第24話

 今日、初めてミーアに手を引かれて案内されたのは、最上階に展示されている魔結晶の展望台。四方を枠の無い魔科学式特殊ガラスによって形成された、大きな金魚鉢のような大部屋。最小限の灯りだけに留めた東京の夜色で埋め尽くされた容器の中には、周囲の暗闇を養分として咲く鉱石が、アメジストの光を滾れらせていた。

 噂に聞いていた『魔結晶』を目の当たりにした俺は、引き込まれるように脚を止める。

 剣山のように鋭利な表皮を纏い、その内側はまるで息をしているように光の明滅を繰り返す。

 綺麗、なんて自身の拙い辞書では決して形容したくない、他人にその美しさを語らうことすら憚ってしまうくらいには、この鉱石の美しさに心底惚れ込んでしまったようだった。


「魔力の力って計り知れないわよね……」


 立ち止まった俺に合わせてミーアが寄り添った。


「日本海溝の底から引き揚げられたあの結晶は、人が生まれるよりも遥か昔に存在していた。御伽噺おとぎばなしですらも霞んでしまうような本物の幻想。そして人もまた、あの結晶の主因子たる魔力を媒介にして過ごしている。当たり前のことだけどね。でもそれができるのは地球上の生物で人だけよ」


「…………」


なんでしょ?イチルは……」


 そんな気はしていた。彼女がその真実に気づくことに。

 断言しよう。俺は確かに三年前からバーンアウトだ。

 けれどもそれをとやかく言うつもりも、否定する気もない。

 ただ真正面からそう断言されたのは、この身体となってからは初めて。だからなんて返答すれば良いのか逡巡してしまう。

 しばらく押し黙ったままの二人の沈黙を破ったのは、観念したような肯定から出る溜息一つだった。


「どこで気づいたんだ?俺がそうだってことに」


「初めて会った時からよ、貴方がわたくしに触れたあの時から」


「マジか……」


わたくしにはがあるから」


 ミーアは両手の人差し指だけを立てて自身の頬に充て、その東京の夜色を移す緋色の双眸を指さした。


「この母が残してくれた『緋色の支配者スカルラットレクス』。あらゆる魔力を喰らい尽くすこの魔眼まがんは、わたくしに触れた者の魔力を死ぬまで吸い尽くすことができるものよ。それと同時に本来捉えることのできない魔力の動きを目視することもできるの。けれどイチルに触れたとき、生まれて初めて魔力を喰らうことができなかった」


『魔眼』それは一種の魔学技術であり、その能力も千差万別、多種多様。

 その異質さに応じてランク付けがされており、一般人でも扱えるようなものを最低限のランクワンとして、バロルやメリューサのような存在すら疑わしい伝説級のものがランクシックスと定義されている。

 当然そんなものとは無縁の俺には明るくない分野だが、通常、人から魔力を受け取ることのできない。そんな常識を捻じ曲げるミーアの魔眼スカルラットレクスは恐らくランクフォー程度には匹敵する代物なのだろう。


「それで周りの連中が騒いでいたのか」


「えぇ、わたくしだって正直驚いたもの、まさか学院の中に魔力を持たない生徒がいるなんて、けどね。本当のことを言うと決して魔力がゼロだったわけじゃないの」


「は?そんなはずないだろ。魔力がないって本人が自白しているんだぞ」


 冗談かと思って薄ら笑みを浮かべてみたが、ミーアは真剣な表情を一切崩さなかった。


「吸い取れるものは……ね。けれど感じたものはあったの。さっきの話し覚えてる?」


「……魂は、魔力に宿る」


「そう、イチル自身が感じとることのできない最も深い場所。貴方にとっての根源が眠る場所に微かだけど感じたわ。焼焦げた臭いに染付いた拭い切れないほどの憎しみを」


「…………」


「それが何を意味しているのかはわたくしは問わない。でも興味を持たずにはいられなかった。魔学学院に魔力無しバーンアウトで入学するくらい無謀なことにも臆さない精神に」


 鈍器で後頭部を殴られたような気分だった。

 今この少女は、俺の奥底に潜めていた衝動、あの日以来一時も忘れたことの無い、この腐った世界で持ち合わせている唯一の生き甲斐、それを言い当てて見せたのだ。

 色々と引っかかる部分はあるにせよ、これは本物だ。

 そう認識した途端、俺は無意識に左手をナイフへと伸ばしていた。

 もし彼女がっている秘密の正体が、俺が学院クロノスに入学した理由だとしたら、生かしておくことはできない。

 けれどもし本当にそうなった時に俺はできるのか?

