少年のような無邪気な笑みを振り撒いた。


またテーブルに居直ると夫は空箱に鼻頭を寄せ大きく鼻孔から空気を吸い込んだ。


私は、この人はロマンティストなのか唯の馬鹿なのか解らなくなってきた。


私の胸中に渦巻く憤怒の念。


空箱を送る業者。


それを空輸する航空会社。


それを宅配するドライバー。


何奴も此奴も脳味噌が空っぽなクソったれどもばかりだわ。


嗚呼、嫌になっちゃう。


私はケセラセラと心の中で呟いた。


その反面、事後処理めんどくせーなーと諦めの境地で夫を見ていた。


私は大きく溜息を吐いて自分の寝室に向かった。

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