#04 嬌飾の仮面【ストレガドッグ】

第29話

「なんでいつもそうなんだよ……」


 今朝は久々に最高の目覚めだった。こんなに気分が良かったのはいつ振りだろうか。

 きっと、今までずっと直隠ひたかくしにしてきた思いの内を吐き出したからだろう。


「神様はどうしていつも、俺にこんな残酷な選択を迫るんだよ……」


 それと同時に、最悪の知らせをクリシスから受け取っていた。

 メッセージを見た途端に床へと頽れる。

 こんなに最悪な気分となったのは久しぶりだ。

 砂漠のように枯れ果ててしまった涙が出ない代わりに嗚咽が漏れる。


「なにが『ファンタズマの痕跡となるものは処分せよ』だ、仮にも国の正義と秩序を司る行政機関だろ。それとも俺みたいな犯罪者を雇うような組織なら、たった一人の『一般市民』を殺したとしても平気だとでも思ってやがるのか……」


 不幸中の幸いと言うべきか、その対象ひょうてきとなった少女はここにはいない。

 彼女は気になることがあると、乾いた制服を纏って先に家を出ていた。

 それから軽く一時間程、俺は床を見つめたまま考えた。

 考えに考えて考えた。

 この指令に逆らう方法と、彼女を殺すことを天秤に掛けて。

 逆らえば、待っているのは俺の『死』だ。

 死ぬこと自体に躊躇いはない、けれどこのままむざむざと殺されれば、残された『妹』もまた死ぬことになるだろう。

 それだけはなんとしてでも阻止しなければならない。


「結局、残された手段は一つだけか……」


 組織の制約という糸によって操られた愚かな傀儡が立ち上がる。


「……行ってきます。楓花ふうか……」


 制服の下に完全武装を忍ばせた俺は、暗殺者には鬱陶しい白日へ舌打ちをしながら家を出た。




◇ ◇ ◇




 標的ミーアの居場所が判然としない以上、手当たり次第に探すしかない。

 休日の空いた電車に揺られて学院の屋上を訪れる。

 温い春の風が舞い込むその場所は、先日の梅野との戦闘による傷跡が未だ色濃く残されていた。


「クリシス、本当に奴はこの辺りにいるのか?」


 部活動で比較的人の気配のある学院を眼下に、俺は組織の知能をたる境界線の観測者を呼びつける。


『はい、監視カメラ上のデータと申請された私の衛生写真から、東京都内千代田区周囲に居ることは観測されていました』


「チッ、相変わらず精度が低いな……」


『お言葉ですが、六階位へクス様の権限ではこれが限界ですので……』


 六階位、その名の通り組織で六番目に位置する俺に与えられた権限は限られている。

 所詮下から数えた方が早い程度の信頼関係など無いに等しいことなのだろう。


「次の衛星写真の使用許可時間は?」


『今から申請して約八時間後です』


「つまり十八時かよ……精度もあまり良くないくせにあいっ変わらず遅いなぁ。それに俺よりも急ぎの用事の奴なんてホントにそんないるのかよ」


『日本に上陸したとされる国際指名手配犯の捜索が一つ、行方不明となった政治家のご子息の捜索が一つ、あとは猫の捜索が一つ』


「は?猫、だと」


『はい、記録にはそう記載がされております……』


 仮にも国民の血税によって積み上げられた国家資産を割いて作成されたスーパーコンピューター。それをたかだか猫一匹の捜索に使うだと?

 冗談にしては質が悪すぎる……という俺の意図を汲み取ったらしく、クリシスは機械に似つかないしどろもどろな様子で口籠る。


「……申請したのは九階位エネア様です。何でも本業の方で飼育している『猫』が逃げ出したらしく……急遽申請されたとのことで……」


「……」


 錆び付いた金網フェンスにかけた指に力が籠る。

 殺すと決めた以上、この決意が揺らぐよりも先に早く決着をつけたい。

 その思いが無心に表れていることに、俺自身気づいていなかった。


「まぁいい、この近辺まで絞れている以上、奴が学院にいる可能性が高いことに変わりは無い。あとは具体的な居場所だが────」


「お、こんなところ何やってんだ?バーンアウト君」


 ヘラヘラと諂う声が後ろから投げかけられる。

 振り返るとそこには、先日とほとんど同じシチュエーションで現れた梅野達が居た。

 相も変わらず二カップルの組み合わせにウンザリする。

 幸いなことに会話が聞かれた様子ではなかったとはいえ迂闊だった。熟考するあまり気づかなかったことに加え、高いところから探せるなどと安直な考えに先走った末路がこれとはな。