 妹と重ね合わせてみてしまうような存在の首元に、他の連中と同じようにナイフを突きつけることはできるのだろうか……。


わたくしもね、実は一緒なの」


「え?」


 独白に近いミーアの言葉が、左手の力を緩めた。

 こちらの顔を覗き込む少女の魔眼。その眼は俺と同じ復讐の黒炎が渦巻いている。

 過去を悔い病み、今に抗い、未来を殺す者の表情かおつきだ。


わたくしにも居るの。どうしても復讐した人が。けれど今のわたくしでは絶対に勝てないし、何よりも時間が足りない。だからずっと貴方のような人物を探していたの。わたくしと同じ、誰も信用していない嘘吐うそつきをね」


「……俺は別にそんな……」


 たじろぐ俺に、ミーアは更に詰め寄る。

 睨まれた双眸、それは一瞬たりとも眼を逸らすことを赦さなかった。


「『魔軍式格闘術まぐんしきかくとうじゅつ』。第二次世界大戦後の憲法九条改正により設立された魔学を主とした軍隊。『魔軍』。その創始者たる『マルティナ・ル・ラヴァンス』氏が考案した常人が魔学を制する格闘術の名称、それを何故貴方のような自称凡人が使用していたかしら?それと所持している銃や手榴弾も学院では認められていないモデルよね。そもそもそんな小綺麗なものは警察のような正規ルートでしか手に入らないはず」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。銃なんて今時コンビニにだって置いてあるくらい身近なものだ。それにその格闘術なんて俺が使っている証拠は────」


であるこのわたくしの攻撃を必要最低限の被害で収め、油断したとはいえこのわたくしだけで膝を着かせた。二度目に相見えた放課後の時もあれだけ魔力を放出して威嚇していたにも関わらず、貴方やはり一歩も引かなかった。引くという選択肢を選ぶことを念頭に置いていなかった」


「…………」


「イチル、貴方がどんな目的の為に実力を隠しているかは知らないけど、貴方はわたくしと同じ噓吐うそつきよ。自身の利益の為ならば誰を犠牲にしても何とも思わない異常者。でもだからこそわたくしだけはイチルのことを信用することができる。そしてそれは貴方も同じ」


 まるで俺のことを見知ったような口の利き方が癪に障るが、ミーアの言っていることは悔しいが概ね当たっている。

 人なんて、表情一つ剥いだ下に何を隠し持っているか分からない生き物だ。

 少なからず俺はそう思って生きてきた。いや、そう思わないと生きていけなかった。この数年間は。


「だからお願いイチル……わたくしに力を貸して」


 雑多な喧騒の中でミーアは静かにそう告げた。

 その懇願が妙に耳朶に染付いて剝がれてくれない。

 消え入りそうな声音には若干の震えも混じっていた。それでもハッキリと聞こえたのは彼女の本心が滲み出ているからなのだろう。

 隣に寄り添う彼女の表情を拝むことは出来なかったけど、両腕から伝わる熱や鼓動の音から嘘を告げている様子は無かった。

 けれど、


「ごめん、どれだけ頼まれても俺には無理だ。俺の復讐は、お前の復讐を喰らい尽くすぞ」


 魔鉱石の輝きに浮ついていた心の隙を断ち切る様に、俺はミーアを突き放した。

 彼女を殺す。もしそうせざる得なくなった時、決心が鈍ってしまわないように。


「なら試してみようかしら。貴方の抱えているものがどれほどのものか……」


「お前、何言って────」


「感性が鈍っているわよイチル。そんなノロマな思考では、私どころか貴方自身の悲願も成し遂げることは出来ないわよ」


 突然、ミーアは明後日の方角へと走り出す。

 丁度、エレベーターが設置されているスペース周辺、無防備な状態のまま彼女は走った。


「勘違いしているようだけど、私はまだ貴方の秘密について何も話していないわ」


「バカッ……!そっちは────」


 手の届かない遥か先、指先の隙間に映る無垢なる少女に飛び掛かったのは男数人。

 学院外から感じていた、ミーアをずっと付け狙っていた連中だ。

 学生のストーカーとは明らかに違う手際の良さで、決して騒ぎ立てることなく彼女を拉致し、雑踏に紛れたままスムーズに下りのエレベーターへと乗り込んでいく。

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