金髪女子高生は素直になれない

 午前0時40分。俺の胸の高鳴りとは裏腹に今日の夜は生憎の雨模様だった。土砂降りというほどでもないが、外出する気には普通だったら到底なれない天気だ。

 2日前に聞いたことを俺は覚えている。

『流石に雨が降ってたら行かないけど』

 ランニングという口実がどんなに俺の中で大事なものだったのかを今思い知る。

 頭では分かっている。居るわけがないって。でももしかしたら来るかもしれない。もしかしたら待っているかもしれない。

 ――会いたい

 そう思うと俺はビニール傘を手に夜雨のなかに飛び出していた。本当に単純だ。 

 小走りで公園に向かうとそこには見慣れた自販機に照らされる人影が見える。傘を差していて、シルエットは見覚えのあるポニーテール。

 思わず頬が緩む。本当に嬉しい。口実なんてなくても会えたという事実だけで俺の胸はいっぱいになる。


「ごめん。待った?」

「さっききたとこ。来るとは思わなかったよ」

「それはこっちのセリフ。居るとは思わなかった」


 俺と水上さんは顔を見合わせて笑う。こんな暗闇で降りしきる雨のなかだが、その顔を見るだけで俺の心は瞬く間に晴れやかになる。


「立ち話もアレだし歩こうよ。昨日と同じルートで。足は治った?」

「んー、まずまず。昨日よりは全然痛くないよ」

「それは良かった。それじゃあどこから話そうかな。暗い話になるけどごめんね」

「良いよ良いよ。それに夜だし」

「あははっ、そうだね。夜だしね」

「それでね、わたしさ小学生の頃いじめられてたの。学校行かなくなっちゃってさ、中学なんてほとんど行ってないの」


 俺はしっかり水上さんの眼を見ながら相槌を打つ。水上さんは俯きがちで深刻な声色で話を続ける。


「それでずっと絵を描いていたの。小さい頃から好きだったから。色々勉強したんだよ?本読んだり映画見たり」

「ストイックだ。にしても好きなことがあるのは良いことだね」

「絵って言っても、そういう美術的なっていうか風景画とか抽象画とかそういうのじゃなくて可愛い女の子の絵とかそういうの」

「へー!マジ!絵師さんだったの!?」

「急に興味津々じゃん」


 あまりに衝撃的で眼を見開いて持っていた傘を揺らしてしまう。水上さんは少し呆れたような顔で「もー」と頬を膨らませる。可愛い。いやでもしっかり聞かないと。そのことはまたいくらでも後で話せばいいと戒める。


「いや俺もアニメとか色々見るからさ。まぁまぁその話は置いといて続きを」

「話が逸れちゃった。それで中学もほとんど行かずに卒業して通信制の高校に進学したんだ」

「なるほどね」

「……どう?」

「『どう?』っていうのは?」

「いやぁ、引いちゃったかなぁとか色々不安で。そもそも人とあんまり話さないし、こんなこと初めて家族以外に話したし……」

「引く要素どこかにあった?これくらいのエピソードその辺に転がってるもんじゃない?いやもちろん水上さんからしたら深刻な問題っていうのは理解できるんだけど、俺からしたらそこまで思い詰めるようなことでもないのかなぁって。大事なのは今だと思うよ。普段引きこもりの俺が言うのもなんだと思うけどさ」


 水上さんはきっと何も包み隠さず話してくれた。だから俺もそれに対して真摯に向き合う責務があると思った。だから何の遠慮も気遣いもなくありのままの言葉で伝える。

 街路灯に照らされる綺麗な金髪に反して表情は硬く、お互いのビニール傘に夜雨が打ちつけられる音だけが心を乱すように響く。

 水上さんは少しの逡巡の末に口を開く。


「わたしに起こったこととか感じたこととかそういうのは消えることのないものだし、嫌なことをちょっとでも忘れたいからランニングを始めてみたりした。まだ色々考えちゃうこととかあるけど、これだけは分かるよ。話してみてよかったって」

