第30話

 気が付いた時には屋上で大の字に気絶していた。

 夕暮れに堕ちかけた春風が頬の傷に染みる。

 画面の割れたスマホで顔を確認する。


「イテテ……」


 胡坐に体制を直すとジジイ臭い声音に溜息一つ。

 何やってんだ……俺はこんなところで、

 殴られた怒りよりも、休みの半分を棒に振ったことを悔いた。

 勢いばかりに身を任せた末路と笑うしかない。

 笑うしか……。

 ホロリ……、頬に何か水滴のようなものが伝う熱。

 あれ、可笑しいな。雲なんてないのに、雨なんて。


六階位へクス様』


 違和感を確かめるより先、ご主人様を見殺しにしたクリシスが悪びれもなく声をかけた。


『申請されていた追跡情報の結果が出ました。標的の居場所は────』




 ◇ ◇ ◇




 先日と遜色ない噴水の飛沫を眺めながら、ガックリと肩を落とす。

 クリシスが指し示した標的の居場所は、まさかまさかの昨日訪れたデパートだった

 なんでも奴がここに入っていく様子を映し出したとか……随分厄介な場所に逃げ込んでくれたものだ。人を隠すなら人混みの中ってことか?

 すれ違う人の波に吞まれかけながら周囲を観察する。

 二十四時間前に眺めた時よりも賑わいを見せているデパートは、まさに休日の喧騒を象徴した活気に満ちている。

 アイツと一緒に飯を食べたフードコートは、昨日よりも繁盛している様子で店員が忙しなく厨房を這い回り、他にもボーリング場の方では空きが無いらしく受付にヘビのような長い列が並んでいる。他のところも似たり寄ったり、どこもかしこも人で溢れかえていた。

 こんなところから標的一匹を探せだと?冗談じゃない。


「一匹?、そうか……、そうだった」


 一匹、奴は人と定義するよりも猫だ。

 彼女がこんな人でごった返す場所、素直に歩くとは考え難い。

 初めて出会ったあの日、互いにぶつかったあの時だってそうだったじゃないか。

 となれば話しは別だ。

 人混みから逃れるように大通りを抜け、とにかく誰もいない落ち着いた場所へ。

 本能に従い、無意識に身を任せ、いつものようにさり気なく人を躱して進む。

 気づいた時に辿り着いたのは噴水を見下ろす吹き抜け沿いにある休憩席。


「鬼ごっこは、もうおしまい?」


 目線よりも高いガラス張りの壁に備え付けれたその場所に、クロノスの学院制服を纏う少女が黄昏れていた。


「その様子だと、確かめたいことって俺のことだったのか?」


「まぁそんなところかしら。半分正解で半分外れ」



 ミーアは二心無き声音でそう告げ、人差し指である場所を指し示す。

 昨日訪れたゲームセンターの入り口、そこに現れたカップルの姿に小さく鼻を鳴らした。


「哀れね、もう売人は来ないというのに……貴方の追っている『クスリ』って、そんなに中毒性の高い代物だったのかしら」


 鈴を転がしたような響きが喧騒の中でもハッキリと響く。

 昨日のことがあったというのに、彼女はこの状況を愉しんでいた。


「さて、結論から話すわイチル。貴方一体何の組織に所属しているのかしら?」


「……お前が知る必要はない」


 不意を衝く様に放たれた言葉ナイフを、俺は動じることなく切って捨てる。

 当然、『ファンタズマ』としての一端が他者に知られることはあってはならない。

 己が定めた刑事法を度外視できる超法規的組織など、本来存在すら赦されていないのだから。


「ふーん、ところで今朝家を出る前にちゃんと身支度は済ませたの?朝食は取って、ニュースは見た?」


「さっきから何だよ、藪から棒に……」


「そう、してないのね」


 成り立たない会話の最中、ミーアは人差し指で中空に長方形を描く。

 魔術で作成した簡易的な鏡。『魔鏡マジックミラー』と称される処世魔術の一種だ。


「気づいていないようだけど、すごい顔しているわよ。イチル」


 口笛程度の難度で習得できる手鏡サイズのそれに映ったのは、野犬のように鋭い眼光を備えた男のこしらえ。

 それが自分の全容すがただと認識するまで少々時間を要した。

 思えば初めて見たかもしれない、日常という仮面を外した己の姿を。


「今朝のニュース、全部調べたけど昨日ことはどこのニュース局も報道していなかった。昼時も、もちろん夕方も」


「……たまたま放送されなかっただけじゃないのか?必ずしも殺人事件がニュースになるとは限らないし」


「じゃあなんであの倉庫には死体はおろか、血痕一つとして残っていなかったのかしら?」


「それは……」


 あれは組織に俺が頼んで片付けて貰ったのだ。

 六階位へクスの立場として、今回の件をおおやけにする必要はないと判断しての対応だった。


「警察も匿名で訊ねてみたけど知らなかった。まるで神隠しのようにあの時間そのものが抹消されていたわ。あれは普通の行政組織ができる仕事じゃない。表に存在しない裏組織、そういったたぐいの仕業か、あるいはわたくしの想像を超える別の何か────どちらにせよ真面じゃないことは確かね」


