第34話

 場の空気が一瞬で凍る。

 激昂するリーダーの顔付も、冷や水を浴びせたように真っ青に染まり、囚われた千野、怯える人質達もまた今まで感じたことの無い恐怖に慄く。

 人質達かれらも最初こそ『ストレガドッグ』の姿を見て救済されたような歓喜を上げていた。しかしそれはあくまでテレビで見知った情報を基にした偶像かりそめ非現実の英雄ヒーローが今の今まで罪人達を情け容赦無く殺戮する姿は、正直言って双賀達よりも気味が悪い。

 思えば仮面これを付けて人前で殺しをするのは初めてだった。

 しかしそれでも頼らざる得ない状況下にあって、真っ赤に染まった背中へ救いを求めるよう物乞いのような視線が寄り集まっている。

 それは勿論、銃口を突きつけられている千野も同じだ。

 裏では立場の低い者をないがしろにする女の、都合の良い時だけ頼ろうとするその姿勢は醜く、卑しく、浅ましい、生物として生き残りたいという凡人のさが。見ていて不愉快極まりない。


「しょ、正気か貴様……?!この少女がどうなっても良いのか!?」


『好きにしろ。別にその少女を助けるためにこんなことをしているのではない。人質が居ようと居なかろうとお前の結末は変わらない。大人しく死ぬか、惨めに死ぬか。それ以外にもう選択肢は残されていないんだ」



「ふ、ふざけんなぁッ!!じゃあ撃てるものなら撃ってみろ!!この少女ごと俺のことが撃てるものならば────」


 ────ズダァンッ!!


 放たれた裁きの弾頭。

 貫通性に特化したFMJフルメタルジャケット式.44マグナムは、防護仕様の千野の制服肩口を易々と貫き、そのままリーダー格の兵士の心臓も奪い去っていく。

 甲高い一撃が止んだあとに残ったのは、被弾による流血で苦しむ少女の悲痛な呻き声だけだった。悪い連中は全部死んだのにその後味の悪さといったら、とても正義のヒーロー万歳といった雰囲気ではなかった。


『引き金を引く覚悟を他人おれに問うんじゃねえよ。カスが』


 まだ煙がたなびくリボルバーを収めて上階の方へと眼をやる。

 残りはあと双賀グレイとその私兵達。

 寧ろここからが本番と言っても過言ではないだろう。


「おいお前!!、俺の彼女に何してやがる!!」


 唐突に投げかけられたぶっきらぼうな口調。

 振り向くとそこには……あの梅野が人質集団の中から出てきやがった。

 わざとらしい速足に酷く苛立った様子を乗せ、あろうことかこちらに詰め寄ろうとしている。


「何で彼女ごと撃つ必要があった、頭を撃てば良かっただろう!!」


 真正面から頭を撃つことは得策じゃない。

 反射神経の良い者なら平然と避ける光景を俺は何度も視ている。

 あの状況では心臓の方が圧倒的に避け辛く、そして千野たてが合った以上撃たれないという暗示バイアスが無意識に掛かっていた。こんな弱点、狙わない方がバカだという話しをしても理解からないだろうな。


『別に殺していないから良いだろ?それにたかが肩の一つや二つ程度で助かる命、安いものだ』


「ふざけんじゃねぇ!!」


『ふざけているのは貴様だ』


 被害者面した甘ちゃん坊やに有無を言わさぬ態度で窘める。

 ハッキリ言ってウンザリだ。


『他人の行動を卑下する暇があるならば己で行動すれば良い、そもそも千野そこの女が窮地となった時に助けに入れば良かったんだ。けれどお前はそうせず、自らの命欲しさに人質という名の盾の内に閉じこもっていた。それをなんだ、安全となったあとで文句を言う。当事者を労わろうともせず、撃たれた女に応急処置をしてやるでもない。結局のところお前にとって彼女はその程度の『所有物モノ』でしかないんだよ』


