第35話
電気の堕ちた自然が織り成す薄暗闇が通路を包み込んでいる。一歩一歩慎重に歩を進める俺の精神をすり減らすように。
狭い一本道の通路。
奥に進めば進むほど濃くなる死の気配。
この先に待ち受ける結末が何なのか、昂る好奇心、拭いきれない一抹の不安、それら止めどなく溢れ出る感情を握りしめ、俺はとうとう通路の終着点である魔結晶の飾られた展覧会場へと辿り着く。
『これは……』
四方形のガラス窓に覆われた部屋には、幾人かの人間が共倒れしていた。
装備を見るに先の兵士達と同じ様相、おまけに魔結晶の防壁解放用と思しき機材が幾つか散乱しているあたり、双賀の私兵でまず間違いないだろう。
血の臭いはするものの、呻き声が聞こえるあたり生きてはいるようだ。
どうしてこんな……動揺めいた思考に至るよりも先、その答えが姿を顕す。
「────」
数メートル向こう側、健在する魔結晶の夜光を背に佇む亡霊のような白い影。
まるで瓜二つ。鏡合わせのような黒装束、恰幅、そして示し合わせてような同じ魔戌の仮面。
『ようやく姿を顕したな、ストレガドッグ』
「…………」
高揚を隠し切れないこちらの語り口に対して、本物のストレガドッグはこちらを見据えたまま。暴力装置と成りうる者だけを無力化すると民衆に担がれた偽りの義賊は、ただただ黙ってこちらを見据えている。
『ここに来たのは偶然か?それともやはり卑しい貴様には、世間の評判とやらがそんなに重要か?まぁそうだよな。義賊と思われている貴様が、実は裏で殺人鬼でしたなんて知られちゃマズいもんな。だから始末しに来たんだろ、最近お前の名で悪評を振りまいている、この『
「…………」
『だんまりか。それともまさか、まだ『
「…………」
『そうかい、じゃあ無理矢理思い出させてやるよ────』
興奮が収まらない俺は、自らの仮面を外す。
「……ッ」
そこで初めてストレガドッグが感情らしい物を零す。
良かった、もし忘れ去られていたような反応を見せられたら、俺が俺自身の理性を抑えられている自信が無かった。
「そうだよな、母親を殺した息子の顔、忘れるわけないよな……」
三年前のあの日。
何度も夢に出る、焼け崩れる
「さぁ構えろよ────
挨拶は済んだ。
仮面を元の位置へ戻し、左手に握ったナイフを逆手持ちで前へ、開いた右手をその背後へ。
何度も何度も練習した殺しの構え。
それでも奴は一向に構えようとはしなかった。
一つだけ見せた驚嘆だけを除き、それ以降はまるで動きを見せない。
何かを待っている訳でも、こちらを誘っている訳でもないようだ。
「そうかよ、それならこっちからいくぞ……ッ!!」
飢えた獣が飛び掛かるように地を翔る。
殺気は感じない。あるのは不気味なまでの無表情を貫く仮面一つ。
「その分厚い化けの皮、剥がして民衆の晒し者にしてやる」
飛び掛かる間際となり、眼が覚めたようにようやくストレガドッグも身構えた。
奇しくも同じ魔軍式格闘術の型でナイフを手に取り、こちらの初撃を防いで見せる。
凡庸に見えて技術は秀才。次々と繰り出すこちらの連撃を紙一重で往なし続けている。
なんだよそれは────
刃と刃が斬り合う甲高い音と互いの息遣いだけが木霊し、弾ける火花が展覧室の夜闇を照らす。
何度も斬り込む内、その手応えに心の中で焦りが生じ始める。
積み重ねてきたものを全てを吐き出すつもりで繰り出す斬撃は、その
なんなんだよそれは────ッ
バカにするのも大概にしろ。
まるで子供でも扱うようなその態度に、堪忍袋の緒も限界だった。
合理性に導かれた型同士で斬り合う最中、俺はその合間を見計らい、肩に向けて経験だけ身に着けたの振り下ろしを強引にねじ込んだ。
接近戦で狭まった視野角の外からの攻撃に、ストレガドッグも咄嗟に左腕を掴む。
そうかよ……。
掴んだまま硬直状態に持ち込まれた俺は、垂涎の思いで追い求めてきた宿敵に向け、秘めていた
「ッ……!?」
ガクンと呆気なく崩れ落ちた膝。
体勢の崩れたストレガドッグは無防備のままに頽れる。
その隙を見逃すことなく腰へタックルを繰り出し、床へ引き吊り倒す。
「……いい加減にしろよ」
四肢を四肢で圧しつけ覆い被さる。
しかしそれでも宿敵は動じること無く、心から浴びせた罵声にも反応を示さない。
まるでそれら全てを受け入れているように……
「なんだよこの
「…………」
「なぁ、どうしてだよ。どうして母さんを殺したんだよ」
「…………」
とっくに枯れていたはずのモノが瞼から溢れ出す。
何度も振り下ろす拳にも力は入らない。
俺の人生をめちゃくちゃにしておいて、こんな最後、到底受けいられるはずが無い。
達成感の無い虚無に侵食され、視界一面が虚空へと堕ちていく。
「どうして妹にあんな運命を背負わせたんだよ。答えろよ!!答えろよ……ッ」
「────分からないのよ」
思わず眼を見開く。
くぐもった響きには幼き声音。
その特徴的な鈴撫で声に、思考が凍結したように真っ白になる。
「本当に分からないのよ。記憶の無くした
抵抗する意志の無い仮面へ恐る恐る手を伸ばす。
信じたくは無かった。仮面を付けたままにしてその真実に眼を背けたかった。
それでも……震えた指先がゆっくりとその素顔を暴く。
露わとなった彼女の正体に、俺は詰まる喉を引き絞る勢いで言葉を紡いだ。
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