「だから試したのか。俺がここに辿り着くかどうかを」


「えぇそうよ。予定だともう少し早くここに来ると思っていたけど。この誤差こそが今のイチルが行使できる組織内での階級権限なのね。恐らくは街の監視カメラか、はたまた衛星写真あたりで場所を特定した。仮にもしスマホで特定できたならもっと早く辿り着いていないとおかしいものね。おかげでこのフラペチーノの氷は解けてしまったわ」


 左手に持っていたドリンクに薄い桜花弁のような唇を付ける。

 乾いた喉を潤しているその余裕が、理詰めによって心の余白マージンを失くした俺にとって酷く退屈な時間だった。


「もう一度言うわね。イチル、貴方一体何の組織に所属しているのかしら?」


「……」


「隠し事をするにはカードを切り過ぎたのよ。それに普段はキャンキャンと喚く癖に、都合が悪くなるとすぐ押し黙るのは利巧とは言えないわ」


「そんな軽々しく口にしていいようなことじゃないんだよ。少なくともこんな公衆の面前で語らって良いような内容じゃない」


「よく言うわね。その左手は衆人環視にも関わらずわたくしを殺そうとしているというのに」


 極限まで押し殺していた殺気かんじょうを指摘され、腰部の死角で握っていたハンドガンのグリップへじんわり汗が染みこむ。

 こちらが一触即発であることを理解していながら、ミーアの態度だけは決して揺るがない。

 どれだけ心に余裕が無かろうと善良な市民の前では暴れないという信頼か、それとも殺されることも計算に入れているのか。少なくとも彼女の手の上で踊らされているという実感だけが気にいらない。

 だというのに俺は何故まだ躊躇っているのか。組織の情報だって殺す相手に話したところで関係はない。なんてわびしい奴。俺は彼女の姿を見ただけで数時間前の決意が揺らいでいるらしい。


「……質問を変えるわ」


 こちらの動揺に付け入るように、情け容赦無くミーアは詰問を繰り返す。

 もう……これ以上俺を追い詰めないでくれ。

 いっそ、周囲の暖かな雰囲気に呑まれてしまえばどれだけ楽だろうか。

 投げやりに成りかけていた意識に、想像だにしなかった言葉をミーアは叩きつけてきた。


「────ストレガドッグの正体について、何か知っているかしら?」


「え……?」


 頭の中が真っ白になる。

 なんで急にその話題に行き着くんだ?

 平和に毒された民衆によって祭り縦上げられた偶像ヒーロー

 あんな都市伝説のような存在、本気でその正体について知ろうとする者は少ない。

 それをどうしてこんなタイミングで、こんな場所で問い掛けてくるのだろうか。

 気づいているっていうのか……奴の仮面の下ほんとうの正体を。


「その反応はやっぱり……」


 得心したように頷いた緋色の双眸がより一層鋭く細められたその瞬間だった────


 ドガアアアアアアアッッッッ!!!!!!!


 吹き抜けの底から火山噴火のような爆発。

 沸き起こる悲鳴と風圧が正方形に設けられていた各層のガラス壁を粉々に砕き、煌びやかな鋭利な雨を降らせる。


「……ッ、何が起こった?!」


 状況理解のために壁面下の光景を覗き込んで息を飲む。

 倒れた一般市民、爆破と共に侵入してきた武装した兵士のような徒党集団。

 室内でも取り回しの良いようにカスタムされたM4a1アサルトライフルを携え、俺達が身に纏う制服よりも更に強固な防魔装備に身を固めたその姿は、まるで軍隊そのもののように手慣れた様子だった。


『平和を享受する群衆各位へ』


 処世魔術の一つたる音響強化によって声量を得た男の声音が、崩れた日常が訪れたことをしらせる。

 突入してきた連中の中で唯一顔を隠していないその男、この状況下に相応しくないスーツ姿に身を包んだ爽やかな印象を持つその青年の姿に奥歯を噛み締める。


双賀そうがグレイ……ッ」


 違法薬物の売買元であるとして、ここ数か月、組織ファンタズマがずっと追い続けていたその人物は、こちらの気持ちなど構い無しに高らかに両腕を開いた。


『さぁさぁ皆様方、本館はこれより無期限で我ら『カルペ・ディエム』の貸し切りとさせて頂きます。慌てず騒がず、とっとと中央の噴水に集合してください。さもねーと』


 ズダダダダダダッ!!!!


 一人の兵士がアサルトライフルを連射した。

 非日常から平和へ逃れようとしていた中年男性が撃たれて倒れる。


『無条件で天国行きの特急券を用意させて頂きますので、地獄に未練がある方はご注意下さい』

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