第23話

「なにかしら?そんな物欲しそうな顔で懇願してもあげないわよ?」


「べ、別にそんなんじゃないよ」


 ゲームセンターを後にして、腹ごしらえのためにやってきたフードコート。

 そのテーブルの一角、ハンカチでキュキュッと口元を拭くミーアから俺は眼を逸らした。

 正直に言えば眼の毒だった。

 ここ最近、破れた制服や治療費やらでやたら出費がかさんでいた俺は、無駄な飲食を避ける理由でセルフサービスの水と氷を食していた。

 そんなこととは露知らず、ミーアは自らの金が許す限りのメニューを二人用のテーブル一面に並べていた。ラーメン、パスタ、ピザ、たこ焼き、ステーキ丼。アイスにチュロスとパフェとクレープまで、ほとんど全てのメニューをそのスリムな体の内へと収めつつある。胃袋ブラックホールかな?


 ぐぅぅぅ………


「口ではそう言っても、身体の方は正直みたいね」


「……うるさい」


「一言食べたいって言えば良いのに、素直じゃないわね」


 予期せぬ腹の虫を誤魔化すようセルフサービスの水を啜っていると、ミーアからスッとクレープを差し出された。


権力者としての義務ノブレス・オブリージュってやつよ、あと、今日楽しませてもらったお礼。遠慮せず食べなさい」


「…………一個や二個じゃあ、大して腹の足しにもならない……」


「あーもう、ならどうして素直にいっぱい食べたいって言えないのかしら?」


 ミーアは苛立ちのままに懐から三万円を取り出し、あろうことか俺の方へと差し出してきた。


「はいこれ、今日のお駄賃。ちゃんと受け取りなさい」


「あのなー……いくら金持ちだからって同級生から金なんて受け取れるわけ無いだろ?」


「じゃあ聞くけど、さっきまでわたくしが体験していた娯楽は一切お金が掛かっていないのかしら?」


「それは……」


 基本的に今日遊んだ娯楽全てには金が掛かっている。

 がしかし、どうもそれを女の子に出させるのも妙な抵抗感があり、黙ってこちらで会計を済ませていたのだけど、どうやらミーアは気づいていたらしい。


「この金額なら今日の分を支払ってもお釣りくらい残るでしょ?それで何か追加の食事を食べなさい。今日付き合ってくれたお礼よ」


「……分かったよ、そこまで言うのならこれは有り難く受け取っておくよ」


 一番素直じゃないミーアが渡すといった以上、拒否しても埒が明かないと渋々三万を受け取る。泡銭に映る渋沢教授とのご対面を喜ぶ間もなく、俺は言われた通りに追加の食事を済ませる。折角お金も浮いたのでここはちょっと奮発してステーキ丼。久しく食すお肉は安物でも涙が出る程美味かった。


「ほんと、普段はあんなに不真面目なのに、どうしてお金のことになるとそう我が強くなるのかしら?」


「………昔、唯一の育ての親だった母親が亡くなった時、金回りで色々あったんだよ。それからいつも気を付けているんだ。余計なものに金を突っ込まないようにね」


「そう、じゃあ今は父親一人なの?」


「父親なんて居ないよ。今は妹が一人、まぁ血は繋がっていないけど。父親は俺が生まれる前から居なかったらしい。母親はその辺りちゃんと教えてくれなかったから詳しくは知らないけどな」


「それは……ちょっと羨ましいわね」


「羨ましい?」


 父親が居なくて羨ましい。そんなこと言われたことが生まれて初めてで、怒りよりも先に驚きの感情が先走る。

 それがミーアにも伝わったらしく、慌てて「ごめんなさい、失言だったわ」と謝罪を述べた。実際、彼女自身もそのことを無意識に口にしていたらしい、珍しく慌てた様子は少し新鮮だった。


「……わたくしの肉親と呼べるのは父親だけなの。母親はわたくしを生んだ時に形見だけ残して亡くなったわ。兄弟姉妹もいない。だからそれ以来ずっとの道具として育てられてきた。貴族と学院では持て囃されていたけど、つまるところわたくしは獅子峰家のお飾り。今日やったカラオケやダーツのような娯楽も、今こうして味わっているイチゴクレープも、お飾りには不要の塵芥でしかないって、一度も経験させて貰えなかった……」


「そうか……だったら良かったよ」


「良かった?」


 俯き加減だったミーアが俺の言葉で顔を上げた。


「だってそうだろ、その初めてに俺は金を払ったんだ。その報酬に楽しそうなミーアを見れただけで十分だよ」


「そ、そう……ありがとうって言えばいいのかしら……」


 そう言って頬を仄かに赤らめたミーアは、指先で銀灰の髪を弄っては落ち着かない様子。

 普段から棒弱無人に振舞う少女にとって、どうやら他人からの善意というものに不慣れらしい。

 しかしそんな動揺を見せたのはほんの刹那、俺が何気なく告げたある点を思い出してハッと我に返った。


「ちょっと待ちなさい、さっき肉親はいないって言っていたわよね?今日の費用や学費はどうしているの?」


「全部自分で稼いでいるよ。三年前からずっとな」


 そう言い終える頃にはステーキ丼を平らげて御馳走様と両手を合わせていた。


「じゃあどうして、」


 ミーアは一度そう言って躊躇う。けれど、その続きを意を決して口にする。


「どうしてわたくしのためにそんな大事なお金を使ってくれたの?」


「言われてみれば……どうしてだろうなぁ」


 今日の出費は普段の俺なら絶対に有り得ない。けれども自然と嫌な気持ちは一切起きなかった。それはたぶん、有り触れた光景に嬉々として微笑むミーアの姿があったからではないだろうか。思い返してみるとそうだ、ミーアの反応はまるで……


「妹が喜ぶ時と、同じ反応をしていたから……かな?」


 三年前のあの時も、妹の楓花ふうかはミーアと同じように眼をキラキラさせ、あらゆる新しいものに興味を示していた。その郷愁に満ちた感情が、不思議と俺の財布の紐を緩めていたのかもしれない。


「やはり思っていた通り、貴方って変なところで優しいわよね」


「なんだよそれ」


 まるでずっと前からそう思っていたかのようにクスりと笑うミーア。

 カラオケで百点取った時とは全く異なる、その何気ない一瞬に今日一番の笑みが映し出されていた。


「ねぇイチル、人の魂の形について考えたことはある?」


「また随分と藪から棒に荒唐無稽な話題だな。考えたことも無かったけど、そうだな……要するに魂って疑似存在を司る『意志』か『心』に形があるのかってことだよね。それってつまりは頭か心臓のどちらに宿るかって話しなんじゃないのか?」


「それは世間一般論でいうところの心理学や脳科学ね。古くはアリストテレス氏が、近代ではジェームズ・ギブソン氏らが提言したもの。けれどわたくしは人の魂は魔力に宿ると思っているの」


「魔力に?」


 想定外の回答に思わず顔をしかめてしまった。

 魔力は常に循環しているものであって体内に留まるものじゃない。

 それにもし、ミーアの言わんとしていることが本当のことだった仮定したら────


「……なんて言い顕せばいいのかしら」


 最後のクレープを食した唇へ手をあてがい思案するミーアは、何か思い立ったように席から立ち上がった。


「こればかりは口で言っても伝わらないだろうから、見に行きましょうか。わたくしの思う魂の形というものを」

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