第31話
『
狭い個室に戦術データコネクトへ接続したクリシスから、無頓着な声が投げかけられる。
胡坐で背にした身鏡に映るのは薄いカーテンによって遮られた試着室の一つ。
何とかここに逃げ込めた俺は一人、静かに息を殺していた。
『襲撃から三十分が経過、対象は今朝キャッチアップしていったテロ組織であると断定、警察組織は既に周囲を封鎖、五百メートル圏内に退去勧告。現在は犯人グループと交渉しつつ突入のタイミングを伺っております』
「流石に警視庁のお膝元だから対応が早いな。報道情報は?」
『
屑共め……こういう時に対応が早いハイエナ根性には反吐が出る。
アレを使おうにも、周囲を嗅ぎ回っている今の状況では得策とは言えない。
「クリシス、交渉内容については情報確認できるか?」
『……接続、秘匿回線でのやり取りを提供致します』
明かりの死んだ個室内で一人、反撃の機会を伺うべく情報をとにかく搔き集める。
そうして集中している間は良かった。
(アイツも、無事だろうか……)
接続の合間に生まれた余白で彼女のことを想像してしまった。
その途端言い知れない不安のような感情に苛まれる。
三十分前に取った行動────その真否について心が蝕われていく。
◇ ◇ ◇
三十分前、突入してきた兵隊が一人の男性を殺した。
「クソッ……こっちだ!」
その恐怖によって掌握されそうになる現場から逃れるように、俺は彼女の手を取って走りだそうとした。
パシンッ……。
そして、その右手を強引に外された。
咄嗟の行動と思いもしない反応に面食らった俺が振り返る。するとそこにあった彼女の表情は恐怖や怖気といった当たり前の感情ではなく、怒りや憤怒といった想定外のものだった。
「なぜ逃げる必要があるの?今ならまだ混乱の最中、頭さえ抑えることができれば問題ないはずよ」
逃げ惑う人達に反してそう宣言した精神は立派だ。
イカレテいると称しても差し支えないほどに。
「だというのに貴方はこの惨状を放り捨てて自分だけ逃げるというの?」
「敵の素性も規模も、何もかもが分からないのに立ち向かう奴がどこに居るんだよ。お前こそいい加減にしろ。天才なのは構わないけど、それを過信した勇気は蛮勇と同義だぞ」
再び掴もうとした手をミーアは叩いた。
ずっと望んでいたはずの拒絶。
だというのに何故こうも悲しいと感じるのだろうか。
「じゃあ貴方はしっぽ巻いてウジウジと逃げ隠れすればいいわ。
「おい、待てよミーア!!」
彼女は俺の手から逃れて走りさっていく。
追いかけようにも混乱する周囲に呑まれて思うように身動きが取れない。
「どうしてこうも思い通りにいかないんだ……くそったれッ!」
騒ぎに紛れて心の内を唾のように吐き出し、身を潜める場所を求めて俺は走り出した。
◇ ◇ ◇
結果、たどり着いたのがこの試着室だったという訳だ。
連中がどれほどの戦力を持ち合わせているかは未だ判然としていないものの、これほど広いショッピングモールでこの場所が見つかるにはもう少し時間が掛かるはずだ。
(アイツは、ミーアはちゃんと逃げただろうか……)
遠方で銃声が止みつつある中で無意識にそんなことを考えて首を振る。
お前は何を言ってるんだ?仮にも殺そうとしている相手の心配なんてする意味がどこにあるんだ?寧ろこの混乱に乗じて
そこまで思考してウンザリしたように顔を脚に埋める。なんて最低な考えだ。
とても数年前に妹や近隣住民を巻き込んだ騒動を経験した人物の言葉とは思えない無責任な言葉だ。じゃあなんで俺はアイツを殺さなければならないんだ……。
悪いことをしたわけじゃない。天才とはいえただ普通に過ごしていただけの少女の命を、どうして……。
『────き……える……か。……ペ……』
収集付かなくなった思考に終わりを告げたのは、ようやく繋がった秘匿回線のやり取りだった。
『聞こえるか、『カルペ・ディエム』さん?私は警視庁捜査一課警部の
『私だ』
やや音質はよろしくないものの、それでも耳を澄ませば何とか聞き取れるレベル。
応じたのは、さっき一階に居た双賀グレイ本人だった。
『君のことはなんて呼べばいい?』
『一個人を特定するための固有名詞に興味はない、私の意志は即ち『
『まぁまぁそう硬いこと言わずに』
相手に寄り添いつつ、
しかしだ、そんな
『お前のようなただの警察じゃあ話しにならん。とっとと警視総監を出せ。今すぐだ』
『な────そんなこと簡単にできるわけが……』
『
繋いでいた無線の向こう側が途端に騒がしくなる。
クリシスがキャッチした街灯監視カメラ映像をウェアラブルヴィジョンへ展開させると、そこには野次馬を含めたありとあらゆる人々がショッピングモールの壁面を眺めるという異様な光景が映し出される。
まるで花火でも眺めているような視線の先にあったものは、魔学式投影型広告を用いたリアルタイム映像だった。
「あいつら────まさか……ッ」
そこにあったものの狙いに気づいてギシリと奥歯が鳴る。
奴らが見せ付けてきたものは哀れな人質でも、ましてや彼らの
闇を養分にして咲く、アメジストに輝く魔結晶の姿だった。
『
『ちょ、ちょっと待て、そんなことすればおまえ────君達だってタダでは済まないぞ?!一体何が目的だ?!』
齢二十年以上のベテラン警察が狼狽する姿に、
『目的ではなく意志だ。我らカルペ・ディエムの怨毒を晴らすためのな。さぁ市民の諸君。スタートの合図は鳴ったぞ!!他者を退け、押し潰し、ここから一番遠くに逃げれた者はまだ助かるかもしれない。だから、醜く逃げ惑え……さぁ、さあッ!!』
その言葉を皮切りに、たむろしていた市民、マスコミ、その他諸々が蜘蛛の子散らすように逃げ出し始める。他人を蹴散らし、そして顧みず、暴動と言って差し支えない騒乱の渦に警察連中も慌てふためいて収取が付かない。
『伝えることは以上だ、警察の者。精々腰の重い警視総監様にも伝わったことだろう。さぁさぁ愉快な祭りの始まりだ。催しで出てくるものは亡霊か、はたまた化け犬か。どちらにせよ残りの1800秒を愉しませてもらうとするよ────あぁ、それと言い忘れていたけど』
唐突に鳴り響いた爆発音。
空を飛んでいたマスコミ用のヘリが蒼白い閃光に撃ち墜とされ、燃え盛る隕石のように錐揉みしながら落下していく。
その最後、魔学式投影型広告に映し出されたのは双賀グレイ本人だった。
『このショッピングモールに近づく者総てに鉄槌を下す。警察諸君も突入してくるなら覚悟しておくといい。我々は最後の一人になっても人質を盾にしながら死ぬまで応戦する。一人でも多く天国へと引き吊りこんでやる……』
屋上と思しきその場所で奴の肩に担がれていたのは、先日俺達を襲った
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