キャットキャット
一沢
第1話
「なんでだろう、最近欲しがらない」
我が家の飼い猫、フロストがオヤツを欲しがらない。それ自体は別に悪い事じゃない。だってしっかりと餌は平らげているのだから。むしろ間食をしなくなっただけ健康的になったと評せる筈だ。だけど彼は我が家の飼い猫だ、甘え無くなった彼は彼らしくない。
我が家に来て早4年。野良猫から首輪付きに転身したフロストは、野良猫稼業の手練れで餌をもたらしてくれる人間を人相で見抜き、にゃあにゃあ、と甘えてはオヤツを強請っていたのだ。お陰でもいつも間にやら、フロストが強請った時用に、お気に入りのオヤツを隠し持つ程だというのに。
「どうしたんだ?お腹痛いの?」
そう優しく聞いてみるが、当のフロストは足を仕舞いながら座り込むのみ。ベッドは我が物と言った感じに、人間用の枕を押し潰すフロストの毛は茶色と白であり、虎というよりも食パンに近い色をしていた。器用なフロストは人間の様にドアノブを回し、人間の様に部屋へと好き勝手に入り込んでいた。試しに頭を撫でても出るのはごろごろだけ。可愛い事この上無いが、正直言ってつまらない。
「機嫌も良いし、怪我もしてない。まだ4歳ちょっとだろう。老いるには早くないか?」
かさかさとオヤツ袋の音を鳴らしても、微かに耳を動かすのみで眼も開かない。その様は、ボスと呼ぶに相応しいかもしれない。その程度で私を釣る気か?けしからん。お前なんて無視してやる、台本を付けるとしたらこんな感じだ。小さい頃は足に擦り寄って目元を光らせていたフロストも、家猫の安住に慣れてしまったのだろうか。もう4歳、猫生の酸いも甘いも噛み分けて来た彼は、大人になってしまった。
「もういらないの?」
試しに手に出して鼻先に突き出してみた、そうすると仕方ない、といった感じに。
「良かった。食べてくれた‥‥」
身動ぎもせずにあむあむとオヤツである煮干し型カリカリを食し始めた。これでは何方が主はわからない。耳に届くかりかりと噛み砕く音にはヒーリング効果がある、気がする。愛らしさなど欠片もない姿だが、愛らしいフロストが自分の手から直接食べてくれる光景は悪くはないと。
「うん、少し調査してみよう」
手元のオヤツを全て平らげたフロストは、丸まってアンモナイトの構えを取った。寝るから邪魔するなと言いたげな頭を軽く撫で、自分は『フロストがオヤツ食べない事件』の調査に出向いた。
時刻は早朝、家猫であるフロストの活動範囲内は家一つ分。今日は涼やかな日曜日だった。学校も休みで一日中寝巻きでも誰にも叱られない。だが、折角の休みなのだ、着替えて朝日を浴びようと脱衣場へ向かう最中、『被疑者そのいち』に出会した。
「あれ?フロストは?」
「部屋にいるよ。眠いみたい」
被疑者そのいち、それは父だった。ある意味この家で誰よりもフロストに甘く、フロストの従順な僕たる父は夜中の時間をフロストと共に過ごす事を楽しみにしていた。きっとフロストが言えば幾らでも餌でもオヤツでも与える事だろう。今もその素振りを見せる父はキョロキョロとフロストの影を探していた。
「そうか。抱っこして庭に行こうと思ったのに」
「フロスト、嫌がらないの?」
「風に当たるのが悪くないみたいで、大人しくごろごろ言うぞ」
だが諦めよう。そう肩を落とす父は諦めも良かった。フロストがいないのなら、軽く外で散歩でもして来ると出向いてしまった。フロストは既にお腹いっぱいだった。父の可能性もあるが低い気がする。
となると次は母になるのだが、『被疑者そのに』たる母は父ほど甘くはなかった。日曜日の朝でも慌ただしく家中を歩き回る母は、忙しければどれだけフロストが甘えても「あとにして」と去ってしまう。
「あら、珍しい。今日は早起きなのね」
リビングで天気予報を眺めていた母の顔を眺め、フロストの餌皿と水皿へと視線を移すと驚くべき現場に直面した。フロストがお腹いっぱいあったにも関わらず─────餌も水も満タンであった。
「どうしたの?そんなまじまじと見て」
「フロスト、具合悪いのかな?あんまりご飯食べてないみたいで」
「そんな訳ないでしょう。しっかりとさっき上げた、ご飯も水も平らげていったから」
何を今更と語尾に付けられた気がした。なんだ、と口を開こうとした時、真後ろから父の声がした。
「ちょっと忘れ物した。あ、フロストの餌が補充されてる」
と、聞き捨てならない言葉を口走って去っていった。餌が補充されてる?とは。聞き返そうと振り返った時、父の声が再度上がった。それは心底嬉しそうにする声で。
「おお、フロスト。起きたのか、お出掛けする?」
だが、フロストは素知らぬ顔で足元を縫って走り餌へと一直線に行く。
「もしかして、フロスト」
ニヤリ、とフロストが微笑んだ気がした。
キャットキャット 一沢 @katei1217
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