「休みの日にまで学校とは熱心だなぁ、感心しちゃうよ」


 ふざけた梅野の態度に残りの三人がケラケラ笑う。

 照らし合わせたようなその態度と、不気味に揺らぐ爛々とした瞳が俺を見ているようで見ていない。差し詰め昨日もらったブツでも使って遊んでいたのだろう。


「そういうお前達こそこんなところで何してんだ?部活動をしているようには見えないが?」


 本当はこいつらが何をしていたかくらい理解していた。

 梅野の彼女、確か千野とか言った少女の制服が少しはだけて皺となっており、その空いた谷間に球粒の汗が流れ落ちる。男の方も春の肌寒い陽気にしては汗だくの様子。

 うなじに纏わりついたオスメス同士の匂いフェロモンが風に乗って押し寄せる。鼻が曲がりそうだ。


「なーに、ちょっとした課外授業みたいなものさ」


 梅野が千野を抱き寄せると「いやんっ……」なんて高校生らしからぬ嬌声を漏らす。

 そういうのは学院じゃなくてどっかのホテルとかでやってくれねーかな。


「そうなんだ。じゃあ俺は他にやることあるから」


 コイツらにも後で色々と聞かないとならないことがあるにせよ、今の最優先事項は他にある。苛立ちを押し殺しながら梅野達の横を通り抜けようとする。


 ガツンッ!!


 いきなり側頭部の辺りに拳が飛んできた。

 何の脈絡も無い暴力に、流石の俺も防ぐのがやっとで地面へと押し倒される。


「待てよ、バーンアウト君」


 倒れた身体の上に巨体が跨り、春の陽気を遮った。


「どうして編入生ベンダーの、それも魔力も碌に扱うことのできないバーンアウト風情が俺が話している最中に勝手な行動してやがるのかなぁ!えぇ!?おい」


 流星のような連打が顔面目掛けて振り落とされる。

 振りほどこうにもガッシリ固められた身体は逃げ出すことを赦されず、両腕のガードの上から容赦のない一撃が次々に襲い掛かる。


「男の癖にガードばっかしてダッサ」


「そうだそうだ、堂々と殴り合えよ」


 千野を含めた女共が俺の両手を取って地面に抑えつけられた。丁度、キリストと同じような状態だ。おまけにクスリの影響らしく彼女達の手は大の大人以上の腕力を発揮していた。


「てめぇらふざけやがって、こんなことして一体何の意味がある……ッ」


 幾ら女とはいえ全体重を掛ければその負荷は優に五十キロを超える。最早俺に抵抗する手段は残されていない。無情にも殴られ続ける俺の無様な姿に梅野が嗤う。


「意味なんてねぇよ。ただお前のような魔力も扱えないゴミみたいな奴がいるだけで虫唾が走るんだよ」


 魔力も扱えないゴミ。

 魔力を扱えない奴はゴミなのか?

 それはつまり俺や俺の妹は生きている価値がないって言いたいのか?

 身体の中で何かが切れる音がした。


『ダメです。六階位へクス様』


 殺しのスイッチが入った俺に気付き、クリシスが呼び止める、


『仮にも学院に通う身として標的以外の学院生は殺してはならない。そういった契約となっているはずです』


「フーッ……フーッ……フーッ……!」


『作戦の失敗は貴方様の『死』を意味します。それに彼らは重要なヤク仲介人ブローカーの可能性が高いと組織に連絡したのは六階位へクス様、貴方自身です。どうかここは御辛抱を』


 殺しのスイッチに手を置いた俺の心情を読み取り、最適解にとれる発言で沈静化を図る。

 だからといってハイそうですかと言える状況ではない。

 公私混同しかけている間にも三発は貰っているのだから。


「この前の威勢はどうした?!えぇ、おい。所詮は飼い主の純潔の黒獅子ブラックエンプレスが居なければこの程度かよ。この、このッ!」


 その後も何も語らない俺のことを何度も殴打する音が耳朶に届く。

 妹のために傀儡となった無表情なサンドバッグを、狂気に歓喜する傀儡共がケタケタと、何度も何度も、何度も。何度も。

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