「黙れ……黙れ、黙れ黙れッ!!!!」


 心の内を見透かしたような指摘に梅野は激昂して、実力行使の為に魔力を高め始める。

 ほら見てみろ。本当にあの千野クソ女が大切ならば今すぐにでも駆け寄るべきなのに、結局のところ梅野コイツは、傷つけられた自尊心を慰める方を優先するような男なのだ。


「くたばれ、義賊紛いの野良犬がぁ!!」


 得意の木々を操る魔術を発動させようとした両腕を地へ突き立てようと試みる。

 が、しかし、その動作は途中でキャンセルされてしまう。


「な、が────ッ」


 まるで金縛りにでもあったように、意志に反して動かない身体。

 戦場においてそんな大それた動きモーションは、隙だらけのいい的でしかない。

 コンマ数秒ワンモーションも入らない殺意の具現化マージナルキラーによって一時的に殺された魔力の波長。呼吸と同じで人は無意識化に身体を動かすのに合わせ、微細の魔力を操作している。その信号となる波長を乱されたことで、誤認した脳の死後硬直を起こし、この金縛りは完成する。

 当然、一度も『死』を認識したことの無い梅野にとって、そんな状況に抵抗できるはずもなく、俺はそのまま学友の口の中へと銃口を押し込む。


『さっき貴様は私に頭を撃てば良かったと言ったな。ならば、お望み通りに…………』


 ガッチリ手のひらで抱えた頭の隅でそう囁く。

 梅野の顔は涎と涙でぐちゃぐちゃとなっている。ちッ、汚ねぇ……。

 まぁ所詮敵から奪ったハンドガンだから、どうでも良いけど。


や、やえろ止めろ……ッ!ほんなことしてこんなことしてほうなるかどうなるかかっているのかわかっているのか!?」


『これから死者の世界に行くというのに、いまさら生者の世界の心配をするのか?』


「いやだ、こんな……最期……っ」


『……なんの力も覚悟もない癖に、こちら側の世界に踏み込もうとするから、そうなるんだよ……』


 ちょっと他人よりも優れている、秀でている、たったそれだけで人は自分が特別だと勘違いをする。何も知らない癖に……当事者面するからツケが回ってくるんだ。

 知らず知らずの内に漏れ出た本音を乗せ、引き金トリガーに力を加える。

 このがある以上、最早体裁を取り繕う必要も無い数十センチの引き代

 いつもと同じように鳴り響く銃声は、予想外にも遥か頭上の位置から舞い降りてくる。


『────ッ!』


 持っていた銃身が砕け散り、咄嗟に後ろへと飛び退く。

 梅野の方は砕けた銃身自体を咥えていた影響で上前歯が弾け飛び、血まみれのままその場に蹲っている。

 当然これは暴発なんかじゃない。未だ恐怖の渦中に居る人質達の誰もが気付いていないが、放たれた銃弾の存在に気づいた俺は天を睨む。


『アイツは……ッ』


 拭き抜けの最上階、こちらを覗き込んでいた白い影。

 長年追い求めていたその存在に気づいた俺は、仮面の中でほくそ笑む。

 こんな状況で姿を顕すとは……いや、こんな状況だから姿を露わしたのか。


『聞こえるか、警察各位』


『な、なんだお前は……?』


 暗号回線に無理矢理割り込んでそう告げると、さっきまで交渉ネゴシエーションしていた鏑木警部が応答する。


『詳細だけ伝える。一階を制圧完了。これより上層階制圧及び爆弾の解除を試みる。殺したテロリストと人質解放の栄誉は警察おまえたちにくれてやる。だから、誰も近づけさせるなよ』


『ちょっと待て、お前は────』


 一報的に通信を切り、昂る高揚感を抑えきれぬまま黒糸ナノストランドを上層階壁面へと引っ掛ける。

 殺戮を巻き散らす魔戌ばけいぬが遠ざかる姿を、人質だった一般市民達は安堵と恐怖が綯い交ぜとなった視線で、ただ見つめるしかなかった。

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