「そ、そっか。なら俺としても良かったよ。こんな俺でもちょっとは役に立てて」


 水上さんはさっきまでの表情とは一変して穏やかに微笑む。その顔を見て肩の力が一気に抜け落ちる。


「ちょっと気になってたんだけどさ、どうして金髪に?」

「今までの自分から変わりたいっていう痛々しい理由もあったんだけど、一番は参考資料かな?やっぱり自分の眼で見ないと分からないものもあるからさ」

「お、絵のお話たくさん聞きたい聞きたい」

「……んー。まぁ言っちゃってもいっか。これね上原さんを信用して言うんだけどさ、誰にも言わないって約束できる?」

「ちょっといきなり凄い雰囲気になってきた……大丈夫、女の子との秘密を言いふらしたことなんて一度もない」

「秘密を知ったことがないからでしょ」

「……何気ない水上さんの一言が俺の心を深く抉る」


 冗談抜きで。


「そんなラノベの一節みたいなこと言わないでよ。ちょっとじわる」

「それでさ、知ってるかなー。「相いれないけど愛したい」って作品」

「え?知ってるっていうか見たけど……」

 

 いや俺が一昨日見てたやつ。え?いやまさか。そんなことあるわけ……

 俺の脳裏に一つの考えがよぎる。あのアニメのヒロインの姿、目の前の金髪ポニーテールの女の子。

 目の前の金髪ポニーテール少女は可愛すぎるドヤ顔で話す。


「あの作品のキャラデザしたのわったしー」

「はぁぁああああ!?」

「うるさいうるさい。近所迷惑だよーもうー」

「いやだって、え?は?マジ?」

「マジマジ。可愛いでしょ奈々子」


 ちょっと待って、信じられない。は?「相い愛」のキャラデザした人が目の前に?え?


「いやーあのシナリオ良いよねー。わたし初めて読んだときボロ泣きでさー。何と言ってもあの弱っちい千也が雄太郎と特訓するシーンとかめっちゃ良いよね!!あれに感化されて私も運動し始めたし!って……聞いてる?」

「え?ちょっとあまりの衝撃で動揺が」

「そんな驚くことかなー。あ!ちょっと傘持ってて!」


 水上さんは何か閃いた様子で街路灯の真下で俺に傘を預けると、楽しそうに髪ゴムを外す。綺麗な金髪をさらっと流したと思ったらバランスよく2つに分けていく。そして両手で分けた金髪を摘まんで満点の笑顔を浮かべる。


「じゃーん。奈々子の出来上がり。流石に眼は青くないけどね」


 凶器だった。可愛さの暴力。俺の心がぐわんぐわんと揺れ動く。


「好き」

「え?」

「あ」


 強烈な衝撃を受けた時人間は思考をやめて行動してしまうと今知った。口に出ていた。俺の意志なんて関係なく。

 だがその二文字は真実であることもまた事実。我に返って自分の発した言葉に驚きはするが訂正する気は毛頭なかった。

 水上さんは眼を丸くして、ほんの少しの時間が経つと顔がいきなり紅潮し始める。視線は依然として俺の方を向いていて、眼が合い続ける。


「……もういっかい。もういっかい、言って」


 水上さんは勢いで出た言葉で済ませてしまえるほど優しい女の子ではなかった。しっかりと俺の意志で、俺の言葉でそれを求めた。


「好き」


 自分でも驚くくらい淀みのない言葉だった。

 水上さんはしっかりと視線を合わせて口を開く。


「わたしは……まだ……わかんない。この気持ちが好きなのかなんて分からない。でも、でも!嫌いじゃ……ない」

「だから、だからね?わたしが大人になるまで一緒に走り続けてくれたら……考える」

「続けるよ。絶対」

「約束」


 水上さんは一言言うと髪を下ろして右手の小指を差し出してくる。水上さんが何をしたいのかは分かったけれど、両手が塞がってしまっていてそれができない。

 俺はどうしようかと思っていると水上さんはどっちのかは分からないビニール傘を俺から取って畳んでしまう。

 そしてもう一度小指を差し出してくる。俺も右手の小指を差し出し絡ませる。

 指切りを終えると水上さんは「詰めて」と言って俺の右に寄ってくる。肩がこつんと触れる。

 


「そろそろ遅い時間だし、送るよ」

「急に男の子だね」

「送ってほしくない?」

「なんて意地悪な質問」


 ぎこちなく暖かい時間が流れる。

 しばらく歩くと何かの窪みに足を詰まらせたのか水上さんがつまずく。俺は咄嗟に右手で水上さんの腕を掴む。


「あ、ありがと……」

「怪我無い?」

「大丈夫」


 水上さんが体勢を直したと思うと急に耳元に近付いてくる。そして吐息混じりの声で小さく呟くように言った。


「すき」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

金髪女子高生はポニーテールを揺らして @Alansan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